2025年12月14日日曜日

香天集12月14日 渡邉美保、三好つや子、柴田亨、平木桂ほか

香天集12月14日 岡田耕治 選

渡邉美保
末枯や一つの耳に日の当たり
鵙高音ガラスの蓋のくもるとき
鶲来る開け放たれし御輿蔵
実を零しては南天の剪られけり

三好つや子
菊枕人それぞれに遠野あり
玩具のような電車が通る柿のれん
石ころに腹を温める冬の蜂
やわらかな濁音となり夕時雨

柴田亨
薄紅の散りながら咲く山茶花よ
ノート持ち救世観音の冬日和
青北風や戦禍の街へ無双切り
冬来たる地平は赫く暮れなずむ

平木桂
干蒲団胎児に戻る手と足と
枯葉舞う戻らざる日を巻き戻し
三輪山の昭和百年憂国忌
ゴッホ展銀杏黄葉の輝けり

春田真理子
秋高しバランスをとる二歩三歩
虫食いの障子戸にある音符かな
蓑虫にトースト硬くなりにけり
柔らかき黄落を踏む賛歌かな

加地弘子
生身魂話はむかしむかしから
羊雲抱かれし子が指をさす
俗名で呼びかけており冬の月
息白くバラバラに哭き犬五匹

上田真美
きれいねが口癖の君朝露に
河豚になり毒を放出してやろう
寿司を置く一声響き新走り
積み上げた大根の白蒼天へ

岡田ヨシ子
一人部屋数え切れない蜜柑あり
ベランダが日向ぼっこをしていたり
会う度に食事何時と聞くコート
冬晴や洗濯のしわ伸ばしゆく

川村定子
この道はジョンとの散歩草紅葉
踏みちがえ紅葉を行く墨衣
賜りし柚子の一篭描き残す
穂芒が銀の波打つ嵐かな

北岡昌子
境内の緑と紅葉交わりぬ
渋柿を剝いて結べる戸口かな
団栗の傘を拾いて渡しけり
寺の池桜紅葉が映りだす

〈選後随想〉 耕治
末枯や一つの耳に日の当たり 渡邉美保
 末枯(うらがれ)の「末」は先端のことだから、寂しいけれども、単なる「枯れ」ではなくて、草木に色が残る微かな明るさがある。そこに「一つの耳」が置かれている。こう表現すると、普通は片方の耳と受け取るけど、多くの耳の中の一つというようにも受け取れる。美保さんが焦点を当てたこの耳は、どんな音を聞いてるんだろうか。日当たりの中に命を感じながらも、その命がやがて枯れきっていく、そういうことも同時に想像できる味わい深い句だ。

石ころに腹を温める冬の蜂 三好つや子
 石ころは、無機質で冬の冷たさを感じさせるが、ここでは日の温もりを蓄える唯一のものとして置かれている。冬の蜂は、石ころの感触とそこにわずかに残る温もりを求めて、今は動きを止めている。この姿は、営営と暮らしを守ってきた私たち人間の「弱まり」と重なってくるように思えてならない。つや子さんは、冬の厳しさの中で、小さな命が本能的に生きるための最後の努力を続ける、その一瞬を見事に切り取っている。
*君の目が透かし視ている蓮の骨 岡田耕治

0 件のコメント:

コメントを投稿