牧内 登志雄
いきなり、ああそうなんだよねと思わされた。「飛んで来し」である。あめんぼうは水の上にいるのが当たり前と思っていたので、飛んで来るとは思いもしなかったし、飛んでいるところを見たこともなかった。見るのはいつも水の上。か細い六つの足で脱力したように滑り、漂っている。まさに「力を逃し」というように。
鳥の撮影に行く池にもあめんぼうが点々と群れているが、今度は今まで見たことのなかった飛ぶ姿を想像しつつ観察してみよう。「来し」「逃し」「あめんぼう」気負いのない句での、新しい気付き、発見。だから俳句は面白い。
大津留 直
一読、非常に優れた写生句である。水の表面張力を利用して着水するためには、今まで空中を飛んできた力を抜き、その力を逃してやる必要があるはずだというのだ。子供が初めて水に浮くことを指導したことがあるであろう教育者ならではの視点が生かされている。人生においても、どこで力を抜き、その力をどのように逃すかを学ぶことが最も難しく、また、重要なのかもしれません。
0 件のコメント:
コメントを投稿