柳堀 悦子
働くひとのラジオ。耳だけラジオに預け黙々と働くひとの姿が浮かびます。窓際にラジオを置いて美濃焼の窯入れ作業をしていた祖母を思い出しました。
十河 智
この句のポイントは、「置かれていたる」でしょうか。ただラジオを聞くのであれば、最近はスマホやカーラジオがあり、こうは表現しない気がします。少し音のいい大きさのあるラジオを、日中でも涼しい窓辺か木陰に持ってきて、ゆったり聴くのです。風にのって音が揺らぐのさえ、癒しです。
大関博美
岡田先生の句は、読む人に自在の想像力を与える。
「涼風に」「置かれている」「ラジオ」情報はそれだけで要らない情報は敢えて加えられていない。だから読む人は、自在に自分の何処でもドアを開いて、このラジオを置くことができる。条件は涼風があることだ。忌野清志郎のように、学校の屋上でも、浜辺やプールサイドなどの木陰でも、畑仕事の花野でも、工事現場の昼休みでも、想像の翼を広げて、読む人自由の物語が、始まる。
この句を読むたびに、ラジオの置かれる場所も変わる、お伴の飲み物は、さて今日は、アイスコーヒーか、夕涼を楽しみながらのカクテルにしようか、コロナの自粛期間でも、想像の翼を広げるのは、自由なのだ。
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