2021年9月19日日曜日

待つことの手がかりとして赤蜻蛉  耕治

 
桑本 栄太郎
 待ち合わせ場所での、時間待ちでしょうか?ふと見上げれば赤蜻蛉が集いつつあり、その数を数えながら待つ事にしました。爽やかな秋には「待つこと」も満更ではありませんね。

大津留 直
 待ち合わせをして、時間が来ても待ち人が姿を見せない、その状況を「待つことの手がかり」という措辞で一挙に思い浮かばせる技量に驚く。そのような時、人は、その待ち合わせの場所と時間が正しかったかと、きょろきょろ見回してしまうものである。そのとき、ふと、その待ち合わせをしたとき、「あそこは赤蜻蛉がたくさん飛んでいる」と相手が言っていたことを思い出して、それを手がかりとして、もうしばらく待つことにしたのである。作者の泰然とした人柄を思わせる句である。

仲 寒蝉
 「手がかり」という措辞の発見が素晴らしい。さらっと詠んでいらっしゃるけど、なかなかこうは詠めません。

目黒 航
 なんなんだ‼️
なんなんですかねー(笑)
赤トンボを見ると喜怒哀楽、その時の感情湧いて来ますが。
待つ、言う行為は初めての想起です。
 でも、、
そうかもしれません。何かを待っていた自分がいたことに、先生の句を詠んで思いだしました。
俳句って先生の句のように、「そうだったよな❗️」
って思わせる日本語のレトリックですよね

十河 智
 この句を読んで思い出す場所がありました。
 京都植物園の駐車場から入り口への広い木陰。赤とんぼが当たってくるぐらい群れ飛んでいました。少し端っこで、車を止めて出てくる主人を待つ間、赤とんぼの動きを飽かず眺めていました。先に行っても良かったのですが。
 この頃はスマホもあり、待合せ場所を予め決めないことも多い。赤とんぼに目を奪われることで足がとまる。ここで待とうかと思う。そういう流れなのでしょうか。

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