2024年1月7日日曜日

香天集1月7日 浅海紀代子、玉記玉、宮下揺子ほか

香天集1月7日 岡田耕治 選

浅海紀代子
咳一つ残して電話切れにけり
冬満月一日の老いを納めおり
遺族無き棺を囲む時雨かな
路地のあり帰る家あり枇杷の花

玉記玉
本堂から厠から見え寒椿
哀しむや鬼柚子ほどの脳もて
凍鶴のはずの点Pやや動く 
南天の限りを尽し撓みけり

宮下揺子
冬の朝手動ボタンを押して乗る
園児らの散歩はいつも芋畑
果てて欲し彼の地の戦禍レノンの忌
神棚も仏壇も無しレノンの忌

上田真美
これだけでいいと思える星月夜
大晦日婚約したと子の知らせ
山茶花の白に紅塗る夕陽かな
石蕗の花壁から伸びて日をすくう

垣内孝雄
スーパーの焼芋にしてひと袋
この方に歌垣の山眠りをり
焼鳥や企業戦士を退きて
水洟をかみつつ読める句集かな

秋吉正子
デザートはひと切れの柿ランチタイム
石蕗の花今日の日記を読み返し
ゴミに出す赤いサンタの包装紙
新しい楽譜をもらう春隣

〈選後随想〉
路地のあり帰る家あり枇杷の花 浅海紀代子
 「路地のあり」という句切れは、路地の奥に何かがあることをまず暗示する。その奥にあるのは、帰る家であり、その家の庭には枇杷の花が咲いている。枇杷の花は、大きな葉に隠れるように小さな白花が咲く。ということは、この句の視線は、路地、家、枇杷の花と、大きな方から小さな方へと焦点化されていく。この視線の移動は、家に帰りつくときの安堵そのものだ。紀代子さんの表現には、簡潔さの中に余白があり、読者の思いを冷静に、そして穏やかにしてくれる。
*JR難波駅にて。

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