2024年2月18日日曜日

香天集2月18日 渡邉美保、三好広一郎、柴田亨ほか

香天集2月18日 岡田耕治 選

渡邉美保
傾ぎをりわが重心の龍の玉
前傾の姿勢のままや浮寝鳥
きさらぎの樹の洞より目覚めたる
にはとりの貝殻つつく余寒かな

三好広一郎
ゆっくりとゆっくり告る氷柱かな
泥水を海に返すや雪が降る
着膨れや季語をいっぱい覚えた日
避難所の水のカタチや春を待つ

柴田亨
春きざす子らの鞄は重過ぎる
春落葉虫の臥所の賑やかさ
軒下を照らしておりぬ冬薔薇
名を知るやそこここにあるイヌフグリ

上田真美
寒の梅風にゆらされ香りたつ
鬼いるかいないか豆を打つ一歩
本当は鬼かもしれず年の豆
手助けに笑顔をもらう梅一輪

古澤かおる
建国日月面地図を広げおき
月の水いづこに眠る梅の夜
起きてすぐ靴下をはく沈丁花
如月の口を濯げる水固し

牧内登志雄
堰越ゆる雪解の川の速度かな
春うらら美少年てふ美酒のあり
清方の紅の妖しき玉椿
しみじみと春立つ夜の能登の酒

〈選後随想〉耕治
春きざす子らの鞄は重過ぎる 柴田亨
 温かくなるというきざしは、一方でコートを脱いでこの身をさらさないといけなくなる不安を伴う。この句は、春の訪れの複雑さと、現在の子どもたちが置かれている情況が重ねられている。実際に子どもの鞄が重いのは、多くの学校で教科者や勉強道具を置いて帰ることを禁じているからだ。しかし、年年その鞄の中身が膨らんでいく。もちろん、実際の重さだけではなく、子どもの将来は決して軽やかなものではない。「重すぎる」と断じた柴田さんは、断じるだけではなく、鞄の中身を重くしてしまった社会の一員として、どうそればよいのかと思案している。その思案にこそ、春がきざしているようだ。
*大阪教育大学天王寺キャンパスにて。

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