2024年4月28日日曜日

香天集4月28日 渡邉美保、谷川すみれ、森谷一成、湯屋ゆうや他

香天集4月28日 岡田耕治 選

渡邉美保
花ミモザ玉子サンドの黄ぎっしり
櫻蘂降りつむ錆びたパイプ椅子
恋敵となんぢやもんぢやの花の下
花は葉に今日は補助輪はづさうか

谷川すみれ
心中の地に伸び烏柄杓かな
これからのおとぎ話を蓮見舟
老年の大きな声の椎若葉
炎昼の目の玉だけが動きけり

森谷一成
大和三山霞に沈む戀らしき
統合の廃校に坐(ま)す桜かな
はすかいに土手の照準つばくらめ
  十一代豊竹若太夫襲名
春荒れにぶつけ太夫の聲さびる

湯屋ゆうや
春の宵猿の匂ひのするといふ
春疾風に背を任せて帰りけり
春の蚊とぼくだけ降りる車庫の前
段ボールの縁のぎざぎざ春日さす

夏 礼子
友と聴く中島みゆき春の昼
竹の秋ここからひとり通りゃんせ
うしろから呼ばれていたり春落葉
さくらさくら非力のひとりここにいる

柏原 玄
褒められてその気になりし葱坊主
喜びは机上に置けりチューリップ
藤の花ひかり忙しくうすみどり
菜の花やくたびれている吾といて

神谷曜子
買い物の袋の中の春鳴らす
つくづくと兄の半生花蘇芳
連翹につながる記憶ひとしきり
ひらがなのような音立て種袋

宮崎義雄
石鹼の香るチーズや昭和の日
白酒を飲みながら打つ碁石かな
鳥咥え猫もどりくる春田かな
遠足の帰りを急ぐ空水筒

松田和子
参道の茶屋から匂う浅蜊汁
一里塚一番に吹く沈丁花
春昼の旧家をめぐるラリーかな
二階から目線を合わす紫木蓮

松並美根子
菜種梅雨傘を持つかを思案する
八十路過ぐ免許更新万緑へ
春深しひとりの空を見ておりぬ
ありのまま今ここにいて桜舞う

前藤宏子
復興の兆しのごとく茎立てり
コロッケを食べ合う会話花見茶屋
白蝶の視界の中に入る私
炊事好きほ句も散歩も長閑なり

森本知美
フェニックス春の星降る外湯かな
新玉葱舌ひりひりと独りかな
春の浜自転車に来る影法師
菜の花に雨粒光る重さかな

木南明子
若き父桜の下で児をあやす
さくらさくら牡丹桜という桜
蒲公英の何処に飛ぶか考える
音もなく降る一瞬の花吹雪

金重こねみ
ムクムクと声は出さずに山笑う
十一の飛行機雲や春夕焼
しなやかにたくましきかな山桜
そこここに息吹き返す竹の秋

丸岡裕子
花筵昔を姉とあれやこれ
どっさりの買い物の上桜餅
鶯と指さす友は鳥博士
小さくも私の宇宙春の庭

目 美規子
紛争と地震のニュース四月尽
とめどなく四方山話山笑う
養花天覆面パトのけたたまし
ついて出る言葉飲み込む春大根

〈選後随想〉 耕治
これからのおとぎ話を蓮見舟  谷川すみれ
 蓮の花が咲く池の上を進む舟に乗りこみ、これからどんな景色をたのしむことができるのかという期待がまず伝わってくる。「これからの」という句の始まりが、そのことを暗示している。ところが、それは「おとぎ話」なのだというとことが、この句の味わいを深くしている。「おとぎ話」とは、「子どもに聞かせて楽しませるための、空想をまじえた話」〈三省堂国語辞典第八版〉とある。蓮見舟には、子どもが乗っていて、これからはじまる空想の世界を共に楽しもうというところか。これからの物語は、子どもに語るようにしてはじめて成り立つのではないか、そんなすみれさんの思考が背景にある一句。

以上、香天集への投句、ありがとうございました。
*みさき公園にて。

2024年4月21日日曜日

香天集4月21日 三好広一郎、中嶋飛鳥、木村博昭ほか

香天集4月21日 岡田耕治 選

三好広一郎
ポイントの無くても生きて囀れり
春キャベツ私を抱いてくれないか
春やわわ大草原にマヨネーズ
恐竜の骨琴冴える五月来る

中嶋飛鳥
ゆきずりの肩を並べて遅桜
俯瞰する渦を出られぬ花筏
西東忌リードの長さいっぱいいっぱい
傍らに寡黙でありぬ牡丹の芽

木村博昭
てらてらと信楽たぬき春日享く
各駅に停まる日永の海辺かな
黄砂来る仏舎利塔は闇の中
チューリップ自分で出来るようになり

楽沙千子
靴音のついてくるなり沈丁花
思い込み直さず朧月夜かな
花冷えの綻びてきし三分咲
木瓜の花終の住家としておりぬ

嶋田 静
濡れ行けり降りては止める花の雨
おろうそく幾度も消す花の風
花吹雪両手で受けておりにけり
雑草の名前に春を教わりぬ

勝瀬啓衛門
花明り目と目を合わし居たりけり
散る散らぬ空もだらだら花曇
キーボード探る指先新社員
餅草や忘れた頃の腰の丈

西前照子
観光客見送る姿猫柳
おぼろの夜鍵穴照らすペンライト
軒下に今年も一つつくしんぼ

〈選後随想〉耕治
ポイントの無くても生きて囀れり 三好広一郎
 この句を最初に見たとき、「ポイント」を買い物をしたときにカードに付くポイントを想起してしまい、別にポイントがなくても暮らしていけるという程の意味かなと思った。ところが、句会で辻井こうめさんが、この句のポイントというのは、目立つ場所とか定点という意味だと解釈してくれたので、一気に読みが広がった。春、何もポイントがないような場所で、さまざまな雄鳥が雌への呼びかけを行う様子が浮かんできたのである。ヒトの子育ての中では、心理的安全性が大切で、安心して見てくれている定点があるから、いろんなことにチャレンジしていけると言われている。その説から読んでいくと、「定点なんてなくても生きていけるし、恋もできるんだぜ」、そんな広一郎さんの内なる声が聞こえてくる一句だ。
*岬町小島にて。

2024年4月14日日曜日

香天集4月14日 玉記玉、三好つや子、柴田亨、加地弘子ほか

香天集4月14日 岡田耕治 選

玉記玉
飛石にまれびととなる養花天
糸桜ふわりと裏の見えにけり
複雑を易しく語る諸葛菜
鶏とはち合わせたる労働歌

三好つや子
まれびとをもてなす童鼓草
黄砂降る古代文字めく人の影
山葵沢りんりんりりり水走る
組織には馴じめぬマイマイツブリかな

柴田亨
水琴窟大地の静寂満ちており
雨の世の物の怪集う紫木蓮
彼岸西風何もないこと母のこと
山茶花の散り果て天を広くする

加地弘子
揚げ雲雀策略通り揚がりけり
輪っか振る度に飛び出す石鹸玉
艶っぽく蒸し上がりたる春キャベツ
絨毯になりて安寧花ミモザ

春田真理子
教え子を見届け逝けり涅槃雪
連翹や玄関に鳴る土の鈴
あつまりぬ朧の夜の楽器たち
春の雨支える傘のあゆみかな

古澤かおる
絡みつつ紅を帯びたる茨の芽
肉球の黒い斑点春きざす
高齢は歩け歩けと風光る
クルトンをスープに浮かべ春の旅

上田真美
めばる目で往生させてと我に請う
菜の花を感じていたりオムライス
ゼラニウム囲む雑草それも好き
春霖や次第に草の濃く香り

岡田ヨシ子
菜の花を三本貰い散歩する
桜狩テレビの中を何処までも
散る桜シルバーカーが巻き込みぬ
鯉のぼりいつまで生きる早さかな

北岡昌子
山間やうぐいすに耳かたむける
静寂の雪降りそそぐ高野山
朽ち果てた木なり桜の花が咲く

大里久代
見守りし子ら卒業のたくましさ
予報士が何回も見る初桜
吹く風に香りを運びフリージア

〈選後随想〉耕治
組織には馴じめぬマイマイツブリかな 三好つや子
 マイマイツブリはかたつむりの別名で、殻を背負って単独で自由に移動しているように見える。一方、組織は、多くの個人が集まって構成されるものであり、自由よりも集団の規範が重視される。マイマイツブリは、漢字で「舞舞螺」と書くが、組織の中できりきり舞いしていたけれども、それを抜け出そうとする気配が感じられる。規範がなければ組織は成り立たないが、個人にとっては組織に所属することがストレスになる。そのストレスから抜け出そうとするマイマイツブリの姿に共感する。つや子さんが捉えたこのマイマイツブリは、果たして上手く組織を抜け出すことができただろうか。
*岬町小島にて。

2024年4月7日日曜日

香天集4月7日 浅海紀代子、辻井こうめ、佐藤俊、砂山恵子ほか

香天集4月7日 岡田耕治 選

浅海紀代子
白蓮の嘘をつけない高さかな
髪切ってうっちゃている春愁
白椿咲きる傷みありにけり
野遊のいつか一人となりにけり

辻井こうめ
静かなる賑はひにあり藪椿
春ともし影絵の語るごんぎつね
まれびとの依代となる朝ざくら
女性デーのよそにゆらゆら花ミモザ

佐藤俊
春色に濃淡あって生きづらし
三鬼忌の生田の森の水みくじ
七彩の嘘に護られしゃぼん玉
三月のかたちとなって猫の昼

砂山恵子
鳩時計の鳩のいねむり聞く日永
蜂の来る対話の欲しき昼下がり
ぶらんこ漕ぐ町を貫く風となり
ビール箱車止めとす花見かな

宮下揺子
使われぬぐい呑み並べ雛納め
花蘇芳心の蓋を外しおり
しゃぼん玉亡母(はは)との記憶包み込む 
天心の六角堂に春怒涛

吉丸房江
ひ孫生れ枝の先まで桃の花
天満宮梅ヶ枝餅の香りけり
ホーホケキョ目覚し時計より先に
今咲いたパンジーのよう黄蝶々

垣内孝雄
極まりの奥千本を花の茶屋
東京に大学多し夢見鳥
磔のイエスの像や風光る
チューリップまだ見つからぬ宝くじ

牧内登志雄
永訣も邂逅もあり桜咲く
桜咲く急行列車停車駅
花明り枕屏風の春画めく
花疲れ盛り蕎麦一枚酒二合

秋吉正子
満開の桜よ母は再入院
犬にある掛り付け医と春に入る
杖二本残し旅立つ春の宵

川村定子
東風吹いて破れ幟をはためかす
大小を問わず新芽は今盛り
ゆくりなく大樹の花の二分咲きに

〈選後随想〉耕治
春ともし影絵の語るごんぎつね  辻井こうめ
 いたずらばかりするごんぎつねは、兵十の母の死をきっかけに、償いの気持ちから兵十の家に毎日食べ物を届ける。ある日、ごんが家の中に入っていくのを見掛け、火縄銃でごんを撃つ。兵十は土間の食べ物を見て、毎日届けてくれていたのがごんだと気付く、そんな物語が「春ともし」の中で繰り広げられた。小学校の子どもたちがはじめて出会う本格的な物語は、今も人々の記憶の中に生きている。絵本を愛するこうめさんならではの一句。
柏原市高井田にて。