2024年9月29日日曜日

香天集9月29日 辻井こうめ、森谷一成、夏礼子、谷川すみれ他

香天集9月29日 岡田耕治 選

辻井こうめ
おはなしに挿むしりとりねこじゃらし
どんぐり付けカラー軍手の指人形
糸瓜忌のプレーンオムレツふはふはに
新札が釣りに一枚良夜かな

森谷一成
私を踏みしめながら法師蝉
新涼の洗濯ばさみ摑みけり 
腫物のふくれてきたる九月かな
ことごとく音を外せり猫じゃらし

夏 礼子
居酒屋のされどトマトと出されけり
秘密裡に明日を運ぶ蟻の列
聞くだけの話そのまま赤のまま
廃校の雲梯にくる赤とんぼ

谷川すみれ
朝露で洗っていたり誕生日
突然に目の前にあの秋の蝶
薄原見知らぬものの後に付き
沸点の近づいており蓮の実

柏原 玄
語らうにコスモスという聞き上手
遠き日の吾をもどして牛膝
主義主張ほどき帰燕のかたちかな
身にしむや求めて源氏物語

加地弘子
河鹿笛奥へ奥へと澄みゆきぬ
遠き日の簡単服の蝶結び
岩清水祖母は掬って眼を洗う
蟋蟀の転がり出でて竹箒

宮崎義雄
長居する父を迎えに秋祭
海鳥と並行に航く鰤起し
ガザにあるや渡り鳥には帰る場所
一品は鰯の造りガード下

前藤宏子
颱風や雨の後に伏魔殿
浮雲や守る人なき墓洗う
キチキチや仕事楽しとメール来る
秋夕焼レスキュー隊の訓練に

安部いろん
灯心蜻蛉悪口は影で言え
月の道辿り夢みる捨人形
美しき幹に始まる虫の闇
剥がしたる鱗の中に秋の雲

森本知美
野分過ぐ青空に吾取り戻す
面影を残す同窓秋の空
鳳仙花はじけ現の無常かな
動かざる台風の闇老いてゆく

松田和子
姉偲ぶ桔梗となりし深空かな
コオロギとどっちが先か睨めっこ
コスモスや絵にそそらるる里の古寺
鬼灯を口に含ませ鳴らしおり

中原マスヨ
プラレール十五両継ぎ盆休み
友だちの誕生日なリ終戦日
踏切のカンカンを見る夏休
カミナリと名のつく大き花火かな

丸岡裕子
新涼や庭の蕾が色を増す
探し物見つからぬまま秋の雨
カレンダーの子猫の目なる秋思かな
秋の海白い奇岩の歴史見る

河野宗子
黒ズボン盗人萩の実をつけて
黄泉の道さみしく無いと彼岸花
産室につぶらな瞳羊雲
秋の蚊にさされて終わる夕餉かな

金重こねみ
緑蔭のほどよき風の高さかな
台風に名づく狼少年と
吹き抜けるそばから解く結葉よ
根かぎり生きし弟吾亦紅

松並美根子
息吸って吐いて近づく秋の声
鳴物やだんじり祭を近づける
なびく穂を大河と見たり芒原
白萩の咲き初む庭や鐘の音

目 美規子
新調の鰐口鳴らす秋の朝
ドアノブにランチ完売秋桜
最後まで答えの出ない残暑かな
日薬が入りそこねてちちろ鳴く

石橋清子
挨拶のかわりにつづく蝉の声
食欲に振りかけており紅生姜
ゆっくりと祖母を偲べりおみなえし
太陽に干されていたり夏野菜

〈選後随想〉 耕治
 オランダの歴史学者ホイジンハは、文化は遊戯の中に始まるとし、遊びはあらゆる文化よりも古いと主張した。この主張は、それまでおとしめられていた遊びの価値を一気に引き上げたと言われている。(『ホモ・ルーデンス』中央公論社)
 どんぐり付けカラー軍手の指人形 辻井こうめ
この句では、ドングリを指人形に付けるという具体的な動作が目に浮かび、遊びの楽しさを想像させてくれる。軍手というと、作業の際にはめる白いものをイメージするが、「カラー軍手」という、思いもしなかった色つきの軍手が、「指人形」という遊びに結びついた。子どもだろうか、演じ手だろうか、ドングリをカラフルな軍手に付けて、指人形を操っている様子が目に浮かぶ。子ども自身が遊ぶこともそうだが、指人形を演じる大人を観ることも遊びだ。それは、文化の、そして芸術のはじまりの地点へと私たちを連れていってくれる。秋の自然と遊びが繊細に結び付けられた、こうめさんならではの一句だ。
*鳥取県倉吉駅にて。

2024年9月22日日曜日

香天集9月22日 湯屋ゆうや、木村博昭、砂山恵子ほか

香天集9月22日 岡田耕治 選

湯屋ゆうや
ひとりづつ顔を見ながら梨を剥く
友の句をくりかへしつつ髪洗ふ
音止んで稲刈の人休まれし
水彩の緑を迷ふ蝉時雨

木村博昭
誤字脱字千年を経てきらら虫
数式のとおりに熟れる葡萄棚
長文の判決理由天高し
新米の銘柄もまた新しき

砂山恵子
笑ひ出し止まらぬ風よ新走り
栗拾ひつかずはなれず兄を追ひ
林檎剥く心を我に戻すため
父と子の何も言わない夜食かな

神谷曜子
花火師のどっしりはずむ笑顔かな
初秋の水に近寄り水を見る
近くても行けない名の木散りにけり
八当たりかわさんとする椿の実

秋吉正子
コロナより便りの届く日々草
秋めくや少し厚めの本を借り
残り湯のぬくさ嬉しい秋の朝
行く秋の言葉懐かしういろうよ

川村定子
台風の巨岩飲み込む波頭
天高し空一点の辱もなし
物干に握るとこなし炎天下
盛り上がる新樹輝く千寿の根

西前照子
山里の名物として柿のれん
夜近しそれぞれ競う虫の声
秋彼岸約束まもる墓参り
除草剤枯れていたのにまた新芽

大里久代
戦没者追悼式の体育館
朝からつくつくぼうし出番くる
六十五年過ぎて残暑の同窓会
クーラーを切る間もなくて秋暑し

〈選後随想〉 耕治
友の句をくりかへしつつ髪洗ふ 湯屋ゆうや
 髪を丁寧に洗っていると、友人が詠んだ句が何度も浮かんでくる。ゆうやさんは、友人の句に共感し、その句に自分自身を重ねていく。一句には、髪を洗うという日常的な行為と、友人の句を反芻するという精神的な行為が取り合わされている。髪を洗うことで心身ともに清められ、新たな自分へと生まれ変わるような、そんな再生への手掛かりが、友人の句にあったのかも知れない。私たちは「香天」というコミュニティで俳句を読み合っているが、ここはこの句のように、お互いの人と句が響き合い、交信し合っている磁場なのだと感じさせてくれる。
*「花曜」終刊号。六林男師の似顔絵は、小笠原健介さん。

2024年9月15日日曜日

香天集9月15日 玉記玉、渡邉美保、三好広一郎、柴田亨ほか

香天集9月15日 岡田耕治 選
玉記玉
肩凝のかたちに花梨熟れてゆく
秋の蝶一瞬金を曳きにけり
蒲の絮刻は内側から熟れ
水音の端に我あり獺祭忌

渡邉美保
家中の蛇口を磨く厄日かな
無気力なメロンパンある秋の昼
スニーカー並べて干せば小鳥くる
跫音のぺたぺたとくる熱帯夜

三好広一郎
草紅葉所どころにマヨネーズ
名月や言われなくとも梯子出す
地球から飛んで柿盗る遊びかな
主題歌はラストだなんて月見草

柴田亨
蜘蛛の巣のわずかな震え九月来る
秋潮の夢を見ている暗渠かな
ガラス光蜘蛛の囲の小銀河
墓碑銘は太陽の塔月は眉

佐藤静香
いくさなき世を八月の赤子かな
空爆のあるとなきとに鰯雲
AIの作りし俳句虫集く
爽やかや駅の広場のブレイキン

宮下揺子
ほつほつと記憶を辿る金魚糖
片減りの母の下駄履き魂迎え
向日葵に埋もれていたり老年期
秋暑し丸木位里・俊「原爆図」

楽沙千子
穂芒やナップザックを軽くする
雑草に足をとられる野分かな
コスモスや声をかけ合うことの増え
燈火親し外の空気をとり入れて

上田真美
空蝉を並べて撫でる小さき指
ホースの水幾筋も虹架けながら
ひぐらしが鳴いて静寂訪れて
秋灯どう生きたかを語る水

岡田ヨシ子
半袖をたたんだままにケアハウス
残る暑さ消えるのを待つカーテンよ
台風の行方毎日手を合わす
孫が来る敬老の日の洋菓子と

秋吉正子
さるすべり一週間が早くなり
晴れマーク並んでいたる葉月かな
アルミ缶ズンズン溜まる夏休み
夏草に埋もれてしまう滑り台

勝瀬啓衛門
弾け飛ぶ壊れた数珠や稲雀
いざよひや仕事の後の待ち合わせ
脚長の歩幅で歩く秋の朝
片目開け猫は動ぜず秋真昼

西前照子
夏の雨一息をつく命かな
青胡瓜雨が欲しいと悲鳴あげ
熱中症と分からぬままに草を引く
焼鳥の串の本数帰省の子

北岡昌子
百日紅傘寿と喜寿の家族旅行
木々の間の茜に染まる夏の朝
夕べからつくつくぼうし始まりぬ
車中から鹿を見つける剣山

〈選後随想〉 耕治
水音の端に我あり獺祭忌  玉記玉
 水音は生命の象徴であり、それ故に死というものを意識させる。その「端」という位置取りによって、生と死の対比がより露わになっている。水音の際にいる「我」は、自然の一部となり、個としての意識を解き放とうとしているかのようだ。正岡子規の没日である獺祭忌(だっさいき)によって、若くして結核を患いながらも、文学活動に情熱を燃やし続けた子規が、自然の中に身を置き、静かに思索を深めている様子が浮かんでくる。子規は晩年、病床で多くの時間を過ごしたが、その姿はまさに「水音の端」にあったのではないか。水音は、生と死、時間と永遠といった対立する概念を繋ぐ象徴として機能しているようだ。玉さんこの位置取りに注目する。
*岬町小島にて。

2024年9月8日日曜日

香天集9月8日 浅海紀代子、三好つや子、中嶋飛鳥、前塚かいち他

香天集9月8日 岡田耕治 選

浅海紀代子
三日月の方へ夕景定まりぬ
老いてゆく身体の火照り夕かなかな
後ろから足音の絶え月の径
秋暑し猫のごろ寝を跨ぎもし

三好つや子
手のひらに九回裏のトマトかな
天地の声を零すや稲の花
九月来る広重ブルーの雨の音
分かる振り分からない振り秋桜

中嶋飛鳥
星涼し帆柱の鳴る船溜り
起きぬけに心経を誦み外寝人
髪解けば珈琲匂う夜の秋
台風裡ベートーヴェンを大きくし

前塚かいち
ラムネ玉居場所はここと決まりけり
爽涼の喜びを知るハーモニカ
ウクライナ今日は八月十五日
サンダルや島と別れる日の来たる

春田真理子
乱筆は蚊帳吊草に隠すべし
蝉骸あつめて流す手の白し
まれびとの朱膳に注げるひやおろし
ゆるゆるとふり返り舞ふ秋の蝶

古澤かおる
キンチョーの鶏と兄弟バッタ追う
橋の闇潜り抜けたり秋の風
水有りて朝の始まる秋祭
湯を落す匂いを放つ夜長かな

北橋世喜子
白百合の蕾膨らみ雨上がる
かき分けて探し出したるかぼちゃ玉
まるまると蔓枯れてくるかぼちゃ玉
睡蓮の真下に映る倒影よ

半田澄夫
下校児の傘のホッケー梅雨晴間
梅雨を来て企業戦士の傘の銃
黒南風や点滅信号渡りきる
サイレンの次第に大き熱帯夜

橋本喜美子
初蟬の二声鳴きて止みにけり
野良猫に呼び止めらるる木下闇
紫陽花の木蔭は白き花咲けり
蛍袋賢治童話の明かりなり

中島孝子
蕗の葉を丸めて注ぎ水を飲む
グラス二個並べていたり紫蘇ジュース
庭の闇一輪伸びる花菖蒲
梅雨晴間幼のはしゃぐ水溜まり

嶋田 静
亡き母の好みし柄を藍浴衣
糸とんぼガラス戸ごしに見つめあう
捨てられぬ昔の友の夏見舞
花氷手を当て姉と笑いし日

石田敦子
洗濯機不具合のまま梅雨に入る
それぞれの色に香れり百合の花
注文のアマゾン届く梅雨の朝
吹き抜けに風が集まる薄暑かな

垣内孝雄
白秋や鴉のやうに歩き出し
鶺鴒の歩ける様を見守れる
盆の月馴染の店の手酌にて
赤とんぼゆるりとかへす太子道

上原晃子
油蝉転がつてゆく声のなく
宿灯り次第に消へて蛍火よ
七夕の子の願ひから青空へ
雨の中クリームがかる山法師

牧内登志雄
稲子煮る匂ひのありて母の夢
涼新た柱時計は八日巻
昼酒の客人二人野分来る
銀漢や湖を大きく渡る舟

東 淑子
病院に心地よく吹き南風
五月雨の一粒落ちて笹の上
見ていたり百足真っ直ぐ行く廊下
賑わいぬ茄子持ち寄る手料理に

〈選後随想〉 耕治
老いてゆく身体の火照り夕かなかな 浅海紀代子
 不調や衰えを感じ老いていく身体にも、微かな火照りを感じることがある。早朝に鳴いて止んでいたかなかなが、日暮にまた鳴き出した。夕暮れは一日が終わる時、かなかなの鳴き声は暑さ終わりを告げるように、人生の終わりを暗示している。老いに対する不安や焦燥感、あるいは諦観などが、火照りという表現によって反転し、老いは止められないけれども、一日一日に命の輝きを感じ取ろうとする浅海さんの姿勢がうかがえる。火照りという感覚、かなかなという聴覚、夕暮れの視覚など、五感を呼び覚まされるような描写にも注目したい。
*岬町小島にて。

2024年9月1日日曜日

香天集9月1日 谷川すみれ、夏礼子、森谷一成、柏原玄ほか

香天集9月1日 岡田耕治 選

谷川すみれ
くろがねの棒を立てたり芋嵐
女とか男とかではなく桔梗
このところ合わせ鏡の葉鶏頭
死者の家満月だけが燃えている

夏 礼子
昼顔の音なき吐息ありにけり
フォルテにも緩急のあり蝉時雨
立秋の風よ騙されてみようか
ユニフォーム胸の漢字に汗しとど

森谷一成
田に老ゆる未練の汗のひとぬぐい
ものぐさの男ひりつく夏大根
岩鼻の灼かれ碩学やせさらばう
スクワットの股で待ちうけ西日の矢

柏原 玄
ひととせを素直に生きてねじれ花
幸せはローつなる川床料理
戦前に生れて八月十五日
三センチ縮みし身丈男郎花

浅海紀代子
一人居の気ままを許す暑さかな
炎天を切り裂きし音突っ走る
緑蔭に吹かれるままに老いにけり
猫眠る路地のよろず屋夕涼し

前藤宏子
骨を抜く一手間うれし鱧のちり
蚊の鳴いて耳すれすれに通り過ぐ
他国へと出る語部の原爆忌
太陽に焦げて止まりし蚯蚓かな

辻井こうめ
中有の木靴の響き秋茜
亡き人の分まで飲めり百日紅
うつしみの身体何度も汗ばめる
頁繰る音を赤子の良夜かな

宮崎義雄
秋暑し箪笥に埋まる妻の服
オーダーのビールを盆に黒ベスト
丼に混ぜてかき込む冷奴
使われぬダッシュボードのサングラス

木南明子
赤蜻蛉影を率いて低く飛び
ブンブンに選ばれているさるすべり
さるすべり伐られブンブン鳴りはじむ
墓で会うことの久しくさるすべり

小﨑ひろ子
秋の風折畳傘うら返り
野分来て休みの朝のココアかな
歩み遅き野分の間のきりぎりす
烏啼く蝉の殻転がる先に

松田和子
浮雲の流水光り梅鉢藻
空港や管制塔の秋灯
盂蘭盆会うたた寝に聞く父母の声
酔芙蓉夕べの色を残しけり

森本知美
愛の讃歌メールに届き朝曇り
盆潮に乗りて供物の行き戻り
秋に入る政治批判の拡声器
木に登る冬瓜雲に出会うまで

目 美規子
留袖の記憶それぞれ虫干す
言い訳じゃないよと添えて鰻食む
父の顔知らず八十路の終戦日
言葉尻拾いあいたりさるすべり

松並美根子
竹藪の水の中まで秋めきぬ
食欲を捜していたり鰻の香
言えば消え思えば悲しさるすべり
秋の水今のことさえ忘れゆく

丸岡裕子
一葉も揺るがずに蒸す夏の朝
向日葵や迷路の出口きっとある
姿なき夏鶯の声しきり
消えぬ間に虹をお供に帰ります

金重こねみ
酔芙蓉文字に苦楽を看る女
勝ち負けをリアルタイムで見れぬ夏
雲の峰眼のメダルに映る金
峰雲に吸い寄せられし弟よ

河野宗子
またひとり消えてゆくなり心太
夕方に肩をたたかれ鬼やんま
夏枯の花それぞれの留守にあり
病とのたたかいを終え虎が雨

田中仁美
夏の朝生まれくる子のものを干す
熱帯魚腹ふくらませ泳ぎけり
胎動をカウントしたり夏木立
ドンドコと腹を蹴る子や柿若葉

石橋清子
風わたりフラダンスめく青田かな
鬼ごっこ桑の実踏みしスニーカー
ひっそりと香りうれしき百合の花
月下美人眠気まなこに匂い立つ

中原マスヨ
田植えあと卵静かに動き出す
盂蘭盆の家族で囲む煮物かな
初盆や機上の友は鹿児島へ
下駄箱に友の花火の置かれけり

大西孝子
夜空へと微笑み返し盆灯篭
道筋を照らしてくれる盆灯篭
月明かり二人寄り添う静かさよ
乗り越えて新しき道蘭かおる

〈選後随想〉 耕治
女とか男とかではなく桔梗 谷川すみれ
 この句は、個々人の性別や属性を超えて、人はあるがままでいいのだという存在の肯定を、桔梗というモノを通して表現している。秋の澄んだ空気の中で咲く桔梗の姿は、人々の心を惹きつける花であり、自然の一部としての力強さや生命力を感じさせる。「女とか男とかではなく」という表現は、性別の枠にとらわれない、自由な心の象徴と捉えることができる。「自由」というのは、文字どおり「自分が自分である理由」というほどの意味である。言葉の装飾を削ぎ落とし、対象そのものを際立たせる、すみれさんの洗練された表現技法を感じることができる。この句を通して、私たちは自然の美、生命の力、そして言葉の持つ可能性を再確認することができる。
*泉佐野市にて。