2024年11月24日日曜日

香天集11月24日 玉記玉、木村博昭、古澤かおる、加地弘子ほか

香天集11月24日 岡田耕治 選

玉記玉
舞茸となるまで舞ってみることだ
削ぐことば残す言の葉いぼむしり
空けておいてね闇鍋の席ひとつ
考えないって難しい湯たんぽ

木村博昭
実を飛ばし蓮は素直になりにけり
柿赤し空襲のない青い空
薄原このまま消えて仕舞うとす
石棺に深き傷痕木の実降る

古澤かおる
引っ詰めの音楽教師おでん酒
片減りの擂粉木なじむとろろ汁
一辺のくれない強き枯野かな
代議士の似顔絵ぎんなんの匂う

加地弘子
冬の蝶一周りして止まりけり
路地の中低く飛びゆく冬鴉
朴落葉踏みて小さく歌い出す
空腹に寒紅全て落としけり

砂山恵子
別れゐて一駅ごとに深き霧
画用紙のしめるにほひや冬隣
選挙カー去りて落葉の街となる
枯れし枝それでも空を向いてをる

嶋田 静
コスモスの強さが欲しい誕生日
サーシマショウ声のかすれる太鼓台
蝶に似し銀杏一葉をみやげとす
金色の蕊の重たき茶の花よ

神谷曜子
菊日和はらからにあと何度会う
秋祭神様の道掃き清め
卒業の名簿の森や秋の雲
冬に入る化石図鑑をつくづくと

安部いろん
ユトリロの「コタンの小路」桐一葉
野良猫のそれなりの町小六月
クリムトの女返り花暗示して
帰り花ローゼンハンのなりすまし

秋吉正子
野地蔵の帽子に夏の続きけり
コスモスの風よ良き日になりそうな
本当のことは言えない彼岸花
五年ぶり秋刀魚定食待っており

川村定子
供ふ物なきに我が家の月明り
かなぶんの足の動くに塵箱へ
秋ともし胸の上にて指を組み
秋の蝶憩わずに草渡りゆく

大里久代
虫の夜画面に母校映りけり
一箱の梨が届きぬおすそ分け
バクラ編むクラフトテープ夜長し
これ以上浮かばなくなる彼岸花

北岡昌子
文化の日あの世に住みて五十年
地車のヤソーリャソーリャと駆け抜ける
新米の届くをずっと待っており
松茸の味も香りもよく噛んで

西前照子
カレンダー千切り残暑の過ぎゆくか
手作りの月見団子を供えけり
塗り椀に沈めし月見団子かな
彼岸花咲くを待ちたる風のあり

〈選後随想〉 耕治
柿赤し空襲のない青い空 木村博昭
 熟れた柿の赤色は、生命力や豊穣を象徴する一方で、作者の心の奥底にある感情を映し出しているようにも思える。対比的に置かれている「空襲のない青い空」は、単に平和な日常を表しているだけでなく、博昭さんの心の揺れ動きを表現しているように感じられる。つまり、平和の象徴としての青い空だが、この空にいつ何時空襲が始まるかも知れない。柿の真っ赤な実は、まるで爆弾のように見えてくる、そんな複雑な感情が凝縮されている一句だ。

引っ詰めの音楽教師おでん酒 古澤かおる
 「引っ詰め」は、髪を後ろで束ねて結わえるかたち。それは、この教師の仕事に対する真摯な姿勢や、多忙さを抱えている様子を暗示している。音楽教師はそれぞれの学校に一人だけ配置されることが多く、精神的にも負担のかかる仕事だ。音楽室での授業に心をくだき、生徒の指導や進路指導など、様々な責任を伴う仕事をこなした一日。引っ詰めた髪をそのままに、おでん屋の暖簾をくぐった教師をかおるさんは目に止めた。あるいは、かおるさん自身の姿なのか。酒は、常に新しい音楽に触れ、生徒にそれを伝えるための燃料なのだ。
*岬町小島にて。

2024年11月17日日曜日

香天集11月17日 渡邉美保、柴田亨、三好広一郎、湯屋ゆうや他

香天集11月17日 岡田耕治 選

渡邉美保
初しぐれロバ曳く人とすれ違う
水面より暮れはじめけり龍の玉
転生を考えてゐるきりぎりす
椿の実姉は絶対あやまらない

柴田亨
櫨紅葉ふと紛れ込む君のこと
肩車諦らめた日よ秋高し
母がよく使いしポスト冬ぬくし
もう白い山茶花何を準備する

三好広一郎
渋滞や押し寄せてくる鰯雲
芒捨て薄を活ける青畳
ほんとうのことはいわない蚯蚓鳴く
はぐれては身に沁む点に鵙の声

湯屋ゆうや
朴落葉投票箱の小さき穴
売りし家の南天の実はたわわなるか
ぼんやりとカーデガン着る待合室
冬暖か平飼い卵の紙容器

宮下揺子
消息の消えて久しや烏瓜
病得て嗜好の変わるむかご飯
逝き方を話して帰る石蕗の花
秋真昼箪笥に籠る亡母の香

前塚かいち
秋灯や別れられない人ばかり
瑕跡をそのままにして山眠る
温めるパックのご飯文化の日
保護猫と今いる不思議秋の暮

半田澄夫
魂に法被を着せる秋祭
紙吹雪色なき風を桃色に
写生会勝負のブルー秋澄めり
荒れ庭の変化を待てり今朝の秋

北橋世喜子
米を研ぐ当たり前にも力込め
羽音せずちょっと帽子に赤とんぼ
荷を足で抑えベル押す玉の汗
ずいき煮る鍋ぶた踊り始めたる

中島孝子
虫時雨袋の音と競い合い
羊羹に添えし笑栗客迎え
青の月一番電車待つホーム
雲早くなり十六夜の月が好き

橋本喜美子
遠目より黄色くっきり女郎花
花茗荷ことし最後の甘酢漬
復興の能登に厳しき秋出水
口の中鳴らして遊ぶ鬼灯よ

上原晃子
鉄塔を仲良く見上げ曼珠沙華
秋夕日ひつじの群の遊びをり
秋の蝶起こした土を嗅いで行く
芋の葉の露を両手で転がしぬ

石田敦子
独りの卓同時におこる虫時雨
秋祭終わりいつもの虎の尾よ
残る蚊に刺され痒みの強くなる
夢の中父が現はる新走り

東 淑子
垢すりを祖父が作れる糸爪かな
生けるたび混じっていたり菊の花
ふうふうと食べ合っているさつまいも
十匹の燕飛び立つ秋の空

〈選後随想〉 耕治
転生を考えてゐるきりぎりす 渡邉美保
 大阪句会に出されたとき、この句は「転生を考えている枯蟷螂」で、5人の人が取った高点句だった。久保さんから「枯蟷螂」を何とかするともっといい句になるとアドバイスがあった。私からは、多くの人に取られた句を変えるのはパワーが要るけれど大事だと申し添えた。美保さんが出した答えが、この句。きりぎりすは、芭蕉が「むざんやな甲の下のきりぎりす」と詠んだもの。原句では、枯蟷螂の「枯」が邪魔をしていたが、すっと入ってきてイメージを拡げてくれるようになった。きりぎりすは、他の虫と較べても触覚が長く、眼もこちらを見ているようについている。「転生」とは、生まれ変わることだから、命の連鎖を感じさせてくれる言葉。それと、短い一生を送るきりぎりすの対比が印象的な句になった。転生を考えているのは、作者か、きりぎりすか。どちらを取っても、読み手はきりぎりすの視点からこの世を見つめることができる。
*岬町小島にて。

2024年11月10日日曜日

香天集11月10日 三好つや子、佐藤静香、春田真理子、砂山恵子ほか

香天集11月10日 岡田耕治 選

三好つや子
秋深しえんぴつの木の物語
蔦紅葉オカリナみたいな人と会う
柿すだれ私の中の母の指
秋刀魚焼く昭和の空が振り向いた

佐藤静香
ハードルを超ゆる筋肉天高し
砲丸のどすんと着地秋澄めり
白菊やたましひ城にしづまれり
露日和剝落著き仁王像

春田真理子
蟻を追う小さき眼にある世界
青天の一片を切り柿を穫る
鈴緒振り清秋の天揺らしおり
紅葉ふる高足駄の音すなり

砂山恵子
笑ふのに理由はいらぬ新走
白萩やかつて行幸ありし寺
新米と楷書で書きし宅急便
虫集くコピーの束の淡き熱

秋吉正子
野地蔵の帽子に夏の続きけり
コスモスの風よ良き日になりそうな
本当のことは言えない彼岸花
五年ぶり秋刀魚定食待っており

岡田ヨシ子
秋桜テレビの前に鑑賞す
秋日和海岸行きのバスが過ぎ
麦を蒔く遠き思い出母の歳
冬隣半袖姿通りけり

牧内登志雄
昨日より秋を濃くする朝かな
江戸前の尻端折りや鴨の陣
ほろ酔ひで担ぐ熊手の稲穂かな
香り立つモカコーヒーや霜の朝

川村定子
供ふ物なきに我が家の月明り
かなぶんの足の動くに塵箱へ
秋ともし胸の上にて指を組み
秋の蝶憩わずに草渡りゆく

大里久代
虫の夜画面に母校映りけり
一箱の梨が届きぬおすそ分け
バクラ編むクラフトテープ夜長し
これ以上浮かばなくなる彼岸花

北岡昌子
文化の日あの世に住みて五十年
地車のヤソーリャソーリャと駆け抜ける
新米の届くをずっと待っており
松茸の味も香りもよく噛んで

西前照子
カレンダー千切り残暑の過ぎゆくか
手作りの月見団子を供えけり
塗り椀に沈めし月見団子かな
彼岸花咲くを待ちたる風のあり

〈選後随想〉 耕治
秋深しえんぴつの木の物語 三好つや子
 秋の深まりは、一年が終わりに近づき、自然が休息に入る様子を連想させる。そこにつや子さんは、「えんぴつの木の物語」なるものを置く。鉛筆になるために伐採された木は、長い年月をかけて成長し、様々な経験をしてきた。その木の生きた証を、私たちは鉛筆として手にすることになる。鉛筆はまた、私たちのアイデアや感情を形にするための道具だ。鉛筆というモノを通じて、私たちが創造性を育み、表現してきた営みを暗示しているにちがいない。
*岬町小島にて。

2024年11月3日日曜日

香天集11月3日 夏礼子、玉記玉、森谷一成、辻井こうめ他

香天集11月3日 岡田耕治 選

夏礼子
酔芙蓉大禍時を待ち合わす
鰯雲忘れていたること思う
烏瓜うしろの影が濃くなりぬ
釣瓶落し見知らぬ人と隣り合い

玉記玉
柿噛めば柿の音する空の中
秋刀魚焦がした晩年近づいた
かなかなかな友は青くて青いまま
蝋燭と木の実と姑を寝かす

森谷一成
肌色の交り合うなり鰯雲
  袴田巖さん雪冤
本当はでつぞうと読む無実なり
どすの利く声のまぢかに芒原
オムレツの家をとびだし良夜かな

辻井こうめ
少年の一人サッカー空高し
隣席が友の始まり木の実降る
淡白な付き合ひも良し花芒
なだらかな山の形して秋の雲

谷川すみれ
眠るにも体力がいる大晦日
したたかにさらす素肌や枯欅
利き足を前に置きたり去年今年
寒紅の戸籍を変えておりにけり

柏原玄
いくつかの横文字を得て吾亦紅
薄野や道は臥しゆく風にあり
水澄むや来し方をつと立ち止まる
残菊の時に臨みし香なりけり

中嶋飛鳥
鵙の声晩学の背を囃しおり
又候のマイクの声と泡立草
木守柿灯す窓あり郷(くに)のあり
憑代の鼓動をたどり蔦紅葉

佐藤俊
秋曇天追憶という悪しきもの
ひとふでがきの善意と悪意夜長かな
秋夕焼天にいちばん近い時
露草の今日の夕べは透きとおる

前藤宏子
秋霖や街にひとつのストア消え
骨密度高まりそうな秋日和
魂が抜けたのかしらすすき白
朝露や今日より若い日はあらず

安部いろん
蟋蟀の複眼戦争の予感
釣瓶落しもつれる退社時間
終電へ秒針滑る秋蛍
月笑うとも髭の男は四代目

楽 沙千子
自転車の速度の色に草紅葉
線香の幽かにのぼり暮早し
鱗雲体操服のよく乾き
メモ帳は手付かずのまま秋寒し

宮崎義雄
コスモスと話していたり細き肩
特売の光る秋刀魚の黒目かな
軒先に腹を開かれ鮭二匹
呼び込みの弾んでいたる今年米

森本知美
おとこおんな全て忘れる秋祭
新米を呉れる弟恙なく
何処迄も川と虫の音ありにけり
夕茜紡績跡の赤とんぼ

石橋清子
一絞りすだち漂う夕餉かな
押し花のしおりの香るラベンダー
待ちかねしつくつくぼうし風の中
もろこしや北の便りに息をつく

垣内孝雄
小春日和スワンボートを漕ぎ出せり
今朝の冬五峰をわたるちぎれ雲
山茶花や古刹に並び師弟句碑
さいかちの黒き実をもて里の山

松並美根子
淋しさと気楽さ寄せる曼珠沙華
なるほどの紅葉日和となりにけり
真っ直ぐの道まっすぐの稲穂波
秋暑し花も野菜も切れぎれに

松田和子
朝市の強面の鮭描きたし
ジャムにするは姉の口癖柿をもぐ
赤い羽へしゃげた屋根の雨の中
稲雀風を進める行者達

丸岡裕子
迷走のあるがままなリ台風裡
小さき月宇宙の片隅から仰ぐ
太陽の塔へ再び登高す
秋すだれ人の生死を隠したり

木南明子
庭中を片付けました十三夜
いつ死ぬかたずねていたり秋の雲
骨折の体引きずる秋暑し
月沈みテレビ放送動きだす

目 美規子
月を見る思いは千差万別に
心地良き風と満月独り占め
菊花賞栗毛の馬に大歓声
萩の影かぐや姫いる気配かな

金重こねみ
クーラーに勝る癒やしよ翔タイム
顔知らぬ母の青春知る墓参
いっそのこと栗名月も見んとこか
鍵穴にスッと入らぬ秋の暮

勝瀬啓衛門
掘るよりも珠芽摘み取る零余子飯
虫除けの残り香秋の更衣
牧閉すカウベル止んで風野原
重たげな銀杏黄葉の小判かな

〈選後随想〉 耕治
酔芙蓉大禍時を待ち合わす  夏礼子
 酔芙蓉は、朝は白く、夕方には紅く色を変える花として知られている。その美しさは、移りゆく時間のはかなさを象徴しているとも捉えられる。一方、「大禍時(おおまがとき)」は、大きな災いの起こりがちな時刻の意から、夕方の薄暗いときを表す(大辞泉)。逢う魔が時とも書く。礼子さんのこの取り合わせは、読み手に生と死を同時に意識させる。現在の気候変動は、異常な暑さや豪雨となって表れ、この星に生きることのはかなさを感じさせ、大禍時であることを予感させる。そんな大禍時の酔芙蓉の色は、私たちが生きている間にも、喜びや悲しみ、様々な出来事が刻々と変化していくことを暗示しているのかもしれない。だからこそ、待ち合わせて誰かと会いたくなるのである。
*伊丹市立ミュージアムにて。