香天集12月29日 岡田耕治 選
辻井こうめ
片寄りし弁当箱の小春かな
白味噌の雑煮に馴染み漆塗
剥く蜜柑そのままにして聞き役に
青葱の飛び出してありエコバッグ
夏礼子
琴の音の戻って居たり石蕗の花
抱擁の耳を澄ませよ龍田姫
青空を降ろして来たり吊し柿
枇杷の花傘を傾けすれ違う
中嶋飛鳥
冬の虹いつも死角に父と母
少しずつ泣き貌見せる雪だるま
狐火や火種となりて燃えのこり
枯葉うち連れ銀行の自動ドア
谷川すみれ
ポインセチア最後のドアの見えてくる
十二月音なく終わる砂時計
冬日向仲間と眠る零歳児
間がもたぬ体操服の落葉掻
柏原玄
あっち向いてホイ現世の日向ぼこ
而して勤労感謝の日の遊山
折折に六林男の言葉冬北斗
二度死んでみたくなったと返り花
砂山恵子
マフラーし次の言葉を探りをり
冬うらら窓から窓へ糸電話
交通課待合室の聖樹かな
言ひ出せぬまま風呂吹の湯気消えて
前藤宏子
捨案山子守るものなき空を見る
吊革の揺れ揃いたり小六月
散る枯葉見届けている風のあり
今日始む羽毛蒲団を蹴り上げて
宮下揺子
川音の一段高し赤のまま
秋の夜アマゾンで買う誕生花
花八手乗り越えられぬこと多し
湯冷ましに湯を満たしおり忍冬忌
神谷曜子
好天や噂の好きな烏瓜
山眠る準備の音のせりせりと
十二月八日鳥打帽の父
明日へと続く紫星居てる
楽沙千子
着ぶくれて暗算遅くなりにけり
寒灯下筆先のはね定まらず
耳と目に充たせり冬のコンサート
なじみたる紀州茶粥や冬至の日
宮崎義雄
トンネルの錆の匂いや藪柑子
猫の毛の残る毛布を干しにけり
捨てられぬ冬靴下の褪せしもの
寸劇を終えて聖菓の列にいる
河野宗子
寒鰤や水の瀬音のよみがえる
まず外の空気に当たり冬の空
甘鯛や有馬離宮のお献立
ジャズを聴くナイトステージ寒椿
金重こねみ
儘ならぬ帯皺一つ秋袷
凩が喉の奥にもありてヒュー
極月や買物プラン総崩れ
ちゃんちゃんこ着れば落ち着く針仕事
安部いろん
憂うため比べたりして着膨れる
生の記憶乱反射する霧氷林
少年の殺意久しく冬薔薇
奥能登のたま風通年のカオス
田中仁美
右手をグー舐める赤子の冬帽子
ベビーカーにひとひら落ちて冬紅葉
冬の霧有馬の宿に深くなり
冬の月見知らぬ人と有馬の湯
木南明子
大盛の海鮮丼の鰤厚し
鳥たちのために渋柿残しけり
供えたる干柿今日の甘さかな
冬の百舌鳥知らぬ間に逝く友のこと
俎 石山
破れ蓮疲れた足に水の音
今日もまた背を向け君の懐手
隣から夕べおでんの香りかな
定年を迎える属吏おでん酒
松田和子
吉野山吐く息白く夢の後
ポインセチアめぐり合せの車中席
柊の花なごやかに母の香よ
湯上りは八十路祝のちゃんちゃんこ
森本知美
何気ない振りしていたる小春かな
湯の柚子に爪立てて香を強くする
さりげなく栞に拾う紅葉かな
さざんかの実や思い出を捨てきれず
松並美根子
井戸水に温もりのある寒さかな
ひとりごと冬満月に気づかされ
今さらに十色の想い冬空へ
石蕗咲いて変わらぬ庭をひとりじめ
丸岡裕子
返り花ふうてんの子に笑いたり
秋の空うき雲自由奔放に
晩秋や君は他国へ帰りゆく
隣家より形見の菊の香り来る
目美規子
ドッグランにじゃれあう子犬冬うらら
冬紅葉馬の嘶くレストラン
訃報来る五年御無沙汰枯尾花
酒粕を炙る火鉢よ母在りし
石橋清子
冬の虹トンネルを抜け見上げたる
天を突く皇帝ダリア自慢かな
穭田の小雨に濡れしこうのとり
山上の紅葉かつ散る竹田城
中原マスヨ
おでん鍋家族にひとつ卵かな
縁側の明るくなりぬ吊し柿
丸四角こたつの中に積木かな
寒風や寝落ちしている露天風呂
〈選後随想〉 耕治
十二月二十六日の「折々の言葉(朝日新聞)」に、鷲田清一さんが画家の瑛九さんの次の言葉を取り上げている。「油絵は油絵を描くことによってしか進歩しない」、この言葉は即ち俳句にも当てはまるだろう。「俳句は俳句を書くことによってしか進歩しない」と。香天の作品をはじめ、様々な分野の本を多く読んで、俳句を書いていく以外に、進歩の道はなさそうだ。
白味噌の雑煮に馴染み漆塗 辻井こうめ
雑煮を白味噌にするか清ましにするか、男性と女性とで言うと、大体女性が勝つそうなので、女性の方が白味噌の関西圏で、男性の方が清ましの関東圏であったのかも知れない。白味噌の雑煮を毎年食べてきて、年月を経てきた。目の前にあるのは漆塗りの椀。白味噌に馴染んできた時間の流れと、目の前にある漆塗りとの取り合わせがいい。漆塗りというのは、能登の輪島塗が注目されているが、黒かったり赤かったり。そういう色と白味噌の白の対比が鮮やかな、書くことによって進歩してきたこうめさんの一句だ。
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