2026年5月3日日曜日

香天集5月3日 森谷一成、渡邉美保、浅海紀代子、辻井こうめ他

香天集5月3日 岡田耕治 選

森谷一成
暗殺を憂え種芋植えにけり
空中の涙あらそう穀雨かな
 「断腸亭日乗」昭和一六年六月一五日 
のたまくは暴支膺懲荷風の忌
饒舌の海峡に転け潮招

渡邉美保
新玉葱晒せば白くにごる水
脱藩の昔もかくや谷若葉
春の潮たぷんとぷんと日の暮れる
波音を真下にきいてゐる朝寝

浅海紀代子
友に見え我には見えぬわらびかな
大皿に春をいっぱい盛りにけり
懐かしき癖字の届き春の宵
わすれな草紫深き別れにて

辻井こうめ
マネージャーの作るお守り柿若葉
うつうつと海境を行く春の昼
小綬鶏や不快電話に動揺す
幸ひを叶ふ法なれ新樹光

中嶋飛鳥
料峭のふたことみこと耳の端に
絵とまがう墨の文字より春の声
声さかのぼる空井戸の春の闇
アルバムの笑みに躓き春送る

神谷曜子
菜種梅雨大雑把なる担当医
花の雨子育はもう済みました
散り際の桜と距離を置きにけり
たんぽぽの絮解体の隣家より

中島孝子
ジンジンと凍てる子の指包む指
夕映える船底型の春の月
光帯びせせらぎ包む猫柳
遅れ咲く紅梅窓の雨流れ

橋本喜美子
新若布皿をはみ出し盛られけり
漱石の小さき文机梅の花
子らの声空に吸はれし沈丁花
目を凝らしそつと手を置く犬ふぐり

半田澄夫
春きざす赤きワインを人肌に
春眠の覚めゆく床にヒール音
どこに来たジャングルジムに春が来た
すべり台ママに手を振る春に振る

北橋世喜子
冬五輪体内時計踊りだし
「みーつけた」指差す先の福寿草
屈むほど青き星屑畦青む
キーキーと鳴き声尖る春の鳥

林おうはく
冬の朝帰り忘れし白い月
水仙や荒波向かう加賀の浜
杉花粉和泉の山の薄化粧
氷溶け淀みに魚の影一つ

石田敦子
バレンタイン不意に渡さるチョコレート
桜餅語らひ食べる和菓子店
若草の萌へて香れる鄙の径
診察を変更すると雛祭り

上原晃子
水槽の小さき群れ浮く四温かな
球根の伸び出してくる若芽かな
碧空をソフトに光る花ミモザ
啓蟄の日差背に受け畑仕事

吉丸房江
四代で桜を見上げ笑い合う
春の山もっこりもっこり命吹く
青空は白木蓮の舞台にて
坐り込み次の声待つ春告鳥

川合道子
札にらみ手と手弾けるかるた取り
信太山山の谷より初音かな
ミモザ咲くリボンをつけた犬を撮り
町おこし家家に雛飾りおり

市太勝人
春の雪投票をせぬつまんなさ
如月のG2レース逃げねばり
冬五輪閉幕後には戦なり
天覧の地上波はなし花曇

秋吉正子
春を待ち面会時間三十分
隙間テープ破れる頃に春になる
ソナチネは小さなソナタすみれ草
造成地ただ一本の土筆かな

北岡昌子
淀川を下り菜の花咲き乱る
花びらであかるくなりし沢の水
本殿に供え小さな竹の子よ
土の上玉ねぎすこし顔を出す

大里久代
どこからか桜のほてり風に乗る
春夕べ推しの力士の白星よ
春場所のバシッとひびく朝稽古
春の朝具だくさんのちゃんこ鍋


〈俳句物語〉 岡田耕治
饒舌の海峡に転(こ)け潮招 森谷一成
 私は潮招(シオマネキ)のメスです。私たちの暮らしをご存じでない方もいらっしゃるでしょうから、少しお話します。私たちはカニの一種で、オスの片方のハサミがとても大きく成長します。それが潮を招いているかのように見えるので、シオマネキと呼ばれています。
 河口近くの、引き潮で泥が露出する干潟が、私たちにとって一番居心地のいい場所です。泥に深い縦穴を掘って暮らしており、この穴は外敵から身を守るだけでなく、満潮時に水没する間、静かに過ごすための私だけの個室でもあります。
 オスは巨大なハサミを上下に振り、私たちメスに向かって猛烈にアピールしてきます。私はオスたちのダンスを比べ、ハサミの大きさと、その振りの速さから彼を選びました。彼の巣穴へと入り、お腹とお腹を合わせたのです。その後、彼は気前が良く、自分の巣穴を私に譲ってくれたので、卵を抱いて大切に育てることにしました。
 彼は外に出て、新しい穴を掘るのかなと見ていたら、なんと彼はまたあの大きなハサミを振り始めたではありませんか。私たちは、基本的に夫婦で一緒に暮らすことはありません。それでも、せめてこの卵たちを海に放つまで、この巣穴を外敵からガードするものとばかり思っていました。
 私の個室から見える海峡は、いつも激しい潮の流れが押し寄せていますが、このところ、波がぶつかり合い、渦を巻き、轟々と音を立てています。どうも潮の流れだけではない、不穏な音が混じっているようです。この「饒舌な海峡」の騒めきは、命の危険を知らせているのかもしれません。それなのに、彼はその警告に耳を傾けることなく、ひたすら自己顕示のためにハサミを振り続けています。
 そう考えているうち、巣穴も掘らず、私や卵を守ることもせず、激しくハサミを振りまくっていた彼は、ついに勢いよく寄せてきた潮に押され、あっけなく転(こ)けてしまいました。あれほど自信たっぷりだった大きなハサミは、彼を守ってはくれませんでした。大きくて速いハサミこそが良い、この干潟の価値観は、いま、見直す時が来ているのかもしれません。

*一片が後を追いたる薔薇の門 岡田耕治

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