2025年9月28日日曜日

香天集9月28日 谷川すみれ、玉記玉、辻井こうめ、夏礼子ほか

香天集9月28日 岡田耕治 選

谷川すみれ
後ろから不在を見つめ金木犀
秋の蝶一分前の石の上
兄はもう乗っているなり鰯雲
長き夜のふきんをかけてひと日澄む

玉 記玉
因縁のレモンが一個未送信
銀杏散るように纏えるバスローブ
とめどなく紐がでてくる敬老日
洋室の涼しさとなる間柄

辻井こうめ
雑学のどこか繋がる鰯雲
虫時雨同じ時空を見てゐたり
鰯雲縁になじみの椅子ひとつ
歩こうかバスを待とうか捨案山子

夏 礼子
敗戦の間際の投手地に汗す
わたくしを置き去り水蜜桃すする
一盌の深き海あり敗戦日
髪型を変えそれからの初秋かな

柏原 玄
たまゆらの紅の重なり酔芙蓉
燈火親し今日の学びを書きとめる
デリート・キー叩いて虫の秋に居る
常住の自在でありぬ菊の朝

神谷曜子
雑魚寝の中赤子のにおう盂蘭盆会
葛藤をくり返しおりの盆の波
蜩と耳鳴り混じりはじめけり
秋めくや家庭に作る風通し

中嶋飛鳥
秋暑し映りて白き骨の影
髪解けば痛み和らぐ夜の秋
彼岸へとわが影移す秋の川
真っ先に新酒に化けてしまいたる

加地弘子
一筆箋懐かしいやろ真桑瓜
意識して姿勢を正す油蝉
秋の蚊の慎重に来る背後なり
マッシュルームカットに刈られ真葛原

砂山恵子
爽やかや横隔膜で息をして
村落は塊となり夕月夜
迎へに来いどこと言はずに鰯雲
父親はときどき味方ちちろ鳴く

安部いろん
集うほど我のなくなる原爆忌
秋簾濃い鉛筆の削り滓
誰となく手が触れている秋祭
天の川乳房に感電の怖れ

前藤宏子
竹の春そうだ楽天家になろう
独り身の門限のなき良量かな
お三時のもう決めている蒸し小豆
昨日より一つ歳とり彼岸花

宮崎義雄
ビア樽を空け麻雀の朝ぼらけ
鰯雲トンネル抜ける海岸線
落鮎や男三人昼の酒
留守電に迎えに来てと十三夜

楽沙千子
両隣気兼ねをせずに水を撒く
沖に飛機飛魚はねし波しぶき
砂灼くる足裏高く水際へ
葉鶏頭採り残されていたりけり

長谷川洋子
高齢のツーブロックよ草の花
この星に息絶えぬもの葛の花
リハビリを励ます手紙出さず秋
想い出を語りつくせぬ夜長かな

安田康子
蚰蜒こそは世界平和の使いかも
父母に会う術の無き星月夜
秋の蝉きっと自由を知っており
片付かず残暑のせいにしていたり

森本知美
フィットネスクラブの仮装ハロウィン
十三夜本を返しに友を訪う
蓼の花入口に活け写真展
藤袴毒ある蜜へ近づきぬ

松並美根子
一瞬のとんぼ返りの赤蜻蛉
若衆の鳴物響く秋祭
幸せを身近に感じ秋の風
彼岸花や西の彼方に手を合わす

目 美規子
新米を横目に古米カート押す
立ち退きの空家解体ちちろ鳴く
故里の訛に気づき赤とんぼ
リハビリの猫背矯正猫じゃらし

金重こねみ
久しぶり太く大きな秋刀魚焼く
蜩に急かされている庭仕事
秋夕焼少しせばまる歩幅にて
釣土産小ぶりの鯖は天麩羅に

木南明子
花芙蓉大きく開く喫茶かな
花木槿隣の家はこちら向き
千日紅寄り添いながら遊びおり
満月の縁側指定席とする

〈選後随想〉 耕治
後ろから不在を見つめ金木犀 すみれ
 不在とは、誰かがその場所から立ち去った後の空間、あるいは失われた気配や、遠い記憶を指しているようだ。その不在を後ろから見つめているのは、去りゆく人を黙って見送る、あるいは去った人の後からその場に残る虚しさを見つめるという情景が浮かび上がる。金木犀という強い香りを放つもの、その対極にある不在を見つめているという対照が、言いようのない切なさを生み出している。俳句を書きながら、俳句から浄化されようとするすみれさんならではの一句だ。

雑魚寝の中赤子のにおう盂蘭盆会 曜子
 盂蘭盆会は、死者の霊が家に戻ってくる時であり、供養を通じて死を意識することになる。一方、集まった人々の中に生まれたばかりの、新しい生命が匂っている。「におう」は、ここでは単に「匂う」だけでなく、古語の「美しく見える」「光り輝く」という意味も込めて解釈できそうだ。仏間での雑魚寝だろうか、にぎやかな人の営みの中で、ふと漂ってくる赤子の清らかな匂いや輝き。曜子さんのまなざしは、盆という厳粛な時節に、生きていることの尊さを感じさせてくれる。

*芋嵐数学の問い裏返り 岡田耕治

2025年9月21日日曜日

香天集9月21日 湯屋ゆうや、古澤かおる、木村博昭ほか

香天集9月21日 岡田耕治 選

湯屋ゆうや
病棟の洗濯干し場秋高し
点滴は右にされたし花カンナ
訪問の看護師が来る野分中
睡眠がデフォルトらしき月見草

古澤かおる
搦手の閑けさに飛ぶ夕あきつ
木の影に秋の気配の佇みぬ
無花果よ余熱のままを掌に
蝙蝠やしぼんだボール軒下に

木村博昭
少年の朝顔の蔓よるべなし
蓑虫よさみしいときは泣けばよい
加担してこんな地球となる残暑
新米や常より長く手を合せ

中島孝子
日輪を崇めて今日の梅を干す
片かげり入ればまっすぐステップす
蕗の傘かざし子どもら走りけり
青虫の遊び場となり透かし柄

橋本喜美子
藁焼きの土佐の鰹の香りけり
天の川引き上げの児は八十路なり
夏雲をめがけて走りハイウェイ
夕蛍草帚もて追いにけり

岡田ヨシ子
秋を待つ自分が選んだケアハウス
散歩には行かず残暑のコルセット
花芒今日の曜日を問われけり
潮を吹く牡蠣を残せり笊の中

北橋世喜子
鳴きもせず急に飛び立つ油蝉
土覆い動かぬ蝉に群がりぬ
八月や戦後の語り八十年
ふるさとの水族館の夏休み

上原晃子
忘れ杖増えゆく夏の高野かな
梅雨晴間野菜のお化け五六本
雨上がる奥の院まで蝉しぐれ
宮崎の空気を箱に梨届く

半田澄夫
生き甲斐の人に掴まれ踊りけり
看板のビール直帰を曲げており
水馬流れの上にまた戻り
全車窓日除降ろして走行す

石田敦子
停電の静けさにあり初蝉よ
向日葵の大きく育ち保育園
大暑かな手土産を持ち弟来る
小雨降る中の式典長崎忌

はやし おうはく
遠雷や浮き絵のごとく海に落ち
風鈴に息をかけたる猛暑かな
手をつなぐ園児の散歩夏帽子
夕立や逃げる旅人追いかけて

東 淑子
生き物が畳を走る夏の夜
帰り道にとどまっており赤とんぼ
鬼やんま羽ふるわせて低く飛ぶ
稲光一人の部屋に縮こまる

市太勝人
大雨のカッパばかりの祭かな
期日前投票場の蒸し暑し
喜雨上がる一生残る手拍子よ
観戦のチケットあたり秋暑し

〈選後随想〉 耕治
病棟の洗濯干し場秋高し ゆうや
 病棟の洗濯干場なので、そんなに広いところではない。しかも病棟なので、自分が閉じ込められている感じと、それから秋の空の広々とした感じと、ゆうやさんのこの取り合わせがいい。狭い選択干し場から眺める空への、どことなく寂しい感じと、そこから快復しようとする燥ぎを感じさせてくれる。
*平衡のままにしており女郎花 岡田耕治

2025年9月14日日曜日

香天集9月14日 三好広一郎、渡邉美保、三好つや子、柴田亨、前塚かいち他

香天集9月14日 岡田耕治 選

三好広一郎
両端を見たことのない秋の海
蜻蛉追うかの少年は木に風に
紫陽花の目に角があり紙吹雪
この夜も何もないから秋の道

渡邉美保
球形にこだわっている穴惑
秋日差し退屈さうな空気入
手の届くあたりに伸びて烏瓜
天球の外へ出たがる飛蝗かな

三好つや子
水鉄砲平和な空を知らぬ子ら
八月のどこを撮っても蝉の声
捩花そこは長所でここ短所
水彩の指の涼しさ梨を剥く

柴田亨
三人で四人目のこと月見草
早早とつばくろの消え雲は銀
天を抱く蝉に静かな時のあり
虫集くもう少しだけ永らえん

前塚かいち
難聴の吾には聞こえ秋の声
ふるさとのない放哉に小鳥来る
無花果の一途に祈る命かな
周縁に身を置いておりどくだみ草

春田真理子
丸刈りの頭を曝し行く炎暑
夜店の灯水ヨーヨーにある自由
ゆっくりと噛みしめて啼く八月尽
のみ込みの下手になりけり夕かなかな

平木桂子
ガーベラを好みし人の大往生
絶妙の相槌打たれ日日草
傾いた母の背中や猫じゃらし
秋入日憤死間近な地球にて

宮下揺子
デラシネの五木寛之パリー祭
大西日疑心暗鬼のまま歩く
晩夏光飲み口欠けしマグカップ
冷房やエンドロールに名を捜す

上田真美
夏休み兄の喧嘩を諌める子
地蔵盆褪せし前掛正しけり
門火焚く母の指先ふるえ出し
語り継ぐシベリア抑留夜の秋

松田和子
唐辛子三年前の毒を消し
えのころ草米になればと瞬きぬ
古民家の簾の名残り巻いており
思草タバコの匂い巻き付きぬ

牧内登志雄
寒蝉の小節を回す鳴き納め
初嵐キリンは首を持て余し
回廊や色なき風のひと巡り
首筋に残る冷やかケセラセラ

〈選後随想〉 耕治
両端を見たことのない秋の海 広一郎
 先日の大阪句会の高点句だが、海の端を見たことがないというのは当たり前なのに、なぜ皆さんの選に入ったのか。一成さんが両端というのは、宇宙のことではないかという空間的な捉え方で鑑賞した。私は例えば人生の両端、自分が生まれた瞬間を自分が見るということができなかったし、自分が死ぬという瞬間も見ることができない。そういう意味では、生死の両端も自分では見ることができないと鑑賞した。私は、長く中学校に勤めていたので、「あの子がいない」となったら、だいたい男子は海の方へ探しに行く。女子は、海とは限らなかったが、夏の賑やかさがなくなり、静けさを増した秋の海を見ながら、ちょっといろんなことを考えている、そんな雰囲気が広一郎さんのこの句にはある。空間的把握にせよ、時間的把握にせよ、すべてを把握することはできない、という事実を受け入れいこうとする息づかいが感じられる秀句だ。

ふるさとのない放哉に小鳥来る かいち
 尾崎放哉の、文字通りの意味でのふるさとは「鳥取」だ。しかし、彼は東京、朝鮮、京都、須磨、小豆島など各地を転々と渡り歩き、定住することがなかった。特に晩年は、酒や病気で職も家庭も失い、各地の寺を転々としながら放浪生活を送った。その意味でかいちさんは、「ふるさとのない」と表現したのだろう。放浪の身である放哉にも、鳥は渡ってくる。しかもそれは、小鳥であるというところが、かいちさんの感性が光るところ。小鳥の訪問は、放哉の孤独を根本的に解決するわけではないが、彼の存在を認め、自然との一時のつながりを与えてくれているようだ。
*薄原初めに逃げる位置を決め 岡田耕治

2025年9月7日日曜日

香天集9月7日 辻井こうめ、佐藤静香、浅海紀代子ほか

香天集9月7日 岡田耕治 選

辻井こうめ
掌に掬ふ八月六日かな
紅蜀葵二階の人の視線から
石蹴りの石の退屈猫じゃらし
手のひらの蜘蛛慎重に外に出でよ

佐藤静香
球場の歓声の消え法師蝉
茶髪の子黒染にして休暇果つ
ハレの日や輪島の椀へ新豆腐
秋の野や国境線はなぜあるの

浅海紀代子
黄泉よりも東京遠し凌霄花
子の肩のとんがった黙秋の蝉
よろず屋の大きそろばん秋の暮
それぞれに遠き日のあり鳳仙花

佐藤諒子
遺せしはたった一葉敗戦日
朝顔の屋根まで登る平和かな
里山の近づいてくるつくつくし
草の露しゃがめば肩のぬれており

吉丸房江
にぎわいに感謝しており百日紅
フーちゃんと呼ばれる舞台秋日和
蜻蛉のあの世この世をすいすいと
嫁姑共に秋暑の汗をかき

〈選後随想〉 耕治
石蹴りの石の退屈猫じゃらし  こうめ
 子どもたちが遊び終え、誰もいなくなった静かさの中で退屈そうにしている石。その横で、軽やかに揺れる猫じゃらし。子どもたちの賑やかな声が聞こえてくる場所が、今はひっそりと静まり返っている。その静けさが、かえって「石の退屈」を強調し、切ないような、それでいてどこか微笑ましいような情感を生み出している。自由さとあたたかさを同時に感じることのできる、こうめさんならではの一句だ。
*猫じゃらしすぐに信じてしまいけり 耕治

2025年8月31日日曜日

香天集8月31日 玉記玉、森谷一成、夏礼子、谷川すみれ他

香天集8月31日 岡田耕治 選

玉記 玉
涼新た石を濯げば石現れ
団栗へ展開したる雑記帳
実石榴の紅は油断をして育つ
秋深む打つ楽器から抱く楽器

森谷一成
籠耳の底にとどまり河鹿笛
空蝉の溶接したる車輪かな
炎帝の巴を巻いて居るところ
旱星今に今にの邦の今

夏 礼子
生温き水のこえ聞く原爆忌
還れかえれと八月の木霊かな
思い出のじれったくなる遠花火
跳ねたがる髪をなだめている晩夏

谷川すみれ
夕暮の暗号を抜け曼珠沙華
処暑の床三百年の黒光り
向日葵の顔の見えない高さかな
冷素麺まだ新しき死のありて

浅海紀代子
万縁へ杖一本の歩みかな
また元の老いの座れる昼寝覚
尺取に計り切れない空があり
いつまでも猫の寝そべる残暑かな

柏原 玄
ぶつぶつと託っていたり百日紅
一業を楽しんでいる牽牛花
かなかなの今日全うしたりけり
口裏を合わせていたる女郎花

神谷曜子
滝の水落ちてしばらく暴れおり
滝の音過去と未来を入れ雑ぜる
サイフォンで落とす主の夏の夜
八月はいやかおうでも父が来る

松並美根子
誰からも忘れられたる昼の蠅
舟の上花火の音の身にせまり
どこまでもくぐりゆくなり夏暖簾
夜空へとまぶしさ送り芒の穂

釜田きよ子
空蝉の飛んでもみたき青い空
熱帯夜十七文字ののたうちぬ
来世また蝉でありたく蝉の鳴く
大西日クレーンの首照らしおり

前塚かいち
たちまちに少年となるまくわうり
「地の塩になれ」との教え穴惑い
地球儀を回すチャップリン暑き秋
戦争のいつまで赤い百日紅

前藤宏子
風鈴に摂氏三十九度の風
煩悩をどこかにおけり白桔梗
生ぬるきメロンのように老いにけり
見物もバスも神輿も路同じ

宮崎義男
窓越しに気配の残る赤蜻蛉
白磁なる浅漬け茄子や朝御膳
植栽に飛び込む雀秋の声
朝焼や艫にしゃがめる漁夫の背

安田康子
晩夏光ところどころに風の道
夕立の言葉が雨に薄れけり
遠き日のよい子の町の大夕焼
小玉西瓜仏と分けて食べにけり

目 美規子
花木槿母が煎じてくれたこと
蜩やバイパス手術無事終わり
終戦日リュックサックの重くなり
承諾書書いて眼科へ向く残暑

森本知美
鳳仙花弾けこれより始まりぬ
玉響の命を伸ばす炎暑かな
苦瓜を食むやこの身の引き締まる
ふるさとに礎石の残る炎暑かな

金重こねみ
風鈴の仕方なく鳴ることのあり
供えたる水に氷を浮かべけり
くっきりとスマートフォンに汗の跡
青空や空蝉は背を向けしまま

木南明子
秋の雲囲む久保惣美術館
百日紅大木となる美術館
鬼やんまぶつかってきて目を廻す
油蝉八十年を繰り返す

〈選後随想〉 耕治
涼新た石を濯げば石現れ  玉
 「涼し」が夏の季語なのは、暑いからこそ涼に敏感になるからで、秋の季語としては「涼新た」になる。これまでの暑さが薄れ、清々しい空気が満ちてくるような感覚である。その涼しさの中で行われている具体的な動作が、「石を濯ぐ」という行為。水を使って土を洗い流すことで、石本来の色や質感が蘇ってくるようだ。そして、その結果「石現れ」と続くのが秀逸だ。これは、物理的に石の表面が露わになるだけでなく、作者の心の中にある「真実」や「本質」が明らかになる様子を象徴しているとも考えられる。新涼のなか、静かに石と向き合うことで、これまで見えなかったものがはっきりと見えてくる、そんな玉さんのひとときが描かれている一句だ。

籠耳の底にとどまり河鹿笛 一成
 「籠耳」は、籠に水を入れてもすぐに漏れてしまうように、話を聞いてもすぐに忘れてしまうこと。こう言われると、私も籠耳になってきたと感じる人が多いだろう。ところが、そんな籠耳であっても、その音が耳の奥深く、あるいは意識の底にまで静かに響き続けていることがある。音が聞こえるだけでなく、一成さんの心に深く留まっているもの。それが、下五の「河鹿笛」によって、その音の正体が明らかになる。清流に生息する河鹿の鳴き声は、笛を吹くように美しく澄んでいる。騒々しい日常から離れ、自然と一体となるような、穏やかで満ち足りた時の流れの中に微かな笛の音が聞こえてくる。

誰からも忘れられたる昼の蠅 美根子
 小林一茶の「やれ打つな蝿が手をすり足をする」という句に登場する蠅はとてもリアルだが、こんな蠅(ハエ)を見かけることは少なくなった。われわれの生活環境の衛生的改善が、蠅を見ることが少なくなった大きな理由だろう。普通は、うるさく、嫌われがちな存在の蠅を、美根子さんは一茶のように特別なまなざしで捉えている。誰も気に留めず、追われることもない、ただひたすらに存在しているだけの蠅。それは、夏休みの長い昼、ひとりぼっちで過ごす子どもの心境かもしれないし、ひとり暮らしをする老いの姿かもしれない。夏の熱気に満ちた昼間でありながら、その中にひっそりと存在する、静かな時間を描いているのだ。先日、泉佐野句会に伺い、皆さんのこのような味わい深い俳句と出会うことができた。
*キャラメルの間は無言地蔵盆 耕治

2025年8月27日水曜日

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目 次

代表作品           2 岡田耕治
同人集            6 50音順送り 本号は「わ」から
渡邊美保、綿原芳美ほか
同人集五句抄        22 岡田耕治、柴田 亨ほか
同人作品評         24 石井 冴、綿原芳美
作品鑑賞Ⅰ         28 木村博昭
講演・鈴木六林男の筆あと  30 岡田耕治
柳田国男と俳諧連歌     37 森谷一成
香天集十句選        44 谷川すみれ、湯屋ゆうや
季語随想〈秋の虫〉      47 三好つや子
随想            48 辻井こうめ、柴田 亨
作品鑑賞Ⅱ         50 前塚かいち
創作 俳句ショートショート 51 三好広一郎
香天集  岡田耕治 選     52 古澤かおる、玉記 玉、
渡邊美保、中嶋飛鳥ほか
 選後随想         79 岡田耕治
句会案内          86

2025年8月24日日曜日

香天集8月24日 湯屋ゆうや、古澤かおる、加地弘子、中嶋飛鳥ほか

香天集8月24日 岡田耕治 選

湯屋ゆうや
点滴の姉の寝息やレース編む
曾祖父と白いゼリーを切り分ける
凌霄花使わずにある車椅子
腹這いで一句書きおる鉦叩

古澤かおる
夏草の踏みしだかれて静かなる
欄鋳の口よりカーブしていたり
白玉を丸める速さ競いけり
寂しさは日傘を廻す二の腕に

加地弘子
つぶやきぬ今年は啼かぬ蝉のこと
朝に来て久しく鳴ける帰燕かな
油照カムチャッカより津波来る
茱萸噛めば口中の白ざわざわと

中嶋飛鳥
美空ひばり大きく流し草むしる
はんざきに運動不足かこちおり
秋の蚊がくっ付く免許証の顔
私のツリーに触れて秋を待つ

砂山恵子
芙蓉咲く覚めざる夢を見るごとく
夜の秋地下水脈の音静か
ひとさおの朝顔持ちて転校す
夜の秋瞬きのごと雨が降り

平木桂子
松葉牡丹支配する地を広げおり
目を狙う負けず嫌いの水鉄砲
鉄道のダイヤを乱す炎暑かな
河童忌の生死を分かつ答なし

橋本喜美子
子燕の一羽となりて戻りけり
穏やかな空を振り向きほととぎす
かたばみの茂みの中の宇宙かな
夏のれん南大門にそよぎけり

半田澄夫
男日傘畳みたる手のほてりかな
これほどに思いもよらぬ男日傘
新茶飲む世界平和で一致する
緑蔭や一人で釣りをしていたる

上田真美
溶けてゆくアイスキャンデー犬の舌
時空超ゆ青磁の色のシャーベット
夕焼や鼻緒と色を同じくす
オーガスト皇帝の名は不滅なり

石田敦子
香なき八重梔子の花錆びる
点滴や熱中症から回復す
夏至の日の照りと翳りを繰り返し
夏菊の一輪を挿し父のこと

中島孝子
緑蔭のバギーの幼児扇ぐ母
早苗田の水面に映る五階建て
キャベツ捥ぐ隙間に消えし水の玉
父の日の故郷想うカフェひとり

北橋世喜子
蛍舞う母と歩きし田んぼかな
父の日や好物だねと手紙添え
行き交える手元小型の扇風機
朝から水やりすれば蚊と対峙

上原晃子
初蝉の束の間畑に耳を立て
青空を目指していたり立葵
ケータイの光跡ライン蛍から
公園の歩道を匂い実梅落つ

岡田ヨシ子
冷たくし珈琲タイム楽しみぬ
生き過ぎた痛みをかかえ冷房裡
エアコンを切ることもなく今日も生く
夏休子らの俳句を見て投句

東淑子
八幡神社蛍の後を追いにけり
朝顔の窓辺に沿いて紐を引く
仏前に集まっている父の日よ
蛞蝓を床に腹ばい見ておりぬ

市太勝人
文月のオカルトが世に広まりぬ
梅雨明ける鳴かないでいる蝉のこと
暑き日を負けてもいいよそのまんま
いつの間にか熱中症の報道に

〈選後随想〉 耕治
点滴の姉の寝息やレース編む ゆうや
 病院で、点滴を受ける姉に付き添っているところだろう。姉はちょっとほっとして、寝息を立てている。レースで何かを編もうとする、そういう命の息吹を感じるとともに、ちょっと自分を落ち着かそうとする、そんな静かなひとときが表現されている。姉のことが心配だが、自分の暮らしがあるので、病院と家を往復するのは大変だ。そういう自分自身を落ち着かすためのレース編みなのである。「姉の寝息」との取り合わせが、とてもいい。ゆうやさんの素描を見ているような一句だ。
*蟷螂に上がり下がりを問われけり 岡田耕治