2025年11月14日金曜日

「香天」81号本文

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香 天 koten   2025年11月   通巻81号
目次

招待作品           2 仲 寒蟬、河西志帆
代表作品           6 岡田耕治
同人集           10 50音順送り 本号は「わ」から
                綿原芳美、浅海紀代子ほか
同人集五句抄        26 石井 冴、神谷曜子ほか
耕治作品を読む       28 鈴木茂雄
同人作品評         30 森谷一成、谷川すみれ
講演・鈴木六林男の筆あと  34 岡田耕治
作品鑑賞          43 西本君代
香天集十句選        44 安田中彦、夏 礼子
柳田国男と俳諧連歌     48 森谷一成
エッセイ          56 渡邉美保
香天集  岡田耕治 選      58 平木桂子、渡邊美保
玉記 玉、三好つや子ほか
選後随想          88 岡田耕治
句会案内          94

2025年11月9日日曜日

香天集11月9日 三好つや子、佐藤諒子、秋吉正子、牧内登志雄ほか

香天集11月9日 岡田耕治 選

三好つや子
平凡を全うしたる穂紫蘇かな
歯を抜かれ何だかひょんの実の気分
花煙草遊びの音のしない町
小春日の空気ふくらむ卵菓子

佐藤諒子
獅子四頭それぞれに舞う秋祭
坂道のちょっと日溜り金木犀
行く秋の交差している鳥の声
ひりひりと落葉うず巻く風の音

秋吉正子
両腕にワクチン注射冬に入る
くちてゆく空家今年の柿たわわ
発表会終わるも同じ秋の空
タウン誌に名を見つけたと青レモン

牧内登志雄
青女踏み百度参りの満願す
伸びをして五尺五寸の日向ぼこ
ガザまでの遠き道なり神の旅
煮凝の角の崩れる屋台酒

西前照子
十五夜の姿を見せぬ薄の穂
ハロウィンの雨に降られし南瓜かな
子芋むく月に一品お供えと
秋深しワールドシリーズ終わりなば

川村定子
扇風機横向きしまま止まりけり
立冬や空清浄の往診日
痩せた手で冷房を切り暖房へ
車座の炎に落ちる雪一片

大里久代
吾亦紅こうありたいと思う花
分けくれし大根の葉を和え物に
椿の実弾け飛んでは種さらす
道に沿う黄花コスモス風起こる

北岡昌子
秋日和山門描く五年生
立待月木木の間を見えかくれ
後の月池の水面を揺れ動く
亀岡のコスモス畑急ぎおり

〈選後随想〉 耕治
平凡を全うしたる穂紫蘇かな つや子
 穂紫蘇は、その香りが料理の脇役として使われ、目立つ存在ではない。しかし、夏に青々と葉を茂らせ、秋には花を咲かせ実を結ぶという、植物として当たり前のことを果たす姿は、まさに「平凡を全うした」ことの象徴だ。平凡という言葉は、つまらない、取り立てて言うこともない、といったネガティブなニュアンスで使われることもあるが、この句では、それを「全うしたる」と表現することで、静かで満たされた心の有様を肯定的に表現している。華々しい活躍や波乱万丈の人生ではなく、ごく当たり前の人生を、静かに、しかししっかりと生き抜いたことへの、敬意が感じられる。穂紫蘇は、つや子さんそのもののように感じられるが、その地道な努力が評価され、この度、第4回鈴木六林男賞の大賞を受賞した。おめでとうございます。
*団長のエールのはじめ紅葉散る 岡田耕治

2025年11月2日日曜日

香天集11月2日 辻井こうめ、森谷一成、渡邉美保、玉記玉ほか

香天集11月2日 岡田耕治 選

辻井こうめ
学校田溢るるほどの鳥威し
ヨーグルトたっぷりかける熟柿かな
遠近の煙のしづか葡萄畑
かまきりの身構へてゐる屍かな

森谷一成
石棺に綱の突起やそぞろ寒
舎利は溶け遺る石棺冷まじき
鑑識を誑かすなり烏瓜
身代を提げて出でゆく暮の秋

渡邉美保
芋虫を咥へなほして雀飛ぶ
遠き木に日の差しているむかご飯
花薄抱へ石橋渡りけり
いささかの諍ひもあり茸汁

玉記玉
秋蝉の声まっすぐに溺愛す
おとといの余白を動く秋の蛇
怖い夢甘い夢にも鮫のいて
冬泉の音を静寂と申すべく

谷川すみれ
落ちつかぬことに海鼠を食べてから
我という病のありぬ冬三日月
確執の骨壺を手に寒桜
花八手ハンドクリーム多いめに

夏礼子
木机のガレット匂う蕎麦の花
重ならぬ音のぽつりと残る虫
己が影踏み秋の蟻急ぎけり
先駆けの白き一本曼珠沙華

柏原玄
ふかし藷今も飢えあり戦あり
竜胆の寄る辺のひとつ石仏
墨の香を色紙よろこぶ良夜かな
天界の星座をおさめ露の玉

高野旅愁
やっと翔ぶ鳥いて秋の日暮道
秋冬やあちらの闇とこちらの闇
秋の月詠むこともせず冬に入る
青年がよぎる自転車飛燕かな

前藤宏子
患わず老いゆく秋の祭の灯
栗御飯母に似ること老いること
わらべうた茜に染まる鰯雲
抜殻をかじっていたり秋の蜂

宮崎義雄
一盛の光の濃ゆき秋刀魚かな
曼珠沙華折られ散らばるままにあり
風爽か白き腕を振りつづけ
秋日和波止の釣果を見て廻り

松並美根子
愛の満つつくつく法師鳴きつくし
一隅は時を同じく曼珠沙華
心地よき静けさのあり萩の雨
マスクして顔半分を秋の色

田中仁美
フランスのオリーブ千年秋深し
キルギスの白い蜂蜜秋の声
イエメンの魔法のランプ秋点る
ミャクミャクが消えてゆくなり星月夜

岡田ヨシ子
先生に薬を拒否し秋遠し
ケアハウス今日間食の青蜜柑
ベランダに日光を受け冬近し
冬の空見知らぬ人に頼みけり

安田康子
秋刀魚にも男前あり一匹買う
子らの声すとんと消える秋の暮
ヒーローはブリキ製なり秋高し
聴き役に回っていたりホットティー

森本知美
大銀杏降らす一枚栞とす
昇る月独り占めする橋の風
思い出を見ている浜辺秋の風
夕飯を友と味わう良夜かな

河野宗子
名月の外に出て見よと電話あり
鍵盤に手をのせている夜半の秋
黒枹杞茶たちまちに湯に秋の色
ぞうさんの像が迎える秋の院

目美規子
口の中種いっぱいに通草食む
後の月政治の流れ混沌と
秋桜古刹の歴史紡ぎけり
しみじみと湯気の香れる冬瓜汁

吉丸房江
蒔いてすぐ大地押し上ぐ双葉かな
コンバイン稲穂の海をかき分ける
耕して大根を播く卒寿なり
カシャカシャと命弾ける種袋

木南明子
花紫苑老人たちの集まり来
廃屋の垣根を越える石榴の実
庭中に紅萩乱れ人を恋う
纏いつく枯葉よ人の世のごとく

金重こねみ
湯殿より月を愉しむ午前四時
月兎見つけるために目を凝らす
友の推す本に挑みし秋灯下
内緒ごと聞いているなり螢草

〈選後随想〉 耕治
かまきりの身構へてゐる屍かな こうめ
 「身構へてゐる」と「屍」、動と静の共存が、生と死の厳しさを際立たせている。目の前にあるのは、生前の激しい闘いや生存競争の記憶をそのまま残し、まるで時が止まったかのように固まってしまったかまきりの屍だ。その姿勢からは、最後の瞬間まで生きようとする意志、あるいは最後までそのポーズを崩さなかったかまきりの矜恃のようなものさえ感じられる。「身構え」という一瞬の姿が、「屍」となって永遠に固定されてしまったことに、生命の真実を想起させる。命は必ず尽きる。しかも、いつ尽きるかは分からない。では、この命をどう生きるのか、そのことをこうめさんは問いかけているにちがいない。
*預かりしポシェットにある紅葉かな 岡田耕治

2025年10月26日日曜日

香天集10月26日 中嶋飛鳥、神谷曜子、古澤かおる他

香天集10月26日 岡田耕治 選

中嶋飛鳥
夜の秋あんパンを割り寄越しけり 
回復のひとつひとつの秋の声
赤い羽根すぐ善人の顔になり
雁皮紙へ秋気をこぼす筆の先

神谷曜子
虫の声今日に塗り込む痛み止め
一歩ずつ離れる人よ草紅葉
同化せず色なき風と遊びけり
曼珠沙華心のゆくえ探しおり

古澤かおる
港より見る本物の鰯雲
籾殻の中に休める甘藷かな
新秋の仏花長持ちしていたり
少年の返事短し秋涼し

長谷川洋子
渋皮煮瓶に詰めおく丹波栗
豊作の庭の山栗弾け散る
花芒父が好みし「御代栄」
おぼつかぬ足取り一歩落葉踏む

釜田きよ子
曼殊沙華昼には見えぬ夜の貌
秋の昼思うところに届かぬ手
公園に子供の声やトンボ来る
村人のつもりでおりし案山子かな

安部いろん
旅立ちを見抜かれてあり稲光
秋暑し空は遠近法の雲
関心を引かせるための彼岸花
桐一葉見送りされている途中

北岡昌子
稲荷社に顔だしている甲虫
向日葵が一本残り植木鉢
秋涼しオペラの声を響かせて
高校の同級生と秋入日

西前照子
善哉で仏を迎え家族にも
リハビリの心をほぐす笑い声
赤蜻蛉パターの邪魔をしていたる
さつまいも心弾ませ蔓を切る

〈選後随想〉 耕治
赤い羽根すぐ善人の顔になり 飛鳥
 赤い羽根をつけると、その人が社会の一員として他者への配慮を示す「記号」を身につけたことになる。「すぐ善人の顔になり」という描写には、その顔が内面から湧き出たものではなく、善人を演じているかのようなニュアンスを感じさせる。赤い羽根というスイッチが入った途端に、日常の顔から「社会的に正しい顔」に切り替わる人間の習性を皮肉っているようだ。共同募金という善行を詠みながらも、その行為の裏にある人間の承認欲求や、社会的な規範に合わせた振る舞いというものを捉えており、現代社会に生きるわれわれの意識の深層を捉えようとする、飛鳥さんならではの一句だ。
*見届けん全ての柿を木守とし 岡田耕治

2025年10月19日日曜日

香天集10月19日 平木桂子、三好広一郎、湯屋ゆうや、柴田亨ほか

香天集10月19日 岡田耕治 選

平木桂子
味噌付けて足るを知るなり秋茄子
人のこと素知らぬ顔で梨を剝く
終点のバスから一人葛の花
秋薔薇残り時間を塗り直し

三好広一郎
ブランコの捻じれ戻さず秋時雨
手品師の十一本目の指に秋
秋の海馬を洗いに来たおんな
火と水と穴の暮らしや星と月

湯屋ゆうや
重く開く防音ガラス虫の声
掃除機は往路に吸うと雁渡
千屈菜や手をつなぐこときらいたる
やわらかくかわくてのひら秋の昼

柴田亨
並びたる小骨愛しき秋刀魚かな
亀の子よ水底に秋来ているか
諍いはそのままになり秋夕焼
円空の鉈のほほえみ毘沙門天

高野義大(10月)
抱かれて白い羽根なり夜の白鳥
日焼して冬の日向の昭和あり
日輪が何かを足せり十二月
年越える晩年の牛目に浮かぶ

高野義大(9月)
故郷に桜吾に他郷の厠かな
祖母の忌に朝霧がきて眠られぬ
土色の雲浮かぶ風枯葉たち
明るくて傷つきやすし朝の窓

加地弘子
コスモスに気配の残りかくれんぼ
先生の教えの重し万年青の実
可愛がって貰いと言われ赤のまま
枝豆や私の知らぬ夫のこと

木村博昭
御座船を護る船団水の秋
なにもかも忘れ色なき風のなか
声が来て人現れる霧襖
何もせずただ見ていたる案山子かな

嶋田静
キュッと鳴き水を弾ける秋茄子
秋の原両手ま横に風通す
梼原の本棚に満ち晩夏光
名月のうさぎ大きくなっており

上田真美
杜鵑草亡き兄七つ歳下に
菊花展団地育ちが賞を取る
菊最中君の手にまず載せてみる
時を待つ亀虫じっとしていたり

秋吉正子
練習が楽しくなりぬ夏休
たくさんの絵本を抱え夏休
芋茎剥くこれは何かと問われおり
夕焼の朱色だけで書く日記

川村定子
朝顔の白よ去年のこぼれ種
白萩のなだれこの門の通られず
月光の冴えカーテンを引くを止む
秋冷やページそのまま転寝る

大里久代
雷が光るやいなや大雨に
列島に地震のつづく旱かな
奥の院へ大師の御膳涼新た
赤白に加わるピンク曼珠沙華

〈選後随想〉 耕治
人のこと素知らぬ顔で梨を剝く 桂子
 周囲で何かしらの問題やそれは嘘だったといった、深刻な話が展開されているにもかかわらず、手元の作業に集中し、あえて関わらないという態度が描かれている。状況を理解しているが、今は口を挟むべきではないと判断し、静かに心を鎮めているかのようだ。 梨を剝くという行為は、手を使い、目線を集中させる、内省的で静的な動作。みずみずしい梨が、周囲のざわめきや乾いた人間関係を洗い流すかのように締め括られている。桂子さんが切り取ったこの場面は、状況の緊張の最中での落ち着いた行動がクローズアップされ、人間の生の姿が彫り出されている。

ブランコの捻じれ戻さず秋時雨 広一郎
 ブランコの捻れには、単にブランコが捻れているだけではなく、人間の心の中とか、悩みとか、ひいてはこの世の中とか、いろんなものが込められているような感じがする。それを戻さず、つまりブランコを元に戻すことをせずに、あえてそのままにして、秋時雨が降ってくるのにまかせている、そんな光景が浮かんでくる。秋時雨が降るブランコには誰もいない、遊びの時間は終わり、静かな時間が流れている。捻じれたブランコは、過ぎ去った時間や、もう戻ることのない日々など、様々なことが想像できて、広一郎さんらしい広がりを感じさせる句だ。

重く開く防音ガラス虫の声 ゆうや
 句会で久保さんが、この「重く開く」というのが、日常のことなんだけれども、そこから日常ではないことが感じられると評した。私も、「重く開く」という六音の始まりがいいと思う。防音ガラスの窓は、他の窓よりも重い感じがして、なぜ防音ガラスにしたのか、寒さ対策とかそういうこともあるだろうけれども、防音の効いた部屋にいるのはなぜだろうかとか、そんなことにも思いをめぐらすことができる。それを開いた時、人工的な空間から自然界へとゆうやさんが包まれる。外部の音を遮断していたからこそ、繊細な虫の声が、より深く心に響き、軽い安堵感のような、それでいて寂しいひとときが現れる。
*横顔の位置を取り合い蓮の実 岡田耕治

2025年10月12日日曜日

香天集10月12日 三好つや子、春田真理子、宮下揺子ほか

香天集10月12日 岡田耕治 選

三好つや子
鰯雲率いる少女一輪車
体内のどこからとなく秋の声
  伊丹吟行
酒の香にふと木患子の零れけり
虫しぐれ記憶ときどき嘘をつく

春田真理子
言の葉のたゆたふ水面もみじかな
口紅は薄紅色に日日草
ため息をこぼしていたり白茄子
撫で洗ふシンク脳は白露せり

宮下揺子
手繰り得ぬ過去のありけり烏瓜
みな違う風鈴の音や青い空
頑なな心をほどき秋桜
反り返り世間見ている曼殊沙華

佐藤諒子
白雲に近き段畑曼珠沙華
花笠も女子も男子も秋祭
休暇明短パンの足ぎゅっと伸び
野仏に出会う山道露けしや

松田和子
女郎花星を見ている里帰り
白く青く浜木綿の実の波に浮き
秋の海空港眺め小鷺立つ
涼新たパンパスグラス真白なり

橋本喜美子
新涼や輪島の箸を客人に
夕暮の往来忙し白木槿
せせらぎと囁き合へる蜻蛉かな
虫の声階下より風運びくる

山彦
隠れんぼの息止めて見る女郎蜘蛛
赤松の林も秋に入りけらし
雑踏に捨てることあり天高し
監視カメラ映り月夜の道路鏡

楽沙千子
気兼ねなく五体をのばし虫の夜
何も手に付かず更けゆく初嵐
輪投げする体力のあり敬老日
ぐずる子に与えてしまい氷菓子

北橋世喜子
送風に逆らっている目高たち
秋暑し水道水は湯となりぬ
ペン先にしみ込んでいる虫の声
長月や簡単服に袖通し

中島孝子
郡上踊り下駄の音響く昼夜かな
鬼灯の朱を抱えて急ぎけり
満月を網で捕るから待っていて
いつしか秋草むらの声にぎやかに

半田澄夫
炎昼や忠魂塔の無言なり
新涼やパレットに溶く空の色
秋雨や近道塞ぐ潦
御堂ゆく歩幅にゆとり秋涼し

上原晃子
大花火泉南の夜を轟けり
花火見し人のあふれる岡田浦
夜の道心おぼえの稲匂い
白木槿三つが朝の光受く

石田敦子
落し物見つからぬまま秋来たる
束の間の一心不乱盆踊
無花果を剝く指先の不器用さ
編笠を目深にしたり風の盆

東 淑子
夏草や日照り続きを枯れもして
灯籠の後ろを見れば黒い海
台風の来る度温度上がりけり
天の川今日を大事の強さにて

川合道子
大空に向かい踏んばる大向日葵
煮るよりも焼く方が好き秋なすび
露草や野道きらりと開きたる
新しき里山ができ猫じゃらし

はやし おうはく
蜩は過ぎゆく夏をつかまえる
応援歌わき立つ雲に姿変え
愛でる人少なき夜を冴える月
老い枯れて雀の遊ぶ案山子かな

市太勝人
終戦日球児たちへのメッセージ
優勝に間に合うように鉦たたき
限定の月見バーガー食べまくり
行けなくなる予約していた葡萄狩り

〈選後随想〉 耕治
鰯雲率いる少女一輪車 つや子
 小学校の校長をしていたとき、長い休み時間や昼休みに子どもたちがよく一輪車に乗っていた。初めは鉄棒を持ってバランスを取っていた子も、またたく間に「見て見て上手になったでしょ」と言うように駆けていく。広がる秋空の下、子どもたちが軽やかに一輪車を操っていく姿は、清々しく、生命力に満ちた風景として心に残っている。特に一輪車は女子が好んで乗っていたが、彼女たちは鰯雲を率いているというこのつや子さんの表現に、雲の広がりと一輪車の動きがつながっていくような感覚になった。
*もう少し空腹でいる朝の露 岡田耕治

2025年10月5日日曜日

香天集10月5日 渡邊美保、嶋田静、森谷一成、浅海紀代子ほか

香天集10月5日 岡田耕治 選

渡邉美保
足元の草の匂へる魂迎へ
花野行きのバスに乗り込むフライパン
星飛んでムーミン谷に風の音
色抜けしゑのころ草の鳴きにけり

嶋田静
約束のように風来る敗戦日
仰向けの蟬近寄るや飛び立てり
泰山木陽ざしはすべて葉の裏に
夏の山天涯に花揺らしけり

森谷一成
ふところを秋刀魚にみられ茜雲
吾父はポツダム少尉いぼむしり
爆音の過ぎて泣きやむ猫じゃらし
  伊丹吟行
無患子の揺れて猪名野の昔めく

浅海紀代子
深奥にわが影伸びる九月かな
リハビリの靴の片減り草の花
次男坊ふらりと帰るつくつくし
思い出をたどる桔梗を端緒とし

佐藤静香
ひとつ屋に人の温もり夜の秋
金秋の卵ひとつに足るを知る
故郷は疲れの見えて曼珠沙華
無患子の実や堅き意志内包す

牧内登志雄
望の月賢者の海の賑わえり
雲水の笠に纏わる初紅葉
愚痴もまた肴と酌めり新走
県境わたる鉄路や水の秋

河野宗子
天井の屋久杉回る広重忌
くすぐって色なき風の走る朝
垂直に連なっている蜻蛉かな
期日前投票に来て敬老日

田中仁美
漢江に飛び交いつづけ夏かもめ
朝粥に小さき鮑隠れおり
万博に小さき一歩芝青し
マッコリの白く香れる長き夜

吉丸房江
草の露風の遊びに転げたり
百日紅ほろりと散りて転がりぬ
この暑さ走るタイヤの熱かろう
斜めがけ水筒よ子の足までも

〈選後随想〉 耕治
花野行きのバスに乗り込むフライパン 美保
 フライパンは台所の道具、日常の「食」と「家」を象徴するもの。それが「花野行きのバス」という非日常の場面に登場することで、強烈な違和感というか、面白さを生んでいる。花野で何か調理をするために持っていくのだろうか。しかし、なぜフライパンなのか。引っ越しや遠出の際に、必需品として他の荷物と一緒に乱雑に持っているのだろうか。私がよく見る番組の、登山で山頂に到達し、その場所で「頂きメシ」を楽しむという場面なども想起できる。フライパンという思いも寄らない美保さんの選択が、どんどん想像を広げてくれる。

約束のように風来る敗戦日 静
 敗戦日に、まるで約束されていたかのように一陣の風が訪れた。静かに鎮まっていた空間に、突如として風が吹き抜け、それが過去と現在を結ぶ通路の役割を果たしているようだ。この風は、ただの涼しい風、心地よい風ではない。それは、静かに、しかし有無を言わさぬ力を持って、静さんの胸奥にある記憶の扉を開こうとしている。8月15日の放送の雑音、熱に揺れる陽炎、遠い日の別れなど様々なことが風に乗って、そうした過去の断片が、意識の表面に約束のように浮かび上がってくる感覚が表現されている。
*待っていることが薬にかりんの実 岡田耕治