香天集3月30日 岡田耕治 選
玉記玉
春宵の捲ればほつれそうな本
真っ白な猫となりたし花疲
花馬酔木ほぐさん姉と遊ぶため
接木して身のうちに罅ありしこと
森谷一成
戯れに石積みおれば蕗の薹
物売りの声に駆けおり朧の夜
糸遊のカステラ切って仕舞いけり
大阪都島区
降りてくる百機の腹の日永かな
谷川すみれ
ひとときの抱擁となり桜花
眠る口開いているなりあたたかし
青き踏む兄亡き後の誕生日
恋猫の振り向く背中獣めく
安田康子
菜の花の気持ちになりぬ昼下がり
春光や発車時刻に走り乗り
ランチから花満開の浄土かな
断捨離の最中を舞う春の塵
岡田ヨシ子
白梅や友と歩みし城の石
初桜ただ一言の夢かない
メール来る若布刈る人亡くなると
年月を走って来たり夕桜
河野宗子
墓へ行く白木蓮の笑顔よし
春の雨オブジェ三体目を開き
今は亡し河津桜を差した指
花冷や友との電話長くなり
秋吉正子
渋滞の車を過ぎる冬鷗
寒の月弥生の人を照らしたる
竹尺の母の旧姓春きざす
春寒し病院に入る駐車場
西前照子
築き来し家で迎える松の花
友だちに別れを告げん雪の朝
松明の開かぬドアを外しけり
バーナーで芝生を焼いて春を待つ
大里久代
菜の花の蕾を摘んで和えており
春ともし大日如来帰りけり
水仙の香りいっぱい仏さま
八重椿私の頬を撫でてゆく
北岡昌子
台湾に旅していたり春の雲
本殿の満開となる枝垂梅
水仙の花の集まり通る道
決算のコンピューターをにらみけり
〈選後随想〉 耕治
真っ白な猫となりたし花疲 玉記 玉
「花疲」は、花見に行って心身が疲れることだが、そんな時「真っ白な猫」になりたいと感じた。花疲と白猫の取り合わせは、どのような効果を生み出しているのだろう。白猫は、純粋さ、自由さ、癒しの象徴として描かれることが多い。しかし、単なる白ではなく花疲が呼び覚ました白であれば、どこか物憂げな印象がある。白猫が持つマイナスの側面として、白は他の色から際立つため、孤独や孤立を象徴することもある。そう見ていくと、「花疲」という言葉も、花見のプラスの側面と、疲れというマイナスの側面が背中合わせの言葉であることに気づかされる。玉さんは、この二つを取り合わせることによって、心身の複雑な情況を表現することに挑戦した。
竹尺の母の旧姓春きざす 秋吉正子
何気なく使ってきた竹尺には、母の名前がマジックで書かれている。しかもそれは「旧姓」だから、母が成育して結婚するまでの道のりが想起される。現在のように選択的夫婦別姓(氏)の論議がなされなかった時代を生きた母の、その生き方もこの言葉から推し量れるだろう。物を大切に生きた母、その子である作者もまた、丁寧な暮らしぶりをしている、そのことがこの「竹尺」から見えてくる。正子さんの選んだ「春きざす」という季語は、母への追慕の情とこれから始まる春とが照らし合い、とても効果的だ。
*岬町小島漁港にて。