2024年11月17日日曜日

香天集11月17日 渡邉美保、柴田亨、三好広一郎、湯屋ゆうや他

香天集11月17日 岡田耕治 選

渡邉美保
初しぐれロバ曳く人とすれ違う
水面より暮れはじめけり龍の玉
転生を考えてゐるきりぎりす
椿の実姉は絶対あやまらない

柴田亨
櫨紅葉ふと紛れ込む君のこと
肩車諦らめた日よ秋高し
母がよく使いしポスト冬ぬくし
もう白い山茶花何を準備する

三好広一郎
渋滞や押し寄せてくる鰯雲
芒捨て薄を活ける青畳
ほんとうのことはいわない蚯蚓鳴く
はぐれては身に沁む点に鵙の声

湯屋ゆうや
朴落葉投票箱の小さき穴
売りし家の南天の実はたわわなるか
ぼんやりとカーデガン着る待合室
冬暖か平飼い卵の紙容器

宮下揺子
消息の消えて久しや烏瓜
病得て嗜好の変わるむかご飯
逝き方を話して帰る石蕗の花
秋真昼箪笥に籠る亡母の香

前塚かいち
秋灯や別れられない人ばかり
瑕跡をそのままにして山眠る
温めるパックのご飯文化の日
保護猫と今いる不思議秋の暮

半田澄夫
魂に法被を着せる秋祭
紙吹雪色なき風を桃色に
写生会勝負のブルー秋澄めり
荒れ庭の変化を待てり今朝の秋

北橋世喜子
米を研ぐ当たり前にも力込め
羽音せずちょっと帽子に赤とんぼ
荷を足で抑えベル押す玉の汗
ずいき煮る鍋ぶた踊り始めたる

中島孝子
虫時雨袋の音と競い合い
羊羹に添えし笑栗客迎え
青の月一番電車待つホーム
雲早くなり十六夜の月が好き

橋本喜美子
遠目より黄色くっきり女郎花
花茗荷ことし最後の甘酢漬
復興の能登に厳しき秋出水
口の中鳴らして遊ぶ鬼灯よ

上原晃子
鉄塔を仲良く見上げ曼珠沙華
秋夕日ひつじの群の遊びをり
秋の蝶起こした土を嗅いで行く
芋の葉の露を両手で転がしぬ

石田敦子
独りの卓同時におこる虫時雨
秋祭終わりいつもの虎の尾よ
残る蚊に刺され痒みの強くなる
夢の中父が現はる新走り

東 淑子
垢すりを祖父が作れる糸爪かな
生けるたび混じっていたり菊の花
ふうふうと食べ合っているさつまいも
十匹の燕飛び立つ秋の空

〈選後随想〉 耕治
転生を考えてゐるきりぎりす 渡邉美保
 大阪句会に出されたとき、この句は「転生を考えている枯蟷螂」で、5人の人が取った高点句だった。久保さんから「枯蟷螂」を何とかするともっといい句になるとアドバイスがあった。私からは、多くの人に取られた句を変えるのはパワーが要るけれど大事だと申し添えた。美保さんが出した答えが、この句。きりぎりすは、芭蕉が「むざんやな甲の下のきりぎりす」と詠んだもの。原句では、枯蟷螂の「枯」が邪魔をしていたが、すっと入ってきてイメージを拡げてくれるようになった。きりぎりすは、他の虫と較べても触覚が長く、眼もこちらを見ているようについている。「転生」とは、生まれ変わることだから、命の連鎖を感じさせてくれる言葉。それと、短い一生を送るきりぎりすの対比が印象的な句になった。転生を考えているのは、作者か、きりぎりすか。どちらを取っても、読み手はきりぎりすの視点からこの世を見つめることができる。
*岬町小島にて。

2024年11月10日日曜日

香天集11月10日 三好つや子、佐藤静香、春田真理子、砂山恵子ほか

香天集11月10日 岡田耕治 選

三好つや子
秋深しえんぴつの木の物語
蔦紅葉オカリナみたいな人と会う
柿すだれ私の中の母の指
秋刀魚焼く昭和の空が振り向いた

佐藤静香
ハードルを超ゆる筋肉天高し
砲丸のどすんと着地秋澄めり
白菊やたましひ城にしづまれり
露日和剝落著き仁王像

春田真理子
蟻を追う小さき眼にある世界
青天の一片を切り柿を穫る
鈴緒振り清秋の天揺らしおり
紅葉ふる高足駄の音すなり

砂山恵子
笑ふのに理由はいらぬ新走
白萩やかつて行幸ありし寺
新米と楷書で書きし宅急便
虫集くコピーの束の淡き熱

秋吉正子
野地蔵の帽子に夏の続きけり
コスモスの風よ良き日になりそうな
本当のことは言えない彼岸花
五年ぶり秋刀魚定食待っており

岡田ヨシ子
秋桜テレビの前に鑑賞す
秋日和海岸行きのバスが過ぎ
麦を蒔く遠き思い出母の歳
冬隣半袖姿通りけり

牧内登志雄
昨日より秋を濃くする朝かな
江戸前の尻端折りや鴨の陣
ほろ酔ひで担ぐ熊手の稲穂かな
香り立つモカコーヒーや霜の朝

川村定子
供ふ物なきに我が家の月明り
かなぶんの足の動くに塵箱へ
秋ともし胸の上にて指を組み
秋の蝶憩わずに草渡りゆく

大里久代
虫の夜画面に母校映りけり
一箱の梨が届きぬおすそ分け
バクラ編むクラフトテープ夜長し
これ以上浮かばなくなる彼岸花

北岡昌子
文化の日あの世に住みて五十年
地車のヤソーリャソーリャと駆け抜ける
新米の届くをずっと待っており
松茸の味も香りもよく噛んで

西前照子
カレンダー千切り残暑の過ぎゆくか
手作りの月見団子を供えけり
塗り椀に沈めし月見団子かな
彼岸花咲くを待ちたる風のあり

〈選後随想〉 耕治
秋深しえんぴつの木の物語 三好つや子
 秋の深まりは、一年が終わりに近づき、自然が休息に入る様子を連想させる。そこにつや子さんは、「えんぴつの木の物語」なるものを置く。鉛筆になるために伐採された木は、長い年月をかけて成長し、様々な経験をしてきた。その木の生きた証を、私たちは鉛筆として手にすることになる。鉛筆はまた、私たちのアイデアや感情を形にするための道具だ。鉛筆というモノを通じて、私たちが創造性を育み、表現してきた営みを暗示しているにちがいない。
*岬町小島にて。

2024年11月3日日曜日

香天集11月3日 夏礼子、玉記玉、森谷一成、辻井こうめ他

香天集11月3日 岡田耕治 選

夏礼子
酔芙蓉大禍時を待ち合わす
鰯雲忘れていたること思う
烏瓜うしろの影が濃くなりぬ
釣瓶落し見知らぬ人と隣り合い

玉記玉
柿噛めば柿の音する空の中
秋刀魚焦がした晩年近づいた
かなかなかな友は青くて青いまま
蝋燭と木の実と姑を寝かす

森谷一成
肌色の交り合うなり鰯雲
  袴田巖さん雪冤
本当はでつぞうと読む無実なり
どすの利く声のまぢかに芒原
オムレツの家をとびだし良夜かな

辻井こうめ
少年の一人サッカー空高し
隣席が友の始まり木の実降る
淡白な付き合ひも良し花芒
なだらかな山の形して秋の雲

谷川すみれ
眠るにも体力がいる大晦日
したたかにさらす素肌や枯欅
利き足を前に置きたり去年今年
寒紅の戸籍を変えておりにけり

柏原玄
いくつかの横文字を得て吾亦紅
薄野や道は臥しゆく風にあり
水澄むや来し方をつと立ち止まる
残菊の時に臨みし香なりけり

中嶋飛鳥
鵙の声晩学の背を囃しおり
又候のマイクの声と泡立草
木守柿灯す窓あり郷(くに)のあり
憑代の鼓動をたどり蔦紅葉

佐藤俊
秋曇天追憶という悪しきもの
ひとふでがきの善意と悪意夜長かな
秋夕焼天にいちばん近い時
露草の今日の夕べは透きとおる

前藤宏子
秋霖や街にひとつのストア消え
骨密度高まりそうな秋日和
魂が抜けたのかしらすすき白
朝露や今日より若い日はあらず

安部いろん
蟋蟀の複眼戦争の予感
釣瓶落しもつれる退社時間
終電へ秒針滑る秋蛍
月笑うとも髭の男は四代目

楽 沙千子
自転車の速度の色に草紅葉
線香の幽かにのぼり暮早し
鱗雲体操服のよく乾き
メモ帳は手付かずのまま秋寒し

宮崎義雄
コスモスと話していたり細き肩
特売の光る秋刀魚の黒目かな
軒先に腹を開かれ鮭二匹
呼び込みの弾んでいたる今年米

森本知美
おとこおんな全て忘れる秋祭
新米を呉れる弟恙なく
何処迄も川と虫の音ありにけり
夕茜紡績跡の赤とんぼ

石橋清子
一絞りすだち漂う夕餉かな
押し花のしおりの香るラベンダー
待ちかねしつくつくぼうし風の中
もろこしや北の便りに息をつく

垣内孝雄
小春日和スワンボートを漕ぎ出せり
今朝の冬五峰をわたるちぎれ雲
山茶花や古刹に並び師弟句碑
さいかちの黒き実をもて里の山

松並美根子
淋しさと気楽さ寄せる曼珠沙華
なるほどの紅葉日和となりにけり
真っ直ぐの道まっすぐの稲穂波
秋暑し花も野菜も切れぎれに

松田和子
朝市の強面の鮭描きたし
ジャムにするは姉の口癖柿をもぐ
赤い羽へしゃげた屋根の雨の中
稲雀風を進める行者達

丸岡裕子
迷走のあるがままなリ台風裡
小さき月宇宙の片隅から仰ぐ
太陽の塔へ再び登高す
秋すだれ人の生死を隠したり

木南明子
庭中を片付けました十三夜
いつ死ぬかたずねていたり秋の雲
骨折の体引きずる秋暑し
月沈みテレビ放送動きだす

目 美規子
月を見る思いは千差万別に
心地良き風と満月独り占め
菊花賞栗毛の馬に大歓声
萩の影かぐや姫いる気配かな

金重こねみ
クーラーに勝る癒やしよ翔タイム
顔知らぬ母の青春知る墓参
いっそのこと栗名月も見んとこか
鍵穴にスッと入らぬ秋の暮

勝瀬啓衛門
掘るよりも珠芽摘み取る零余子飯
虫除けの残り香秋の更衣
牧閉すカウベル止んで風野原
重たげな銀杏黄葉の小判かな

〈選後随想〉 耕治
酔芙蓉大禍時を待ち合わす  夏礼子
 酔芙蓉は、朝は白く、夕方には紅く色を変える花として知られている。その美しさは、移りゆく時間のはかなさを象徴しているとも捉えられる。一方、「大禍時(おおまがとき)」は、大きな災いの起こりがちな時刻の意から、夕方の薄暗いときを表す(大辞泉)。逢う魔が時とも書く。礼子さんのこの取り合わせは、読み手に生と死を同時に意識させる。現在の気候変動は、異常な暑さや豪雨となって表れ、この星に生きることのはかなさを感じさせ、大禍時であることを予感させる。そんな大禍時の酔芙蓉の色は、私たちが生きている間にも、喜びや悲しみ、様々な出来事が刻々と変化していくことを暗示しているのかもしれない。だからこそ、待ち合わせて誰かと会いたくなるのである。
*伊丹市立ミュージアムにて。

2024年10月26日土曜日

香天集10月27日 神谷曜子、湯屋ゆうや、釜田きよ子ほか

香天集10月27日 岡田耕治 選

神谷曜子
三世代同居となりぬかまどうま
好奇心を強めていたり竈馬
今生はいとどに生まれ一人ぼち
言う事を聞かなくなりぬ虫の声

湯屋ゆうや
縫い糸を使い終わりぬ蚯蚓鳴く
彼岸花あるとわかっているほうへ
空へ伸び大津祭の山車の子ら
十三夜義仲寺に湖は遠ざかり

釜田きよ子
雲の峰カラスが屋根の上歩く
にんまりと生きておりけり蝸牛
赤とんぼ夕刊読みにやって来る
辛い時絶対泣かぬ曼殊沙華

北橋世喜子
たっぷりの薬味ガラスに冷奴
反戦旗受け継いでいる蝉時雨
鈴虫や息を入れよと声をかけ
同じ月眺めていたり京の友

古澤かおる
ナイフより指先で剝く熟柿かな
労りつ住まう古家に律の風
切り口はフルーツサンド灯火親し
白菜やもう六分の一で足る

半田澄夫
妻何も言わなくなりし秋簾
今朝の秋ヒールの音が語りかけ
長き夜の無口な二人答え出す
蟷螂や駅のホームで鎌を上ぐ

橋本喜美子
青空へ一本赤き夾竹桃
三陸の戻り鰹や海豊か
雨上がる調子のんびり虫の声
雷雲の動き負けじとペダル漕ぐ

中島孝子
読み返す古き手紙の夜長し
桔梗に掛け替えている居間の白
山葡萄甘酢ばさの幼き日
鳳仙花はしゃいで種を手のひらに

石田敦子
ベランダに命を尽くし秋の蝉
いちじくの一つは熟れて落ちてをり
彼岸花摘んでは母に叱られし
テープ貼る窓よ台風まぬがるる

上原晃子
滴りに続いていたる茶店かな
焦げ色の竹串鮎をほおばりぬ
さつまいも茎の煮物を一品に
朝光る一面となる赤蜻蛉

吉丸房江
新米の中に父母あり先祖あり
秋茄子を剪りて再び実を結ぶ
絵手紙の林檎値上げに負けぬほど
「爽」というひと文字を書き秋の空

東 淑子
思い出すだんじり囃子の稽古見て
昼寝して終の棲家と思いおり
道行けば茂り始める秋の草
秋に入る色を変えたる木々のあり

〈選後随想〉 耕治
言う事を聞かなくなりぬ虫の声 神谷曜子
 言う事を聞かなくなったのは、虫なのか、他者なのか、自分の身体なのか。さまざまに思いを馳せることのできる句だ。夕方から鳴き出した虫の声が、しだいに虫時雨となって、止めどなく聞こえてくる。そんな中で、家族だろうか、友人だろうか、他者が言うことを聞いてくれなくなった。そのことを、腹立たしく思う反面、その人の成長も感じている。あるいは、この膝は、どうも階段の上り下りが辛くなってきた。これも、歳とともに仕方のないことかもしれない。ここまで読んでいくと、自然の中で鳴き続ける虫の声は、生命の象徴として捉えられる。曜子さんは、虫の声を聞きながら、言うことを聞かなくなったことを受け止めようとしているのかも知れない。
*ねんりんピックの行われた鳥取駅前にて。

2024年10月19日土曜日

香天集10月20日 柴田亨、三好広一郎、上田真美、木村博昭ほか

香天集10月20日 岡田耕治 選

柴田 亨
羅針盤目盛りは常にガザに向く
咽喉にある小骨は愛し秋彼岸
よだれかけ替わり秋日の石地蔵
鱒寿司の一片紅き富山かな

三好広一郎
ガス消して母は良夜を行ったきり
十三夜締切のあるやさしさよ
円周率いまどのあたり今日の月
そぞろ寒肩のぶつかる視力かな

上田真美
水撒けばいつものばった会いに来る
秋の空干した枕をそっと嗅ぐ
涼新た手術を終えし母と居て
これからをためらっているちちろ虫

木村博昭
かなかなや父祖の眠れる峡の村
木登りのスカートの子ら秋高し
秋灯下どろんこ靴で学びけり
疎開児のその後を知らずふかし藷

松田敦子
朝冷の流木くぐり自衛隊
爽涼やコーヒー豆の封を切り
秋扇や施設の母の誕生日
行き帰り知らない町の松手入

嶋田 静
風に吹かれなんと小さな秋の蝶
名月を抱き水面の讃岐富士
篝火のはぜ名月の昇りきる
鶏頭花先に重たき花一つ

俎 石山
冷酒一献スカートをはく男子から
アパートの一人の至福缶ビール
朝ドラの朝一番の缶ビール
赤蜻蛉峠結界往還す

川村定子
秋灯し死者の指組む胸の上
供え物なきに我が家の月明り
かなぶんの手足動くに塵箱へ
草紅葉蝶は憩わず渡りゆく

〈選後随想〉 耕治
 大阪句会や上六句会は、事前に投句・選句を済ませて、相互の選評だけを行う句会である。コロナ禍によって、この形になったのだが、現在も同様に続いている。自分が投句した俳句を、誰かが確かに受け取ってくれる。この感覚が、2つの句会を値打ちあるものにしている。今回は、大阪句会に出された一句。

水撒けばいつものばった会いに来る 上田真美
 なにげない日常の一コマを切り取った句だが、真美さんのまなざし、その中にある温かさが伝わってくる。夕方、家の周りに水を撒くと、必ずと言っていいほど出現するばった。そのばったに、「いつもの」という言葉を付けることによって、作者とバッタとの距離が一気に近づく。もしかすると、ばったとの出会いを楽しみにしているのかも知れないと思わせてくれる。いつまでも暑さが残る今年の情景として、水を撒く時の音、ばったの跳ねる音、そして、跳ねて止まったばったの顔までが想像できる。読む者の心を澄ましてくれる一句だ。

 明日の日曜日、久保純夫さんと、鳥取県のねんりんピックの俳句選者を務めますので、一日早く配信しました。
*大阪教育大学柏原キャンパスから。

2024年10月13日日曜日

香天集10月13日 三好つや子、前塚かいち、春田真理子ほか

香天集10月13日 岡田耕治 選

三好つや子
新涼の音になりたきスープ皿
月光に添削されている私
土曜日の彼はオムレツ小鳥来る
正論のふとはにかめる赤い羽根

前塚かいち
五分後の行方不明やカタツムリ
粛々と連用日記日日草
庭で読む「俳壇・歌壇」今朝の秋
秋思なる揺らぎを離れハーモニカ

春田真理子
慣習のことばの前に花茗荷
龍淵に潜み出産近づきぬ
長月の繭の中なる嬰児よ
携帯の声すでに無き野分かな

小﨑ひろ子
使い方知られぬままに御神刀
攻撃性講座を止めて鳩時計
木馬にはプルトニウムが眠る秋
十六夜やカジノの前のTOTOカルチョ

俎 石山
焼死体仰向けとなるせみ一つ
篝火を見下ろしている百日紅
どん底の家族会議に三輪そうめん
冷凍庫母が残せしあずきバー

北橋世喜子
入眠の闇に近づく虫の声
三味のばち弾ける音や蝉時雨
仏壇に供えしかぼちゃ手を合わす
涼風のファン付きベストふくらみぬ

中島孝子
空蝉や門扉はそっと閉めておき
久に出す暑中見舞は怪我見舞
飛騨川の鮎つる笘を数えおり 
気忙しく洗い流せり百合花粉

上原晃子
ツンツンと泳いでいたり目高の子
鬼百合の草の中より咲きにけり
蝉しぐれ強くなりまたゆるくなり
さるすべり雪の軽さで風に散る

半田澄夫
初蝉や去年の友は何処へか
初めての男日傘を差してみる
日曜の朝軽やかな白ヒール
初夏の丘分譲の旗並びけり

橋本喜美子
花茣蓙を敷き客人を迎へけり 
潮引きて小蟹群れゐる社殿かな
小魚を真一文字に追ふ河鵜
孫達と平和の旅へ広島忌

東 淑子
梅雨はげし夫の写真にぼやきおり
金魚鉢通し見ている亡き夫
夏休み返上す亡きおじいちゃんへ
朝起きの蜘蛛の大きな足の形

石田敦子
ジャスミンティー淹れて束の間空白に
雷鳴の響いていたり寝入りばな
売り出しに列長くなる桃の里
秋に入る高校野球開幕日

勝瀬啓衛門
草の穂や引き抜き遊ぶたなごころ
まだ生らぬ破れ芭蕉や夢淡し
鵙猛る掛け合う声の絶えるまで
柿の秋絡まり響く鳥の声

〈選後随想〉 耕治
 上六句会は、鈴木六林男師の「花曜」の時代から続くもので、各自が出した席題を70分ほどで作り上げる句会だった。しかし、コロナ禍以降、メールやズームを活用した句会にしたので、今では各自が出した席題を24時間以内に作り、選句を済ませたあと、合評を中心とした句会になった。24時間といっても、自分の集中できる時間を見つけて、24時間後に投句すればいい。誰がどんな席題を出すか、毎回たのしみな句会である。「オムレツ」は、9月の上六句会で久保さんが出したもの。家庭的なメニューであり、どこか温かい雰囲気が漂う題だ。もちろん、ホテルの朝食などで、シェフがその場で作ってくれるオムレツを想起してもいい。その中で話題になったのが、次の句。
 土曜日の彼はオムレツ小鳥来る 三好つや子 
「土曜日」という日常の週末に、秋になって渡ってきたり、山から人里へ降りて来たりする小鳥が、軽快な動きを与えている。「彼はオムレツ」という措辞から、家族、恋人、友人など、誰のことかと想像させ、彼がオムレツなら「私」は? と、読む者をどんどんたのしくさせてくれる、つや子さんならではの言葉選びだ。「土曜日はオムレツ」と決めている彼のこだわりと、週末のちょっと時間の余裕のある食卓。香り立つコーヒーやパンの匂いなど、ほっとする日常の光景の中に、小鳥が来ることによって、様々なイメージが活性化される。視覚、嗅覚、味覚、聴覚とつらなる、言葉の選び方の巧さ。これも、上六句会という、互いの言葉=感性を刺激し合う場だからこそ生まれた。
*大阪教育大学柏原キャンパスにて。

2024年10月6日日曜日

香天集10月6日 中嶋飛鳥、渡邉美保、浅海紀代子、佐藤静香ほか

香天集10月6日 岡田耕治 選

中嶋飛鳥
玉鋼はだえに秋思走りたり
後の月知らず知らずの深爪に
鵙日和軍手ぐるみに手を洗う
緋衣草帰りは遠き道となり

渡邉美保
とんぼうの視野に入らぬ角度にて
脱ぎ捨ての軍手の上を子蟷螂
風待ちの葦舟ひるこ乗せたまま
珈琲の水を選びぬ夜の秋

浅海紀代子
月白の私の部屋に私の灯
爽涼の椅子に沈める句集かな
樹下の椅子坐せば私も秋になる
萩の花ゆっくりと積む齢かな

佐藤静香
眼に映す少年の眼の銀やんま
祖国なるDNAや木槿咲く
望月や引き籠る子の窓照らす
生い立ちを綴るハルモニ秋深し

佐藤俊
鉄路懐かしさらさらさらと翳流れ
スタンド灯す 記憶は常に悔いている
手札配るあとは黙って月夜茸
老いる先見たくて夜明け螻蛄鳴く

垣内孝雄
草の花石を据ゑおく猫の墓
八千種や湖のほとりのカフェテラス
赤とんぼゆるりと向ふ太子道
豊の秋方便御手に観世音

長谷川洋子
オリーブの散りて夕日に実を待ちぬ
利休草織部焼へと蔓を巻き
ただ一つ残りし柘榴たぎる赤
ハラン敷き鰤大根を真ん中へ

楽沙千子
旅疲れ忘れていたり虫の声
遊ぶ子ら釣瓶落しに薄れゆき
二十年市役所に活け吾亦紅
籾殻を焼きし田の焦げ点点と

岡田ヨシ子
敬老日届きし花に十の瞳
食堂へ行くブラウスの秋の色
手窓から八つを数え秋の峰
誕生のうれしさの消え九月尽

牧内登志雄
雲水の風切る笠や照紅葉
傷つかぬマカロンほどの秋思かな
燐寸擦る束の間消ゆる三日の月
雲梯を一つ飛ばしの秋の風

吉丸房江
シャランシャラン稲穂に汗の実る時
食卓をあっと言わせる栗御飯
野菊から野菊へ蝶のもつれ合い
父母在らば今も訪いたき柿熟るる

〈選後随想〉  耕治
 心斎橋大学の久保純夫さんの「楽しい俳句づくり」が今期で終了すると聞いた。この講座には、私を含め「香天」から幾人か参加できたので、それぞれの方の上達を感じるが、中でも中嶋飛鳥さんの伸び代は大きい。飛鳥さんの句には、言葉を突き詰めるあまり硬さがあったが、久保純夫さんの俳句づくりと出会うことによって、その硬さがほぐれ、表現がより深くなった。
  玉鋼はだえに秋思走りたり 中嶋飛鳥
玉鋼とは、高品質の刀剣を作るための鋼のことで、割れにくく作刀の激しい折返し鍛錬にも耐えられる高い鍛接性をもつとされている。「はだえ(肌)」という言葉から、石の玉鋼よりも、玉鋼を研ぎ澄ました美しい肌合いを想起させる。それに秋思を取り合わせる感性もさることながら、その秋思が走ったと表現した。秋思が、玉鋼の肌合いをきっかけに、作者の心の中を駆けていく様子が表現されている。秋を迎え、去りゆく時への思いなどが、作者の心に去来しているのかも知れない。玉鋼の美しい肌合いと、作者の心の動きが、読む者の心に刻まれるような繊細な余韻を生み出している。

 今年の第3回鈴木六林男賞には八六編の応募があり、過去最高となった。第1回大賞受賞者の玉記玉さんも、第2回の渡邉美保さんも、ともにこの「香天集」での好調が続いていて、心強い限りだ。
  とんぼうの視野に入らぬ角度にて 渡邉美保 
とんぼう(蜻蛉)の視点は、複眼のため非常に広い範囲を捉えることができる。しかし、この句では、その蜻蛉の視野に入らない、つまり捉えられない角度が存在するという。最近、海辺で蜻蛉を見かけたが、真後ろから近づいたので、飛び去ることはなかった。そのような角度かも知れないし、もっと広く、 蜻蛉の視覚の限界、あるいは人間がまだ発見していない自然の神秘を表現しているのかも知れない。私たちの認識には限界があり、物事の全てを捉えきれないことを暗示しているとも考えられる。「角度」という言葉が、単なる物理的な角度だけでなく、時間や空間の広がりを示し、存在の孤独というものを感じさせてくれる、美保さんならではの一句だ。

*上六句会会場・ホテルアウィーナ大阪にて。