2024年1月28日日曜日

香天集1月28日 木村博昭、谷川すみれ、湯屋ゆうや他

香天集1月28日 岡田耕治 選

木村博昭
冬ぬくし関門海峡糸電話
セーターに虫喰いの穴二日酔
赤紙のなき世を生きて初湯かな
トリアージ・タッグはレッド雪しまく

谷川すみれ
春光や本の栞をまた開き
三月の前と後ろに鞄抱く
山笑う一両電車軋む時
雛人形長女の顔になっており

湯屋ゆうや
脱ぐ順に重ねる冬の枕元
肩車いそいで降りて雪達磨
何らかの音の無い朝年明くる
人の日のスリッパ人へそろへけり

辻井こうめ
静かなる冬のダリアよ彼の土地よ
水兵と覚えて記号耳袋
方言の抑揚ほつと女正月
冬日向元気に走る影法師

砂山恵子
直感を休める一夜毛糸編む
鰤捌く男言葉の女たち
言ひしこと後戻らずに凍る月
寒鯉の上寒鯉の影通る

楽沙千子
へっついや餅つく三和土黒光り
十円の駄菓子にまよい冬休み
山彦を競うていたり竹馬の子
冬至の湯山の地鳴りが窓叩き

秋吉正子
初詣ゆっくり歩く人になる
黒塗りのワゴンが止まる初景色
元気という賀状の文字に震えあり
節くれた指を見せ合い初稽古

大里久代
目標を確かにしたり初明り
山茶花に染まり出掛ける時を待つ
行く道を伝え合いたり成人式
臘梅の香り漂う座敷かな

〈選後随想〉耕治
トリアージタッグはレッド雪しまく 木村博昭
 トリアージタッグとは、患者の重症度を判断するために使われるもので、それがレッドであることは、タッグをつけた患者が重症であることを示している。赤は、危険や危機を示す色であり、また血の色でもある。その赤と取り合わされているのが、白い雪である。「雪しまく」というのは、雪まじりの強風のことだが、それは視界を遮り、活動を妨げるものであり、その中で医療関係者たちが、懸命に救命活動を行っていることが伝わってくる。今回の能登半島地震に関する言葉は何も使われていないが、災害の悲惨さと、医療関係者たちの献身的な姿を、簡潔にかつ印象的に表現した、優れた句である。
*米子市にて。

2024年1月21日日曜日

香天集1月21日 渡邉美保、中嶋飛鳥、加地弘子ほか

香天集1月21日 岡田耕治 選

渡邉美保
着ぶくれて凭れてゐたる犀の柵
柚子湯わく父は朝から不機嫌で
五位鷺の脚の淋しき六林男の忌
ことごとく枯葉となりて芳しき

中嶋飛鳥
日向ぼこ蛋白石の話など
初夢の顔半世紀さかのぼり
初鏡遠くより笑み取り出す
手袋の片方だけの胸騒ぎ

加地弘子
ただ嬉しかった正月の愛おしく
半分は餌籠に置く蜜柑かな
一錠の薬を探す歳の夜
蟷螂の鎌を突き上げ落ちてあり

釜田きよ子
山茶花や一日何もせずに過ぎ
身のうちの鬼の手強し鬼やらい
永遠の課題と思う福寿草
風花を一片入れし自動ドア         

小﨑ひろ子
献血の年齢あがり冬の街
大地震(おおない)の前に語らう憂国忌
流れたるキリコの行方雪の海
山眠る給食献立表の明日

古澤かおる
常のごと猫に起こされ大旦
空腹を感じる時のなき三日
古びたる鶴亀弾む床の春
骨正月宅配ピザにハンバーガー

河野宗子
冬の山両手を広げ眠りおり
手袋のほつれを縫いつ母想う
友が来て部屋の片づく冬日和
たのしみを遅らせている寒さかな

田中仁美
冬苺ほっぺ二つをふくらます
朝採りの花の形のおせちかな
もう少しで手が届きそう寒椿
改札の母に手を振る小寒かな

岡田ヨシ子
布団へと入れたきような雲並ぶ
冬の山高校生が行く姿
年賀状一通にある友の顔
実南天甥の寿命と変わりたし

小林一郎
今朝の鵯しんどい中を生きている
木枯や玄関に来る声のする
木枯や癌の床まで友の声

〈選後随想〉耕治
ことごとく枯葉となりて芳しき 渡邉美保
 枯葉は、自然の移ろいを感じさせる存在である。この句は、「ことごとく」枯葉の状態になってしまったという。この言葉は、大辞林には「多くこのましくないものについて用いる」とある。明鏡国語辞典には、「個々に注目しながら、その全体をいう語」とある。この二つを統合すると、とうとう枯葉になってしまったものの、その一つひとつが、芳しい香りを放っているという意味になろう。この芳しさは、寂しさを表象する枯葉の中に、懐かしく、温かいものを感じさせる。私たちの身もまた、刻刻と枯葉になっていくのだが、書き続ける俳句は芳しくありたい。
*岬町小島にて。

2024年1月14日日曜日

香天集1月14日 三好つや子、柴田亨、三好広一郎ほか

香天集1月14日 岡田耕治 選

三好つや子
一陽来復グラタンつくる父の声
ひらがなの時間のかたち毛糸編む
七福神こぞる血液検査かな
皸のごと夕焼ける国境

柴田亨
訃報来て邂逅一つ生まれけり
しおり抜く背表紙たちの年新た
何となくためらいのない冬林檎
蒼穹へ数多の冬芽育ちゆく

三好広一郎
充電も放電も良し日向ぼこ
高島屋東に曲がる年をとこ
売れ残りのあんこを剝すたい焼き屋
初富士や平均点より白が好き

神谷曜子
刃を立てて冬至南瓜とたたかいぬ
強く引く冬草にある自己主張
廃船に舞う綿虫を摑まえる
ドーナツの砂糖こぼれる建国日

春田真理子
山茶花を簪にしてとおりゃんせ
カッターの線の曲がれる障子かな
人日や言葉交わさず横に居る
七草を数えていたる十指かな

牧内登志雄
吹越のひとひら舞ひて君逝けり
竜骨のひゆうと鳴きたる冬怒濤
白鳥のばさばさと鳴る助走かな
故郷をさがして歩く冬日向

勝瀬啓衛門
口真似や数え二つの初えくぼ
年歩む学ぶことぞや楽しかり
風はらみ綱引き勝るいかのぼり
国道の先に真白き初浅間

〈選後随想〉
充電も放電も良し日向ぼこ 三好広一郎
 この句は、日向ぼこによって、誰もが持っているエネルギーが、充実したり解放されたりといった、二つの営みを合わせているところが印象的だ。どちらかは、これまでにも表現されているが、この二つの営みが一句の中に取り合わされていることが、印象的だ。そう言われれば、私たちは充電しているようで放電している、放電しながら充電しているのかもしれない、そんな気付きを与えてくれる。日向ぼこは親しみやすい季語だが、能登の大震災を経て、日向ぼこの持つ明るさや温かさといった力が、貴重なものだと感じられるようになった。
*岬町小島にて。

2024年1月7日日曜日

香天集1月7日 浅海紀代子、玉記玉、宮下揺子ほか

香天集1月7日 岡田耕治 選

浅海紀代子
咳一つ残して電話切れにけり
冬満月一日の老いを納めおり
遺族無き棺を囲む時雨かな
路地のあり帰る家あり枇杷の花

玉記玉
本堂から厠から見え寒椿
哀しむや鬼柚子ほどの脳もて
凍鶴のはずの点Pやや動く 
南天の限りを尽し撓みけり

宮下揺子
冬の朝手動ボタンを押して乗る
園児らの散歩はいつも芋畑
果てて欲し彼の地の戦禍レノンの忌
神棚も仏壇も無しレノンの忌

上田真美
これだけでいいと思える星月夜
大晦日婚約したと子の知らせ
山茶花の白に紅塗る夕陽かな
石蕗の花壁から伸びて日をすくう

垣内孝雄
スーパーの焼芋にしてひと袋
この方に歌垣の山眠りをり
焼鳥や企業戦士を退きて
水洟をかみつつ読める句集かな

秋吉正子
デザートはひと切れの柿ランチタイム
石蕗の花今日の日記を読み返し
ゴミに出す赤いサンタの包装紙
新しい楽譜をもらう春隣

〈選後随想〉
路地のあり帰る家あり枇杷の花 浅海紀代子
 「路地のあり」という句切れは、路地の奥に何かがあることをまず暗示する。その奥にあるのは、帰る家であり、その家の庭には枇杷の花が咲いている。枇杷の花は、大きな葉に隠れるように小さな白花が咲く。ということは、この句の視線は、路地、家、枇杷の花と、大きな方から小さな方へと焦点化されていく。この視線の移動は、家に帰りつくときの安堵そのものだ。紀代子さんの表現には、簡潔さの中に余白があり、読者の思いを冷静に、そして穏やかにしてくれる。
*JR難波駅にて。