香天集10月6日 岡田耕治 選
中嶋飛鳥
玉鋼はだえに秋思走りたり
後の月知らず知らずの深爪に
鵙日和軍手ぐるみに手を洗う
緋衣草帰りは遠き道となり
渡邉美保
とんぼうの視野に入らぬ角度にて
脱ぎ捨ての軍手の上を子蟷螂
風待ちの葦舟ひるこ乗せたまま
珈琲の水を選びぬ夜の秋
浅海紀代子
月白の私の部屋に私の灯
爽涼の椅子に沈める句集かな
樹下の椅子坐せば私も秋になる
萩の花ゆっくりと積む齢かな
佐藤静香
眼に映す少年の眼の銀やんま
祖国なるDNAや木槿咲く
望月や引き籠る子の窓照らす
生い立ちを綴るハルモニ秋深し
佐藤俊
鉄路懐かしさらさらさらと翳流れ
スタンド灯す 記憶は常に悔いている
手札配るあとは黙って月夜茸
老いる先見たくて夜明け螻蛄鳴く
垣内孝雄
草の花石を据ゑおく猫の墓
八千種や湖のほとりのカフェテラス
赤とんぼゆるりと向ふ太子道
豊の秋方便御手に観世音
長谷川洋子
オリーブの散りて夕日に実を待ちぬ
利休草織部焼へと蔓を巻き
ただ一つ残りし柘榴たぎる赤
ハラン敷き鰤大根を真ん中へ
楽沙千子
旅疲れ忘れていたり虫の声
遊ぶ子ら釣瓶落しに薄れゆき
二十年市役所に活け吾亦紅
籾殻を焼きし田の焦げ点点と
岡田ヨシ子
敬老日届きし花に十の瞳
食堂へ行くブラウスの秋の色
手窓から八つを数え秋の峰
誕生のうれしさの消え九月尽
牧内登志雄
雲水の風切る笠や照紅葉
傷つかぬマカロンほどの秋思かな
燐寸擦る束の間消ゆる三日の月
雲梯を一つ飛ばしの秋の風
吉丸房江
シャランシャラン稲穂に汗の実る時
食卓をあっと言わせる栗御飯
野菊から野菊へ蝶のもつれ合い
父母在らば今も訪いたき柿熟るる
〈選後随想〉 耕治
心斎橋大学の久保純夫さんの「楽しい俳句づくり」が今期で終了すると聞いた。この講座には、私を含め「香天」から幾人か参加できたので、それぞれの方の上達を感じるが、中でも中嶋飛鳥さんの伸び代は大きい。飛鳥さんの句には、言葉を突き詰めるあまり硬さがあったが、久保純夫さんの俳句づくりと出会うことによって、その硬さがほぐれ、表現がより深くなった。
玉鋼はだえに秋思走りたり 中嶋飛鳥
玉鋼とは、高品質の刀剣を作るための鋼のことで、割れにくく作刀の激しい折返し鍛錬にも耐えられる高い鍛接性をもつとされている。「はだえ(肌)」という言葉から、石の玉鋼よりも、玉鋼を研ぎ澄ました美しい肌合いを想起させる。それに秋思を取り合わせる感性もさることながら、その秋思が走ったと表現した。秋思が、玉鋼の肌合いをきっかけに、作者の心の中を駆けていく様子が表現されている。秋を迎え、去りゆく時への思いなどが、作者の心に去来しているのかも知れない。玉鋼の美しい肌合いと、作者の心の動きが、読む者の心に刻まれるような繊細な余韻を生み出している。
今年の第3回鈴木六林男賞には八六編の応募があり、過去最高となった。第1回大賞受賞者の玉記玉さんも、第2回の渡邉美保さんも、ともにこの「香天集」での好調が続いていて、心強い限りだ。
とんぼうの視野に入らぬ角度にて 渡邉美保
とんぼう(蜻蛉)の視点は、複眼のため非常に広い範囲を捉えることができる。しかし、この句では、その蜻蛉の視野に入らない、つまり捉えられない角度が存在するという。最近、海辺で蜻蛉を見かけたが、真後ろから近づいたので、飛び去ることはなかった。そのような角度かも知れないし、もっと広く、 蜻蛉の視覚の限界、あるいは人間がまだ発見していない自然の神秘を表現しているのかも知れない。私たちの認識には限界があり、物事の全てを捉えきれないことを暗示しているとも考えられる。「角度」という言葉が、単なる物理的な角度だけでなく、時間や空間の広がりを示し、存在の孤独というものを感じさせてくれる、美保さんならではの一句だ。
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