香天集1月19日 岡田耕治 選
柴田亨
ブリ大根平和を生きる鍋の底
星ひとつ入れて下さい冬銀河
寒晴の更地に風の生まれおり
詩人逝くいのち養う冬の巨樹
湯屋ゆうや
ふさわしい背中となりし春着かな
門松と門松の間を眩しめり
銭湯の木札鍵挿す冬の月
スキップはとても前傾冬菫
三好広一郎
寒林の隙間に立ちし学生服
夫婦別姓こちらが牡丹です
受験生ひとつ足りないコンセント
悪いけど疑っている冬の虹
木村博昭
母を呼ぶボーイソプラノ息白し
無防備な顔が並んで日向ぼこ
動かざる蔵の白壁日脚伸ぶ
福耳に補聴器を付け初句会
川俣実咲
ひねくれた君にあげよう初日の出
年の夜や血圧手帳を書き終えぬ
元日のどこへ逃げても忍び寄る
年忘れトイレのポスターに逃げる
平木桂子
笑い皺増やすと決める初鏡
霜焼けの赤く痒きに母のこと
右だけになりし手袋ゆかしくて
初景色伸びる二の字の飛行機雲
上田真美
ありふれた悲喜かも知れず日記果つ
駅伝を眩しく眺め車椅子
初湯殿動けぬ人の手足伸ぶ
ラインから年賀はがきの届きけり
神谷曜子
一葉忌市民オペラに出演す
枯蔦の看板映画館壊さる
年賀状終いふわりと届きけり
父の忌の寒夕焼を全身に
古澤かおる
水仙に荒れはじめたる野辺の風
ハイヒール風に福笹泳がせる
寒紅の女将は夫の同級生
猫の戸を開けておくなり去年今年
嶋田静
葉牡丹の渦に小さな独り言
雀たちどうぞ稲穂の注連飾
三が日戦のニュース休みなし
焼きみかん手に持ち帰る足軽し
〈選後随想〉 耕治
ブリ大根平和を生きる鍋の底 柴田亨
「平和」というのは、人によっていろんな取り方があるため、扱いが難しい言葉だ。戦争と平和なら戦争の方が書きやすいかも知れない。そんな「平和」という抽象と、「ブリ大根」という具体を何で均衡を取っているかというと、「鍋の底」であるところがいい。ブリ大根を食べることができるから平和だという、そんな単純なイコールではない。「鍋の底」は、文字通り鍋の一番深い部分だけでなく、「心の奥底」や「人生の根底」といった意味合いも感じられる。底辺というか、低いところからブリ大根と平和を捉える位置に私たちを連れていってくれる、柴田さんならではの秀句だ。
ふさわしい背中となりし春着かな 湯屋ゆうや
誰かのために、あるいは何かのために「ふさわしい背中」となっているという、この湯屋さんのまなざしに注目する。13日の成人の日に春着を着ている人を見かけたが、ふさわしい背中というのはどういうことだろうと、様々に思いを馳せることができる面白さがある。春着というのは、成人式とかハレの日に着るものだが、春着にふさわしい背中になればなるほど、また苦労も増えていくというようなことも、合わせて感じ取ることができる。
夫婦別姓こちらが牡丹です 三好広一郎
先日の大阪句会で話題になった句。とくに西田唯士さんが、「牡丹」という華やかな花から妻を想起させるので、夫はきっと「唐獅子」と名乗っただろうという鑑賞に笑いが起こった。夫婦別姓については、経済界からも「不自由なく自らの姓を選択できる制度の実現」が政府に提言されているが、なかなか制度改革が進まない。そんな情況下で「こちらが牡丹です」と、対話的な要素を含んで読者を作品の中に引き込み、「牡丹」というインパクトのある言葉を際立たせた。社会的な制度を伝統的な価値観から脱皮させるためには、「牡丹」という、個人のアイデンティティや多様性を象徴する花が相応しいと感じさせてくれる広一郎さんの一句だ。
*大阪教育大学天王寺キャンパスにて。
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