香天集5月24日 岡田耕治 選
谷川すみれ
葉桜に溺れていれば烏来る
若葉風象の涙を見ておりぬ
戒名のなき骨壺や初蛍
目標は遠くて遠い楠若葉
嶋田 静
バラの名にかがみておれば風生まる
蒜山の薫風帰りたくないの
風薫る昭和ガラスの我が家かな
芍薬の白がどっしり唐津壺
春田真理子
新芽出る神棚祀る榊にも
南無南無と揺れる紐より蝌蚪生る
実直に生きよの教え岩鏡
連峰の夏めく貌シーツ干す
古澤かおる
初夏の湿らせて焼くフランスパン
畑にて昼寝つるりと五分ほど
煮付けは烏賊醤油は島の濃い口で
事業所前スーツ姿の溝浚え
宮下揺子
花樒散歩以外のことを課す
さよならを言い出せぬまま薔薇飾る
泰山木の花心へと負荷をかけ
薄くなる肯定感や額の花
田中仁美
春暁の海峡渡る祈りかな
春寒の洞窟ホテル猫と居る
アヴァノスの陶工の指春寒し
春の水地下宮殿の涙柱
河野宗子
花ばらに鼻を近づけキスを受く
ジャスミンの香のしつこさが家に来る
春眠の中のひととき母と逢う
友来たるあたり一面皐月かな
松田和子
ブルーインパルス吹奏楽の風光る
防災の鯖缶を出しはりつめる
口に虫咥えし燕雛が待つ
米寿の夏ステーキペロリ食べ終える
〈俳句物語〉 岡田耕治
風薫る昭和ガラスの我が家かな 嶋田 静
じいちゃんが抗癌剤治療を止めて、自宅に帰ると言い出したのは、三月末のことだった。ケアマネージャーと相談の上、訪問診療に切り換えることになった。父と母、それに僕と弟は、一年間そのままにしていた実家を片付け、なんとかじいちゃんを受け入れるスペースを確保した。
実家は、昭和三十年代の後半に建てられた木造の平屋だ。レンタルした電動ベッドを設置するため和室を片付け、補助金を使ってトイレまでの動線に手摺りを取り付けた。四月になってもまだ肌寒い日があり、外窓だけでなく、廊下と座敷を仕切る木製の引き戸にも隙間があったため、風が吹くたびにガラスがカタカタと鳴る音がした。
病院の空調が効いた分厚い窓から、この隙間だらけの窓に移って、じいちゃんは大丈夫だろうか。しかし、僕たち家族の結論は、とにかく本人の望むとおりにすることだったので、僕も弟も何も口を出さなかった。ガラス戸にはカーテンはなく、光を乱反射させる凹凸模様が刻まれており、外からの視線を遮りつつ、室内に柔らかな光を取り込んでいた。
じいちゃんが実家に帰ったのは、ゴールデンウィーク前だ。昼間は看護師やヘルパーが来てくれるので、僕たち家族四人は、交代で実家に泊まり込むことにした。病院ではあまり食欲がなかったじいちゃんだったが、実家に戻ってからは、食べたいときに食べたいものを食べるという生活になり、少しずつ食欲が出てきたようだ。
僕がはじめて泊まった日、家から持ってきた夕食ではなく、インスタントラーメンが食べたいというので、じいちゃんが好きだというチキンラーメンを作った。三分の一ほどの量だったが、じいちゃんは美味しそうに食べてくれた。
次に泊まった日は、まだ昼の明るさが残る時間帯だった。磨りガラスを通して和室に差し込む光の中を、気持ちの良い風が吹き抜けている。しばらく、ベッドで横になったじいちゃんと話していると、「ワインが飲みたい」という。一瞬迷ったが、家族で決めたとおり、僕はコンビニにワインを買いに走った。そこで見つけたのが、ストローで飲む二百CCの赤ワインだった。
ストローを伸ばしてパックの差込口に固定し、チーズを一口食べるのを見て、じいちゃんにワインを差し出した。
「うまいなあ、一年ぶりや」じいちゃんは、うれしそうに二口飲んだ。
「あとはまた明日、残りは冷蔵庫にいれといて」とじいちゃん。
冷蔵庫を開けると、その光に照らされたのは、「楽園」というワインのラベルだった。
*死ぬ時はこれがいいねと更衣 岡田耕治
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