2026年8月16日日曜日

香天集8月16日 柴田亨、湯屋ゆうや、三好広一郎、前塚かいち他

香天集8月16日 岡田耕治 選

柴田亨
銀漢やペンダントなる母の骨
八月は憎し愛おし夾竹桃
蛞蝓の虹色の道消えている
うずくまる時の来にけり大蚯蚓

湯屋ゆうや
茸汁母に似てくる吾を笑う
夏の果脚の形に干すズボン
夜業なき日には電話をくれるひと
叱られつ蠅捕紙の下にいる

三好広一郎
シアンのインク激減夏大好き
喜雨の朝善男善女溶き卵
帯紐の紅から燃える晩夏かな
寺町は影多い町秋を待つ

前塚かいち
人類の夕方に咲きサルスベリ
アンパンマンはブッダの化身昼寝覚
ふるさとの除草終えたる夜の秋
もう少し生きよと蝉を放ちけり

加地弘子
やっと会う面会室の星祭り
デンと居る今ほしいのは蠅叩き
蝉しぐれユンボが止まり啼き代わる
八月の米研ぐ右手赤くして

平木桂
ピカドンと呼びし父母盆の月
何もせぬ贅沢な時蝉時雨
相槌を上手く打つ人心太
舞鶴の夏草深み護衛艦

上田真美
みどり児の腕をつたえる玉の汗
指先に汗かく兄の不器用さ
真夏日や出しなに水を亀の背に
風通す混ざらぬように交わりぬ

長谷川洋子
鍵善の扁壺を見たくなる葛よ
涼新た皿なる河井寛次郎
棟方の蓮に釉薬走りけり
ドビュッシー月の光に包まるる

砂山恵子
さつと焼く三伏の夜のみりん干
影もまた色のひとつや夏の山
冷麦や昔の色のハムが出て
青梅や自宅出産三代目

蜻蛉釣
秋暑しドレミの歌を九部刷って
親戚が集まっていた頃の盆
濁酒父のお古の季寄かな
送火の着いていきたい祖母の背な

佐藤浩章
おこぼれのタップダンスや白鶺鴒
法師蝉美空ひばりの大杉に
鳴り渡る宣伝飛行秋暑し
文月や机に満つる圭吾の書

楽沙千子
物音を閉ざしていたる炎暑かな
捕虫網立てかけて今ゲーム中
無となりて写経に向かう涼新た
秋めくや書き溜めし絵を整える

〈作品鑑賞〉 岡田耕治
銀漢やペンダントなる母の骨 柴田亨
 広大な宇宙の銀河と、ペンダントの中に収められた母の遺骨。この対極にあるミクロとマクロの対比が鮮烈だ。死者は、星の海へ還るという思いも想起でき、物理的な距離を超えて母と子のつながりを永遠のものとして描き出している。静謐さの中のこの諦念は、美しい。

叱られつ蠅捕紙の下にいる 湯屋ゆうや
 叱責を受けた直後の、逃げ場のない気まずさと重苦しい空気が見事に切り取られている。蠅捕紙という懐かしい道具が、その場の湿り気や閉塞感、そして子どもの言いようのない疎外感を視覚と触覚の両面から呼び覚ます。写実的でありながら、心理描写に長けた佳句。

寺町は影多い町秋を待つ 三好広一郎
 寺町という空間の持つ独特の静寂と歴史の重なりが、「影多い」という措辞によって象られている。晩夏光が落とす濃い影に、どこか死者の気配や歳月の深みが重なる。「秋を待つ」という結びにより、作者が「秋」として表現したかったのは何かを想うことができる。

人類の夕方に咲きサルスベリ 前塚かいち
 「人類の夕方」という時間感覚を提示し、そこに平然と咲くサルスベリを配したことで、文明の終焉と自然の生命力が対比されている。敢えてカタカナで表記したことによって、時間の流れを冷徹に見つめつつ、この時代の不安を感じさせる、極めて哲学的な一句となった。

*秋風を待つことにするグラスかな 岡田耕治

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