2025年5月25日日曜日

香天集5月25日 加地弘子、谷川すみれ、古澤かおる、砂山恵子ほか

香天集5月25日 岡田耕治 選

加地弘子
さつき雨眠くなったら寝るといい
シャボン玉振り向かないで風に乗る
蛇苺花の黄色は孤独です
風船の空へ抜け出す時の声

谷川すみれ
一日を解き放したる素足かな
やあやあと偵察飛行の蠅が来る
望まれて握手をしたる緑かな
ひなげしの群れてもひとりそれでいい

古澤かおる
葉桜のベンチに二人且つ長靴
蚕豆を茹でるか焼くか聞いており
髪を切り捩り鉢巻夏祭
葉桜や娘の老いに気付かさる

砂山恵子
朝五時の当直室のシャワー音
デラシネの意味覚えたる余花の寺
暮れるほど風甘くなる田植かな
夏の風原子記号の表破り

嶋田静
里山の高さを続け鯉のぼり
山小屋のカーテン染まる若葉かな
麦の秋雨の近づく気配して
青嵐ロビンフッドの潜みおり

松田和子
切株を飾っていたり落椿
水面へと浮き立つ人の花篝
朝市はや壺焼の香の届きけり
一椀を独り占めする浅蜊かな

〈選後随想〉 耕治
シャボン玉振り向かないで風に乗る 加地弘子
 シャボン玉は、人のようにふり向くことはない。けれども敢えてこう表現されると、去っていくものへの惜別の念が込められているように、あるいは、前向きに進んでいくことへの応援のようにも感じられる。シャボン玉が自分の力ではなく、風という自然の力に身を任せて進んでいく様子は、人生において時の流れに身を委ねるしかないことと重なる。それを、この軽さで表現できるのが弘子さんだ。
*岬町小島にて。

2025年5月21日水曜日

「香天」79号本文

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香 天 koten   2025年5月   通巻79号
  目 次
招待作品           2 ふけとしこ、松下カロ
招待作品           4 杉山久子、金子 敦
代表作品           6 岡田耕治
同人集           10 50音順送り 本号は「ゆ」から
同人集五句抄        26 加地弘子、谷川すみれ他
同人作品評         30 柴田 亨、夏礼 子
誌上句会選句集       32 久保純夫、ふけとしこ他
随想            45 石井 冴
香天集十句選        46 玉記 玉、渡邊美保
創作 俳句ショートショート 51 三好広一郎
香天集  岡田耕治 選      52 嶋田 静、玉記 玉、
渡邊美保、三好広一郎ほか
選後随想          80 岡田耕治
句会案内          88


2025年5月18日日曜日

香天集5月18日 木村博昭、谷川すみれ、三好広一郎、柴田亨ほか

香天集5月18日 岡田耕治 選


木村博昭

稀に来る緩いカーブや草若葉

鳥曇やれば尽きない死に支度

天道虫発つ軽さにて家を出る

濡れ縁の遺品となりし箱眼鏡


谷川すみれ

開かない大きな窓の椎若葉

更衣火傷の後に唾をつけ

男来て砥石を濡らす夏夕べ

仏壇の捨てられ守宮動き出す


三好広一郎

空缶を蹴飛ばすまでの花筏

8ミリは人間らしく夏夕べ

昼寝覚妻を跨いで米買いに

杖はいるか友はおるか葱坊主


柴田亨

始まりは新聞受けの風鈴草

友つ人散らかしたまま四月逝く

旅立ちを見送りており春落葉

五月来る緩和病棟桃プリン


神谷曜子

晩陽が菜の花連れてゆく堤

諸葛菜に占領されている私

世界中の桜を散らし大男

『青い壺』第四章の白牡丹


宮下揺子

誤字なるを謝っている春の風

八重桜原爆投下八十年

朽ち果てしツリーハウスや花茨

捩り花ひっくり返る正義論


平木桂子

ニュータウンたった一つの鯉のぼり

太き棘知らぬふりする薔薇かな

おほかたは取り越し苦労藤の花

行く春や兄の終活飄々と


上田真美

この際の歳はさておき緑立つ

花水木風にあなたが似合ってる

ミャクミャクと私と老母若楓

若葉寒車椅子から万博へ


〈選後随想〉 耕治

稀にくる緩いカーブや草若葉 木村博昭

 「緩いカーブ」は、まっすぐで単調な道が続いた後、ふと現れる緩やかな曲がり道を描写していると取れる。しかし、私は野球のカーブをまずイメージした。それも「稀にくる」だから、直球が主体なんだけど、時になかなか到着しないような、大きなカーブが来る。草若葉で止めているので、初夏の自然の中で野球をしている情景が浮かぶ。多分、主体とする直球もそんなに早くない、大人たちの草野球ではなかろうか。ほっこりして、清々しい、博昭さんならではの情景描写だ。

*岬町小島にて。

2025年5月11日日曜日

香天集5月11日 三好つや子、加地弘子、春田真理子ほか

香天集5月11日 岡田耕治 選

三好つや子
疑問符を横に向ければ春の鍵
蚕豆の寝息がのこる莢の中
後戻りできぬ五体よ夕牡丹
旧仮名風を受け取り竹の秋

加地弘子
山桜四人の一人姿消す
大雨の予報を発ちぬ葱坊主
葱坊主針山に糸通しおく
白色でも黄色でもなく初蝶来

春田真理子
黒文字に水昇りたる菓子司
水仙が膨らんでくる希望かな
おとうとにえほんのはなし初節句
三人の白衣の写真燕来る

牧内登志雄
ゴム長の男の呷るラムネ玉
水底に夏の兆しやモネの池
風に木に水の音にも夏来る
海にわく白き雲より卯波立つ

楽沙千子
おかっぱの頃より愛す麦こがし
気掛りのことなく過ぎし新茶かな
食卓が贅沢となりライラック
一陣の雨に向日葵葉をひろぐ

〈選後随想〉 耕治
後戻りできぬ五体や夕牡丹 三好つや子
 「後戻りできぬ五体」は、身体全体、あるいは人生そのものが、もう引き返すことのできない地点に来ている、というつや子さんの実感を表しているようだ。「五体」という言葉が生々しく、加齢による身体の変化、あるいは病など、自身の身体は一刻一刻、人生の終わりに近づいている。牡丹も、夕べの牡丹だから、少しだけ花びらが閉じ気味になり、陰影のある表情を見せている。この夕牡丹の感触、この取り合わせが、人生の黄昏の中で見出す一瞬の輝きや、それを慈しむ心境が表現されている。

白色でも黄色でもなく初蝶来 加地弘子
 春先に見かける蝶としては、紋白蝶や黄蝶などが一般的だ。しかし、弘子さんはあえてその一般的な色を否定している。「白色でも黄色でもない」ということは、予想外の色、あるいはもっと珍しい色、あるいは光の加減や見る角度によって特定の色と言い切れないような、微妙な色の蝶が現れたことへの驚きや新鮮さを表現している。否定形を用いることで、読者は一体どんな色の蝶だったのだろうかと、想像を豊かにし、自分なりの色を作り出すことができる。生きるということは、まさにそのような営みなのかも知れない。
*岬町小島にて。

2025年5月4日日曜日

香天集5月4日 玉記玉、渡邉美保、森谷一成、辻井こうめ他

香天集5月4日 岡田耕治 選

玉記玉
追う蛇と追われる蛇よ同じ縞
中指は天道虫に与えけり
それからは翡翠いろの薬指
梅干して掌に傷ありしこと

渡邉美保
汐まねき母はつの字に腰を曲げ
砂浜の砂の段差や鳥雲に
朧夜を傾眠の母運ばるる
花の夜の口開いてゐる旅鞄

森谷一成
  万博開幕
春疾風巨大リングの宙へぬけ
ふくらみの斜めを歩み春の昼
日は遅し急ぐ旅でもないわいの
緋牡丹の肩甲骨を愛し居り

辻井こうめ
糸桜一貫校の真ん中に
一握の二上山の蕨かな
一合を傾けてゐる春の宵
和やかなテーブルの縁麦酒注ぐ

佐藤静香
傾城の稀有なる縁飛花落花
天道虫飛ぶや地軸の傾きぬ
千本の桜を沈め抱擁す
入学すやましたくんはしゃべらない

谷川すみれ
空井戸の小石の行方花筏
私より先に揺れパンジーの泥
やみくもに広がっている白梅
柳の芽はじめはキャッチボールから

田中仁美
合格の知らせが届き花の冷え
木蓮のつぼみ真っ直ぐ天を向き
寝る前にいつまでも泣き夢見月
春キャベツ口にべったり離乳食

岡田ヨシ子
車二台客三人の花見かな
つつじ咲く道に迷いしことのあり
天草干す古里思うケアハウス
ケアハウス長い廊下に蚊一匹

吉丸房江
孫が子を抱き上げており五月晴
青空の蓮華畑が下車誘う
かぐや姫探しに来たり竹の秋
思い出を呼び集めたりクローバー

川端伸路
こどもの日魚釣れないまま無言
家よりも大きくなって鯉のぼり

川端大誠
じんわりと夕日を浴びる夏の海

川端勇健
着港を迎えて揺れる初夏の海

〈選後随想〉 耕治
中指は天道虫に与えけり  玉
 天道虫が中指に止まって這い出すのは、ありそうな光景。それを「与えけり」と表現したところがいい。与えるというのは、相手のためになることを提供するという意味があるので、天道虫に自分の中指を提供したという感覚、共生の感覚とでも表現できるかも知れない、そんな感覚が残る。天道虫は、ちょこんと指にとまり、やがて飛び立っていく。その短い触れ合いの瞬間が、玉さんの心に温かい記憶として残っているような一句だ。
*和歌山市にて。

2025年4月27日日曜日

香天集4月27日 夏礼子、前藤宏子、安部いろん、中嶋飛鳥ほか

香天集4月27日 岡田耕治選

夏礼子
団員を集めていたりつくしんぼ
家路なお桜月夜の酔いであり
散り際を確かめている椿かな
木蓮の濃くなる白の懸念かな

前藤宏子
花明り昼銭湯の湯気少し
胃カメラの検査の後を蕨餅
春の川一水流れつつ光る
亀の子よ親に続いて頭を擡げ

安部いろん
春眠の睡魔が連れてくる何か
果てしなき空へ漕ぎ出し半仙戲
飛花たちが幾多の我とすれ違う
春列車席倒してもいいですか

中嶋飛鳥
啓蟄の事ある度に電子辞書
西行忌鏡の顔を手で拭う    
山笑う声高くする後日談
蝶々へ火宅の窓を開け放つ

柏原玄
万感を言葉に託しつくづくし
別嬪と言うて欲しいと紫木蓮
包丁を布巾になだめ黒めばる
片言を楽しみいたる葱坊主

宮崎義雄
灰汁少し残る菜花の辛子味噌
黒文字の揺れる旗棹桜餅
カラオケへ逸る心を花の下
送信の写真祝いのフリージア

森本知美
五羽の鳶水平に舞う花岬
こでまりの花や明るき部屋となる
百千鳥大塔の裏人気なく
花まつり甘茶の墨に願い込め

松並美根子
地蔵尊無二無三なり山桜
大切な一刻一日花水木
産土やライトアップに映える藤
春の海水平線を遠くして

丸岡裕子
午後からの韓国ドラマ春炬燵
山桜ゆっくり迫る雨催い
花桐や古典の浪漫香りくる
薔薇の中愛犬撮すスマートフォン

目美規子
山笑う景色展ける保護メガネ
マイクロムーン足速に過ぐ春コート
吊り革の揺れにまかせる春帽子
いぬふぐり手作りパンはチーズ味

木南明子
仏の座思いもよらぬ事ありぬ
ムスカリの野草となりて棲みつきぬ
天候の定まり蕨飯を炊く
留守番の夫に優しい大手鞠

安田康子
あっけなき別れとなりて鳥雲に
二度と来ぬ今日という日や四月馬鹿
春陰やただならぬ世の脈々と
桜散る晴れのち曇りのちの雨

金重こねみ
幼子の春の万博目はクルクル
しなやかに重なりてあるフリージア
今はまだ忘れ得ぬ人春の星
大惨事祈ることだけ菜種梅雨

〈選後随想〉 耕治
散り際を確かめている椿かな 礼子
 まず、「散り際」という言葉に惹きつけられる。椿は、自分の散りゆくその最後の瞬間を、じっと見つめ、確かめているようだ。その様子には、ある種の覚悟が感じられる。「確かめている」という措辞は、単なる花の散り際ではなく、何かを受け入れていくような、内面的な働きを感じさせる。六林男師は、俳句は直前で書くか、最中を書くか、直後を書くかの3つのうちの1つを選ぶよう指導された。礼子さんのこの句は、直前で書くことの好例だ。鮮烈な印象を残す花だからこそ、これから散ろうとしている椿に宿る力強さが、私たちの心に深く刻まれる。

花明り昼銭湯の湯気少し 宏子
 「花明り」という春の柔らかな光と、「昼銭湯」という日常の温かさが、湯気の立ち上る様子とともに、どこか懐かしい情景を描き出している。桜が咲き、周囲をほんのりと明るく照らす、そんな優しい光景に、「昼銭湯」という取り合わせが面白い。一般的に銭湯は夕方から夜にかけて賑わうが、昼間の銭湯には、また違った静けさや、日常の生活感が漂っている。宏子さんは、それを「湯気少し」というたったひと言で表現することができた。このひと言は、その場の温度や湿度、そして何よりも、そこに流れる穏やかな時間を伝えてくれる。

飛花たちが幾多の我とすれ違う いろん
 「飛花(ひか)」という言葉は、単に「散る花」と言うよりも動きがあり、風に舞い散る桜の花びらの様子に輝きを与えている。複数の飛花が、「幾多の我とすれ違う」ということは、実際は一人の自分を花びらが次次と過ぎていく光景だろう。しかし、いろんさんは、花びらが、まるで無数の自分自身と出会い、通り過ぎていくようだと捉え直した。こう表現することによって、花びらを時間や記憶の断片、あるいは過ぎ去っていった様々な感情や経験のメタファーと捉えることができるだろう。散っていく花びらは、過ぎ去った時間や失われたものを象徴し、「幾多の我」は、その時々の自分の心の状態や経験を表しているのだと。
岬町みさき公園にて。

2025年4月20日日曜日

香天集4月20日 湯屋ゆうや、三好広一郎、宮下揺子、柴田亨ほか

香天集4月20日 岡田耕治 選

湯屋ゆうや
花冷えのコントラバスを抱え来る
朽ちるのは洗濯ばさみ春深し
バランスを取るのに疲れ葱坊主
春の雨先生なんで立ってるの

三好広一郎
人間を着がえる時間青葉風
チューリップくちびるのこる紙コップ
亀鳴くやあたり障りのない質問
虹色の血管光る石鹸玉

宮下揺子
顔ヨガの顔を向け合う木の芽晴
すべりひゆ摘む死ぬまでの借地権
北窓を開け卒婚を言い渡す
春風や針孔ほどの猜疑心

柴田亨
湧水の戯れせんと生まれおり
水鳥のふわりとおおう桜かな
保田與重郎義仲寺に春暗し
金管のタッチのやさし春惜しむ

木村博昭
身の老を忘れていたる桜かな
花の屑玉砕という言の葉よ
野遊びのその先にある地雷かな
糸遊に軌道の曲がり広島市

釜田きよ子
花むしろ互いの弱み広げ合う
葉桜の力を借りて晩年を
ゆっくりと水を楽しむ花筏
息詰めていても落花のしきりなる

古澤かおる
弁当のパンはピンクに花巡り
日永人孔雀に会いにバスに乗る
晒しおく独活に少しのピンクかな
みぞおちに溜まりやすきは春うれい 

神谷曜子
ミモザミモザ喋り過ぎてはいけなよ
春の雪しきり脳裏にもしきり
やれるだけやると言う兄蓮華草
リラの花伝言として置かれけり

上田真美
春炬燵甘く匂える老母かな
理不尽を胸いっぱいに亀鳴けり
五分咲の桜最も好きと言う
あの人に手渡したくて桜摘む

平木桂子
口きかぬままに食べ合う桜餅
花吹雪煩悩ひとつ消えまほし
あの人と程よき距離を木瓜の花
来ぬ人をいつまで待つのチューリップ

俎石山
花杏愛でし背丈の時わずか
黄砂あり内地に向かう声のして
蝸牛ベランダに死が縮みたる
双極性障害の行く木の芽時

嶋田静
紫木蓮一途なほどに空仰ぐ
他の鉢にそっと育ちぬ桜草
入学の写真よ少しぽっちゃりと
尾頭の欠けてしまいし目刺かな

楽沙千子
山鳥の水面を急ぎ朝桜
黒ずみて池に迫り出す老桜
友だちと話の弾む蓬餅
目と耳にライブを浴びる薄暑かな

橋本喜美子
雛飾りはじめに愛でる男の子
櫻鯛一本釣りの響めける
鳥の羽春日を抱き動かざる
梅林は蕾だけなり人溢る

半田澄夫
冬籠りシーラカンスに問いかける
老梅や紆余曲折の先に咲く
目を病みし友の返信鳥雲に
何ごとも一語で済まし梅真白

北橋世喜子
西を向き身を寄せ合いぬ寒雀
春雨の電線滴ルミナリエ
種袋採集月日膨れおり
記念日の乾杯をして雛祭

中島孝子
蕗の薹友に香りを瓶詰めす
天満橋映す大川春浅し
古雛父母のこと箱の中
今も切る母の籾床独活の味

上原晃子
一木を選んでゐたり目白五羽
人参のよく育ちいるバーベキュー
一つまみ米粒を入れ大根焚く
仏の座畑の畝をそのままに

石田敦子
寒戻る日本列島荒れはじむ
八朔柑ヘルパーさんが皮を剥き
啓蟄や叔父の訃報の届きたる
銀行の跡地を均し春時雨

東淑子
笹鳴や日射しを受ける膝の上
春霞高梁川をすべりゆく
猫の子の日向の庭となりにけり
心地よい匂いをのせて春の風

〈選後随想〉 耕治
花冷えのコントラバスを抱え来る ゆうや
 「花冷え」のとき、明るいけれどもまだ冷えているような、そういう微妙なときにコントラバスを持ってくるという。花盛りのステージにコントラバスを持ち込むのではなく、花冷えの練習場にコントラバスを抱えてくるような感じ。少し孤独にも見えるが、同時にこれから演奏しようという意欲も感じる。コントラバスというのは低音部を受け持つので、高音部の主旋律ではなくて、どちらかというと曲の下敷きになるような、そういう部分を受け持つ。そんな人の優しさとか孤独さとか、そんなことを両方感じさせてくれる一句だ。

チューリップくちびるのこる紙コップ 広一郎
 紙コップが目の前にあって、周りにチューリップが咲いてると取るのが一般的だろう。けれど、チューリップを見ていて、紙コップはそこにないけれど、そのチューリップに唇の跡が残っているような紙コップを想起したというふうに読むことも可能だ。どちらにしても、この「くちびるのこる」という表現が、とても優れている。口紅残ると書いたらわかりやすいけど、それだと、紙コップに口紅が残っていて、周りにチューリップが咲いてるという感じしかない。「くちびるのこる」は、直接的な描写ではないので、読者にいろいろな想像を呼び起こし、個人的な記憶や感情と結びつきやすい。紙コップというのが、とてもいい塩梅に置かれている。

北窓を開け卒婚を言い渡す 揺子
 思わず「卒婚」を辞書で引いた。手持ちの辞書の中では「大辞林4.0」に、「婚姻を解消せず緩やかな関係を保ちながら、それぞれが独立した生活を送ること」とある。あたたかくなって、北窓を開くと同時に「私たちも、そろそろ卒婚ということにしましょう」と提案したのだ。それぞれが、自分の時間を大切にする暮らしは、「緩やかな関係」の上にこそ築かれてゆくだろう。
*岬町小島にて。