2024年10月26日土曜日

香天集10月27日 神谷曜子、湯屋ゆうや、釜田きよ子ほか

香天集10月27日 岡田耕治 選

神谷曜子
三世代同居となりぬかまどうま
好奇心を強めていたり竈馬
今生はいとどに生まれ一人ぼち
言う事を聞かなくなりぬ虫の声

湯屋ゆうや
縫い糸を使い終わりぬ蚯蚓鳴く
彼岸花あるとわかっているほうへ
空へ伸び大津祭の山車の子ら
十三夜義仲寺に湖は遠ざかり

釜田きよ子
雲の峰カラスが屋根の上歩く
にんまりと生きておりけり蝸牛
赤とんぼ夕刊読みにやって来る
辛い時絶対泣かぬ曼殊沙華

北橋世喜子
たっぷりの薬味ガラスに冷奴
反戦旗受け継いでいる蝉時雨
鈴虫や息を入れよと声をかけ
同じ月眺めていたり京の友

古澤かおる
ナイフより指先で剝く熟柿かな
労りつ住まう古家に律の風
切り口はフルーツサンド灯火親し
白菜やもう六分の一で足る

半田澄夫
妻何も言わなくなりし秋簾
今朝の秋ヒールの音が語りかけ
長き夜の無口な二人答え出す
蟷螂や駅のホームで鎌を上ぐ

橋本喜美子
青空へ一本赤き夾竹桃
三陸の戻り鰹や海豊か
雨上がる調子のんびり虫の声
雷雲の動き負けじとペダル漕ぐ

中島孝子
読み返す古き手紙の夜長し
桔梗に掛け替えている居間の白
山葡萄甘酢ばさの幼き日
鳳仙花はしゃいで種を手のひらに

石田敦子
ベランダに命を尽くし秋の蝉
いちじくの一つは熟れて落ちてをり
彼岸花摘んでは母に叱られし
テープ貼る窓よ台風まぬがるる

上原晃子
滴りに続いていたる茶店かな
焦げ色の竹串鮎をほおばりぬ
さつまいも茎の煮物を一品に
朝光る一面となる赤蜻蛉

吉丸房江
新米の中に父母あり先祖あり
秋茄子を剪りて再び実を結ぶ
絵手紙の林檎値上げに負けぬほど
「爽」というひと文字を書き秋の空

東 淑子
思い出すだんじり囃子の稽古見て
昼寝して終の棲家と思いおり
道行けば茂り始める秋の草
秋に入る色を変えたる木々のあり

〈選後随想〉 耕治
言う事を聞かなくなりぬ虫の声 神谷曜子
 言う事を聞かなくなったのは、虫なのか、他者なのか、自分の身体なのか。さまざまに思いを馳せることのできる句だ。夕方から鳴き出した虫の声が、しだいに虫時雨となって、止めどなく聞こえてくる。そんな中で、家族だろうか、友人だろうか、他者が言うことを聞いてくれなくなった。そのことを、腹立たしく思う反面、その人の成長も感じている。あるいは、この膝は、どうも階段の上り下りが辛くなってきた。これも、歳とともに仕方のないことかもしれない。ここまで読んでいくと、自然の中で鳴き続ける虫の声は、生命の象徴として捉えられる。曜子さんは、虫の声を聞きながら、言うことを聞かなくなったことを受け止めようとしているのかも知れない。
*ねんりんピックの行われた鳥取駅前にて。

2024年10月19日土曜日

香天集10月20日 柴田亨、三好広一郎、上田真美、木村博昭ほか

香天集10月20日 岡田耕治 選

柴田 亨
羅針盤目盛りは常にガザに向く
咽喉にある小骨は愛し秋彼岸
よだれかけ替わり秋日の石地蔵
鱒寿司の一片紅き富山かな

三好広一郎
ガス消して母は良夜を行ったきり
十三夜締切のあるやさしさよ
円周率いまどのあたり今日の月
そぞろ寒肩のぶつかる視力かな

上田真美
水撒けばいつものばった会いに来る
秋の空干した枕をそっと嗅ぐ
涼新た手術を終えし母と居て
これからをためらっているちちろ虫

木村博昭
かなかなや父祖の眠れる峡の村
木登りのスカートの子ら秋高し
秋灯下どろんこ靴で学びけり
疎開児のその後を知らずふかし藷

松田敦子
朝冷の流木くぐり自衛隊
爽涼やコーヒー豆の封を切り
秋扇や施設の母の誕生日
行き帰り知らない町の松手入

嶋田 静
風に吹かれなんと小さな秋の蝶
名月を抱き水面の讃岐富士
篝火のはぜ名月の昇りきる
鶏頭花先に重たき花一つ

俎 石山
冷酒一献スカートをはく男子から
アパートの一人の至福缶ビール
朝ドラの朝一番の缶ビール
赤蜻蛉峠結界往還す

川村定子
秋灯し死者の指組む胸の上
供え物なきに我が家の月明り
かなぶんの手足動くに塵箱へ
草紅葉蝶は憩わず渡りゆく

〈選後随想〉 耕治
 大阪句会や上六句会は、事前に投句・選句を済ませて、相互の選評だけを行う句会である。コロナ禍によって、この形になったのだが、現在も同様に続いている。自分が投句した俳句を、誰かが確かに受け取ってくれる。この感覚が、2つの句会を値打ちあるものにしている。今回は、大阪句会に出された一句。

水撒けばいつものばった会いに来る 上田真美
 なにげない日常の一コマを切り取った句だが、真美さんのまなざし、その中にある温かさが伝わってくる。夕方、家の周りに水を撒くと、必ずと言っていいほど出現するばった。そのばったに、「いつもの」という言葉を付けることによって、作者とバッタとの距離が一気に近づく。もしかすると、ばったとの出会いを楽しみにしているのかも知れないと思わせてくれる。いつまでも暑さが残る今年の情景として、水を撒く時の音、ばったの跳ねる音、そして、跳ねて止まったばったの顔までが想像できる。読む者の心を澄ましてくれる一句だ。

 明日の日曜日、久保純夫さんと、鳥取県のねんりんピックの俳句選者を務めますので、一日早く配信しました。
*大阪教育大学柏原キャンパスから。

2024年10月13日日曜日

香天集10月13日 三好つや子、前塚かいち、春田真理子ほか

香天集10月13日 岡田耕治 選

三好つや子
新涼の音になりたきスープ皿
月光に添削されている私
土曜日の彼はオムレツ小鳥来る
正論のふとはにかめる赤い羽根

前塚かいち
五分後の行方不明やカタツムリ
粛々と連用日記日日草
庭で読む「俳壇・歌壇」今朝の秋
秋思なる揺らぎを離れハーモニカ

春田真理子
慣習のことばの前に花茗荷
龍淵に潜み出産近づきぬ
長月の繭の中なる嬰児よ
携帯の声すでに無き野分かな

小﨑ひろ子
使い方知られぬままに御神刀
攻撃性講座を止めて鳩時計
木馬にはプルトニウムが眠る秋
十六夜やカジノの前のTOTOカルチョ

俎 石山
焼死体仰向けとなるせみ一つ
篝火を見下ろしている百日紅
どん底の家族会議に三輪そうめん
冷凍庫母が残せしあずきバー

北橋世喜子
入眠の闇に近づく虫の声
三味のばち弾ける音や蝉時雨
仏壇に供えしかぼちゃ手を合わす
涼風のファン付きベストふくらみぬ

中島孝子
空蝉や門扉はそっと閉めておき
久に出す暑中見舞は怪我見舞
飛騨川の鮎つる笘を数えおり 
気忙しく洗い流せり百合花粉

上原晃子
ツンツンと泳いでいたり目高の子
鬼百合の草の中より咲きにけり
蝉しぐれ強くなりまたゆるくなり
さるすべり雪の軽さで風に散る

半田澄夫
初蝉や去年の友は何処へか
初めての男日傘を差してみる
日曜の朝軽やかな白ヒール
初夏の丘分譲の旗並びけり

橋本喜美子
花茣蓙を敷き客人を迎へけり 
潮引きて小蟹群れゐる社殿かな
小魚を真一文字に追ふ河鵜
孫達と平和の旅へ広島忌

東 淑子
梅雨はげし夫の写真にぼやきおり
金魚鉢通し見ている亡き夫
夏休み返上す亡きおじいちゃんへ
朝起きの蜘蛛の大きな足の形

石田敦子
ジャスミンティー淹れて束の間空白に
雷鳴の響いていたり寝入りばな
売り出しに列長くなる桃の里
秋に入る高校野球開幕日

勝瀬啓衛門
草の穂や引き抜き遊ぶたなごころ
まだ生らぬ破れ芭蕉や夢淡し
鵙猛る掛け合う声の絶えるまで
柿の秋絡まり響く鳥の声

〈選後随想〉 耕治
 上六句会は、鈴木六林男師の「花曜」の時代から続くもので、各自が出した席題を70分ほどで作り上げる句会だった。しかし、コロナ禍以降、メールやズームを活用した句会にしたので、今では各自が出した席題を24時間以内に作り、選句を済ませたあと、合評を中心とした句会になった。24時間といっても、自分の集中できる時間を見つけて、24時間後に投句すればいい。誰がどんな席題を出すか、毎回たのしみな句会である。「オムレツ」は、9月の上六句会で久保さんが出したもの。家庭的なメニューであり、どこか温かい雰囲気が漂う題だ。もちろん、ホテルの朝食などで、シェフがその場で作ってくれるオムレツを想起してもいい。その中で話題になったのが、次の句。
 土曜日の彼はオムレツ小鳥来る 三好つや子 
「土曜日」という日常の週末に、秋になって渡ってきたり、山から人里へ降りて来たりする小鳥が、軽快な動きを与えている。「彼はオムレツ」という措辞から、家族、恋人、友人など、誰のことかと想像させ、彼がオムレツなら「私」は? と、読む者をどんどんたのしくさせてくれる、つや子さんならではの言葉選びだ。「土曜日はオムレツ」と決めている彼のこだわりと、週末のちょっと時間の余裕のある食卓。香り立つコーヒーやパンの匂いなど、ほっとする日常の光景の中に、小鳥が来ることによって、様々なイメージが活性化される。視覚、嗅覚、味覚、聴覚とつらなる、言葉の選び方の巧さ。これも、上六句会という、互いの言葉=感性を刺激し合う場だからこそ生まれた。
*大阪教育大学柏原キャンパスにて。

2024年10月6日日曜日

香天集10月6日 中嶋飛鳥、渡邉美保、浅海紀代子、佐藤静香ほか

香天集10月6日 岡田耕治 選

中嶋飛鳥
玉鋼はだえに秋思走りたり
後の月知らず知らずの深爪に
鵙日和軍手ぐるみに手を洗う
緋衣草帰りは遠き道となり

渡邉美保
とんぼうの視野に入らぬ角度にて
脱ぎ捨ての軍手の上を子蟷螂
風待ちの葦舟ひるこ乗せたまま
珈琲の水を選びぬ夜の秋

浅海紀代子
月白の私の部屋に私の灯
爽涼の椅子に沈める句集かな
樹下の椅子坐せば私も秋になる
萩の花ゆっくりと積む齢かな

佐藤静香
眼に映す少年の眼の銀やんま
祖国なるDNAや木槿咲く
望月や引き籠る子の窓照らす
生い立ちを綴るハルモニ秋深し

佐藤俊
鉄路懐かしさらさらさらと翳流れ
スタンド灯す 記憶は常に悔いている
手札配るあとは黙って月夜茸
老いる先見たくて夜明け螻蛄鳴く

垣内孝雄
草の花石を据ゑおく猫の墓
八千種や湖のほとりのカフェテラス
赤とんぼゆるりと向ふ太子道
豊の秋方便御手に観世音

長谷川洋子
オリーブの散りて夕日に実を待ちぬ
利休草織部焼へと蔓を巻き
ただ一つ残りし柘榴たぎる赤
ハラン敷き鰤大根を真ん中へ

楽沙千子
旅疲れ忘れていたり虫の声
遊ぶ子ら釣瓶落しに薄れゆき
二十年市役所に活け吾亦紅
籾殻を焼きし田の焦げ点点と

岡田ヨシ子
敬老日届きし花に十の瞳
食堂へ行くブラウスの秋の色
手窓から八つを数え秋の峰
誕生のうれしさの消え九月尽

牧内登志雄
雲水の風切る笠や照紅葉
傷つかぬマカロンほどの秋思かな
燐寸擦る束の間消ゆる三日の月
雲梯を一つ飛ばしの秋の風

吉丸房江
シャランシャラン稲穂に汗の実る時
食卓をあっと言わせる栗御飯
野菊から野菊へ蝶のもつれ合い
父母在らば今も訪いたき柿熟るる

〈選後随想〉  耕治
 心斎橋大学の久保純夫さんの「楽しい俳句づくり」が今期で終了すると聞いた。この講座には、私を含め「香天」から幾人か参加できたので、それぞれの方の上達を感じるが、中でも中嶋飛鳥さんの伸び代は大きい。飛鳥さんの句には、言葉を突き詰めるあまり硬さがあったが、久保純夫さんの俳句づくりと出会うことによって、その硬さがほぐれ、表現がより深くなった。
  玉鋼はだえに秋思走りたり 中嶋飛鳥
玉鋼とは、高品質の刀剣を作るための鋼のことで、割れにくく作刀の激しい折返し鍛錬にも耐えられる高い鍛接性をもつとされている。「はだえ(肌)」という言葉から、石の玉鋼よりも、玉鋼を研ぎ澄ました美しい肌合いを想起させる。それに秋思を取り合わせる感性もさることながら、その秋思が走ったと表現した。秋思が、玉鋼の肌合いをきっかけに、作者の心の中を駆けていく様子が表現されている。秋を迎え、去りゆく時への思いなどが、作者の心に去来しているのかも知れない。玉鋼の美しい肌合いと、作者の心の動きが、読む者の心に刻まれるような繊細な余韻を生み出している。

 今年の第3回鈴木六林男賞には八六編の応募があり、過去最高となった。第1回大賞受賞者の玉記玉さんも、第2回の渡邉美保さんも、ともにこの「香天集」での好調が続いていて、心強い限りだ。
  とんぼうの視野に入らぬ角度にて 渡邉美保 
とんぼう(蜻蛉)の視点は、複眼のため非常に広い範囲を捉えることができる。しかし、この句では、その蜻蛉の視野に入らない、つまり捉えられない角度が存在するという。最近、海辺で蜻蛉を見かけたが、真後ろから近づいたので、飛び去ることはなかった。そのような角度かも知れないし、もっと広く、 蜻蛉の視覚の限界、あるいは人間がまだ発見していない自然の神秘を表現しているのかも知れない。私たちの認識には限界があり、物事の全てを捉えきれないことを暗示しているとも考えられる。「角度」という言葉が、単なる物理的な角度だけでなく、時間や空間の広がりを示し、存在の孤独というものを感じさせてくれる、美保さんならではの一句だ。

*上六句会会場・ホテルアウィーナ大阪にて。

2024年9月29日日曜日

香天集9月29日 辻井こうめ、森谷一成、夏礼子、谷川すみれ他

香天集9月29日 岡田耕治 選

辻井こうめ
おはなしに挿むしりとりねこじゃらし
どんぐり付けカラー軍手の指人形
糸瓜忌のプレーンオムレツふはふはに
新札が釣りに一枚良夜かな

森谷一成
私を踏みしめながら法師蝉
新涼の洗濯ばさみ摑みけり 
腫物のふくれてきたる九月かな
ことごとく音を外せり猫じゃらし

夏 礼子
居酒屋のされどトマトと出されけり
秘密裡に明日を運ぶ蟻の列
聞くだけの話そのまま赤のまま
廃校の雲梯にくる赤とんぼ

谷川すみれ
朝露で洗っていたり誕生日
突然に目の前にあの秋の蝶
薄原見知らぬものの後に付き
沸点の近づいており蓮の実

柏原 玄
語らうにコスモスという聞き上手
遠き日の吾をもどして牛膝
主義主張ほどき帰燕のかたちかな
身にしむや求めて源氏物語

加地弘子
河鹿笛奥へ奥へと澄みゆきぬ
遠き日の簡単服の蝶結び
岩清水祖母は掬って眼を洗う
蟋蟀の転がり出でて竹箒

宮崎義雄
長居する父を迎えに秋祭
海鳥と並行に航く鰤起し
ガザにあるや渡り鳥には帰る場所
一品は鰯の造りガード下

前藤宏子
颱風や雨の後に伏魔殿
浮雲や守る人なき墓洗う
キチキチや仕事楽しとメール来る
秋夕焼レスキュー隊の訓練に

安部いろん
灯心蜻蛉悪口は影で言え
月の道辿り夢みる捨人形
美しき幹に始まる虫の闇
剥がしたる鱗の中に秋の雲

森本知美
野分過ぐ青空に吾取り戻す
面影を残す同窓秋の空
鳳仙花はじけ現の無常かな
動かざる台風の闇老いてゆく

松田和子
姉偲ぶ桔梗となりし深空かな
コオロギとどっちが先か睨めっこ
コスモスや絵にそそらるる里の古寺
鬼灯を口に含ませ鳴らしおり

中原マスヨ
プラレール十五両継ぎ盆休み
友だちの誕生日なリ終戦日
踏切のカンカンを見る夏休
カミナリと名のつく大き花火かな

丸岡裕子
新涼や庭の蕾が色を増す
探し物見つからぬまま秋の雨
カレンダーの子猫の目なる秋思かな
秋の海白い奇岩の歴史見る

河野宗子
黒ズボン盗人萩の実をつけて
黄泉の道さみしく無いと彼岸花
産室につぶらな瞳羊雲
秋の蚊にさされて終わる夕餉かな

金重こねみ
緑蔭のほどよき風の高さかな
台風に名づく狼少年と
吹き抜けるそばから解く結葉よ
根かぎり生きし弟吾亦紅

松並美根子
息吸って吐いて近づく秋の声
鳴物やだんじり祭を近づける
なびく穂を大河と見たり芒原
白萩の咲き初む庭や鐘の音

目 美規子
新調の鰐口鳴らす秋の朝
ドアノブにランチ完売秋桜
最後まで答えの出ない残暑かな
日薬が入りそこねてちちろ鳴く

石橋清子
挨拶のかわりにつづく蝉の声
食欲に振りかけており紅生姜
ゆっくりと祖母を偲べりおみなえし
太陽に干されていたり夏野菜

〈選後随想〉 耕治
 オランダの歴史学者ホイジンハは、文化は遊戯の中に始まるとし、遊びはあらゆる文化よりも古いと主張した。この主張は、それまでおとしめられていた遊びの価値を一気に引き上げたと言われている。(『ホモ・ルーデンス』中央公論社)
 どんぐり付けカラー軍手の指人形 辻井こうめ
この句では、ドングリを指人形に付けるという具体的な動作が目に浮かび、遊びの楽しさを想像させてくれる。軍手というと、作業の際にはめる白いものをイメージするが、「カラー軍手」という、思いもしなかった色つきの軍手が、「指人形」という遊びに結びついた。子どもだろうか、演じ手だろうか、ドングリをカラフルな軍手に付けて、指人形を操っている様子が目に浮かぶ。子ども自身が遊ぶこともそうだが、指人形を演じる大人を観ることも遊びだ。それは、文化の、そして芸術のはじまりの地点へと私たちを連れていってくれる。秋の自然と遊びが繊細に結び付けられた、こうめさんならではの一句だ。
*鳥取県倉吉駅にて。

2024年9月22日日曜日

香天集9月22日 湯屋ゆうや、木村博昭、砂山恵子ほか

香天集9月22日 岡田耕治 選

湯屋ゆうや
ひとりづつ顔を見ながら梨を剥く
友の句をくりかへしつつ髪洗ふ
音止んで稲刈の人休まれし
水彩の緑を迷ふ蝉時雨

木村博昭
誤字脱字千年を経てきらら虫
数式のとおりに熟れる葡萄棚
長文の判決理由天高し
新米の銘柄もまた新しき

砂山恵子
笑ひ出し止まらぬ風よ新走り
栗拾ひつかずはなれず兄を追ひ
林檎剥く心を我に戻すため
父と子の何も言わない夜食かな

神谷曜子
花火師のどっしりはずむ笑顔かな
初秋の水に近寄り水を見る
近くても行けない名の木散りにけり
八当たりかわさんとする椿の実

秋吉正子
コロナより便りの届く日々草
秋めくや少し厚めの本を借り
残り湯のぬくさ嬉しい秋の朝
行く秋の言葉懐かしういろうよ

川村定子
台風の巨岩飲み込む波頭
天高し空一点の辱もなし
物干に握るとこなし炎天下
盛り上がる新樹輝く千寿の根

西前照子
山里の名物として柿のれん
夜近しそれぞれ競う虫の声
秋彼岸約束まもる墓参り
除草剤枯れていたのにまた新芽

大里久代
戦没者追悼式の体育館
朝からつくつくぼうし出番くる
六十五年過ぎて残暑の同窓会
クーラーを切る間もなくて秋暑し

〈選後随想〉 耕治
友の句をくりかへしつつ髪洗ふ 湯屋ゆうや
 髪を丁寧に洗っていると、友人が詠んだ句が何度も浮かんでくる。ゆうやさんは、友人の句に共感し、その句に自分自身を重ねていく。一句には、髪を洗うという日常的な行為と、友人の句を反芻するという精神的な行為が取り合わされている。髪を洗うことで心身ともに清められ、新たな自分へと生まれ変わるような、そんな再生への手掛かりが、友人の句にあったのかも知れない。私たちは「香天」というコミュニティで俳句を読み合っているが、ここはこの句のように、お互いの人と句が響き合い、交信し合っている磁場なのだと感じさせてくれる。
*「花曜」終刊号。六林男師の似顔絵は、小笠原健介さん。

2024年9月15日日曜日

香天集9月15日 玉記玉、渡邉美保、三好広一郎、柴田亨ほか

香天集9月15日 岡田耕治 選
玉記玉
肩凝のかたちに花梨熟れてゆく
秋の蝶一瞬金を曳きにけり
蒲の絮刻は内側から熟れ
水音の端に我あり獺祭忌

渡邉美保
家中の蛇口を磨く厄日かな
無気力なメロンパンある秋の昼
スニーカー並べて干せば小鳥くる
跫音のぺたぺたとくる熱帯夜

三好広一郎
草紅葉所どころにマヨネーズ
名月や言われなくとも梯子出す
地球から飛んで柿盗る遊びかな
主題歌はラストだなんて月見草

柴田亨
蜘蛛の巣のわずかな震え九月来る
秋潮の夢を見ている暗渠かな
ガラス光蜘蛛の囲の小銀河
墓碑銘は太陽の塔月は眉

佐藤静香
いくさなき世を八月の赤子かな
空爆のあるとなきとに鰯雲
AIの作りし俳句虫集く
爽やかや駅の広場のブレイキン

宮下揺子
ほつほつと記憶を辿る金魚糖
片減りの母の下駄履き魂迎え
向日葵に埋もれていたり老年期
秋暑し丸木位里・俊「原爆図」

楽沙千子
穂芒やナップザックを軽くする
雑草に足をとられる野分かな
コスモスや声をかけ合うことの増え
燈火親し外の空気をとり入れて

上田真美
空蝉を並べて撫でる小さき指
ホースの水幾筋も虹架けながら
ひぐらしが鳴いて静寂訪れて
秋灯どう生きたかを語る水

岡田ヨシ子
半袖をたたんだままにケアハウス
残る暑さ消えるのを待つカーテンよ
台風の行方毎日手を合わす
孫が来る敬老の日の洋菓子と

秋吉正子
さるすべり一週間が早くなり
晴れマーク並んでいたる葉月かな
アルミ缶ズンズン溜まる夏休み
夏草に埋もれてしまう滑り台

勝瀬啓衛門
弾け飛ぶ壊れた数珠や稲雀
いざよひや仕事の後の待ち合わせ
脚長の歩幅で歩く秋の朝
片目開け猫は動ぜず秋真昼

西前照子
夏の雨一息をつく命かな
青胡瓜雨が欲しいと悲鳴あげ
熱中症と分からぬままに草を引く
焼鳥の串の本数帰省の子

北岡昌子
百日紅傘寿と喜寿の家族旅行
木々の間の茜に染まる夏の朝
夕べからつくつくぼうし始まりぬ
車中から鹿を見つける剣山

〈選後随想〉 耕治
水音の端に我あり獺祭忌  玉記玉
 水音は生命の象徴であり、それ故に死というものを意識させる。その「端」という位置取りによって、生と死の対比がより露わになっている。水音の際にいる「我」は、自然の一部となり、個としての意識を解き放とうとしているかのようだ。正岡子規の没日である獺祭忌(だっさいき)によって、若くして結核を患いながらも、文学活動に情熱を燃やし続けた子規が、自然の中に身を置き、静かに思索を深めている様子が浮かんでくる。子規は晩年、病床で多くの時間を過ごしたが、その姿はまさに「水音の端」にあったのではないか。水音は、生と死、時間と永遠といった対立する概念を繋ぐ象徴として機能しているようだ。玉さんこの位置取りに注目する。
*岬町小島にて。