2021年12月26日日曜日

香天集12月26日 安田中彦、加地弘子、中嶋飛鳥、夏礼子ほか

香天集12月26日 岡田耕治 選

安田中彦
鳴き交はす鶴に無縁な幸福論
風花や存分に生つかひきり
凩が棲むおまへの貌のなか
まどろめば荘子の夢や凍てし蝶

加地弘子
寒林のカコンと音す此の世かな
玄関の冬将軍を抱きしめる
仏壇にどっしり坐りラ・フランス
マグカップの歪みをたどり年の夜

中嶋飛鳥
道なりの曲りはじめる冬の詩
長き夜の言葉に疲れ足叩く
告白のくちびるに触れ雪蛍
背を見せみかんを一つ投げ上げる

夏 礼子
山茶花の白まっさきに曲りけり
冬の蚊を逃がせり情けとは別に
励ましの言葉を少し冬桜
冬りんご私落っこちそうになる

釜田きよ子
眼の中に鬼火の揺れている気配
納豆の糸引く力冬旱
着ぶくれて回転ドアに弾かれる
閉ざされし部屋に広がる枯野かな

前塚かいち
残る柿残せる柿や露地明り
イスラエルの子らの虐殺クリスマス
クリスマス持ち寄る品を迷いたる
月光と星光届きクリスマス

藪内静枝
離陸する窓が捉える紅葉かな
万年のなかの今生実南天
日の温み冬木にもたれ待ちいたる
大根の白せりあがり太り出す

永田 文
夜長し電子音から古傷へ
木の葉髪梳く手に残る思いかな
木枯や通過電車に足踏みす
木々たちが黙を保てり冬の山

大阪教育大学で高校生と俳句づくりをしました。12/25

どうしても一つ横向く柚子湯かな  耕治

 
桑本 栄太郎
 昨日の冬至の湯には、湯舟に沢山柚子を浮かべて入られたようですね? 湯舟にじっくり浸かり、ぷかぷか浮かぶ柚子の様子を見て居れば、歪なものもありどうしても横向きになるものもあるようですね! しかし、見かけはどのようでも爽やかな香りに変わりは無いようです。

柳堀 悦子
 確かに、くるりんと直ぐにむきを変えてしまう柚子ありますよね^_^
柚子湯にゆっくりと入って芯までぽかぽかになられているご様子 頂きます

大津留 直
 純粋な写生句でありながら、先生の人生経験から来る人生観が滲み出ているところが素晴らしいと思います。

大関博美
 たくさんの柚子がぷかぷか 指でつつくと みんなおヘソが上に向くのに
 この子だけ、そっぽを向いて 浮いてくる 何処かのだれかにちと似てる

仲 寒蝉
 ありますね、こういうやつ。柚子に意思があるようで面白いですね。

2021年12月19日日曜日

香天集12月19日 石井冴、三好広一郎、木村博昭ほか

香天集12月19日 岡田耕治 選

石井 冴
変り身の一夜帚木紅葉して
はなむけの微熱をそっと枇杷の花
顎鬚が好きで隠れる竜の玉
皇帝ダリア雲青ければ安寧に

三好広一郎
家族葬おやじの分も夜食喰う
人間に火を付ける酒十二月
性格を読まれていたる炭火かな
体内に残るガーゼや日章旗

木村博昭
銀杏散る内親王は国を捨て
おとといもきのうもきょうも落葉掃く
舳先より艫が好きだと懐手
十二月八日の空へ振り返る

神谷曜子
着ぶくれて出口がわからなくなりぬ
神無月水から覗く空の色
飛行機は好かんと五臓寒旱
荒波が海を暮れさす冬至かな

病を問ふ窓の外には雪止まず
黒猫のひよいと跨ぐや冬茜
新巻や出刃包丁の出番来る
粗大ゴミ一つ捨ておく冬支度

古澤かおる
藁仕事座敷童の出てきたる
鯛焼を食べ過ぎている齢にて
着古した寝間着にかえる聖夜かな
ストレスとなりし下着よクリスマス
*大阪教育大学柏原キャンパスにて。

話すほどまとまってくる冬日向  耕治

 
桑本 栄太郎
 本日の朝早くから昼前の天候のようですね?早朝は吹雪が激しく、昼前の今ではまだ相当寒いものの燦々と冬の日差しが差して居ります。今朝からの先生ご夫婦の会話のようですね?「今日は特に冷え込みが厳しいね!」などの会話が聞こえて来そうです。

仲 寒蝉
 最初は寒くてぽつりぽつりと言う話し方、それが日向にいると口も回って話もだんだんまとまって来るということでしょうか。私なんか後先考えずに話し始めて、話しながら考えますのでこんな感じです。

大津留 直
 言われてみれば、まったくその通りです。このご時世だからこそ、人と語り合うことの重要性をもう一度思い出したいものです。

十河 智
 ちょうどいい日向があって、話が弾むのでしょうね。職場の仲間となんとなく始めた話も、自分の中でまとまってくる。話しながら、これは行けるぞと発展させている。

大関博美
日当たりの良いラウンジで、クリスマスの出し物の相談かな
スタンツのストーリーから、配役、衣装はカラーのポリ袋で
なんて

2021年12月12日日曜日

香天集12月12日 玉記玉、柴田亨、三好つや子ほか

香天集12月12日 岡田耕治 選

玉記 玉
水の輪のカノン団栗落ちたから
もっと恋もっと耽美に花枇杷よ
垂直に地を刺す梯子小鳥来る
雪原や不束者である覚悟

柴田 亨
大根炊く今日一日を整えて
生きて死ぬものたちといて冬の虹
家出して遊び惚けて冬銀河
朴落葉土に寄り添う静寂にて

三好つや子
冬の雲ふっと無音になる都会
巻き尺のびゅんと戻るや十二月
体内を巡るララバイ冬至粥
のびしろのここより冬の木の芽なる

宮下揺子
何が生まれる水平線と秋の空
冬麗を歩く歩調の合わずとも
亥の子餅はらからと会う茶の座敷
婆二人寒三日月のあとを追う

楽沙千子
秋思ふとマイナンバーにとどまりぬ
デジタルの速さにずれて文化の日
優劣はつけがたきもの返り花
肩先に不意をつきたり朴落葉

小崎ひろ子
窓も息も白くにごれり雲の波
朝白し待合室に着ぶくれて
誓子の碑海鵜群れ飛ぶ堤防に
この道の曲がってゆけり冬の山
*大阪市扇町公園にて。

重く掃きすくうに軽き落葉かな  耕治

 
野島 正則
 落葉、近くの公園から迷い込みます。一枚一枚は軽いけど、厚く重なると重さがある。なめらかな表現、勉強になります。

桑本 栄太郎
 近在の団地では毎日落葉掃きの「掃除のおばちゃん」を見かけます。掃いても掃いても散る落葉に、「お早う御座います! お疲れ様です!」といつも声を掛けて居ります。落葉を掃き寄せ集め、ごみ袋に掬いながら入れて行きます。落葉の風情も、仕事であれば大変かな~?とも思います。

大津留 直
 この素晴らしい身体表現は、やはり、自分で体験してみないと出てくるものではないと、しみじみ味わっております。本当に、落葉というものは、掃いてみると意外に重く、掬ってみると意外に軽いものです。その意外さが良く表現できているのは、やはり、日頃の修練の賜物なのだと思います。

大関博美
落葉はき
軽く掬えるのは、紅葉や広葉樹の落葉だろうか?
銀杏では、こうはいかない。
重く履き軽く掬う
発見がにじみ出ていると思いました。

2021年12月5日日曜日

香天集12月5日 森谷一成、夏礼子、前塚かいち、久堀博美ほか

香天集12月5日 岡田耕治 選

森谷一成
爽やかに赤子の指のほどけたる
秋天やヘリコプターを一尾とし
かんなぎの膝のぽきりと秋深む
次の世へ冷ゆる白物家電かな

夏 礼子
シャガールの絵のなかに居る良夜かな
秋うらら無人の野菜完売す
花石蕗や土間に置かれしスニーカー
立冬の月ポケットの中に穴

前塚かいち
香を散らし踏まれゆきたり金木犀
コスモスの揺れを送らる動画かな
吾亦紅群生場所に精通す
冬隣首だけを出す家の猫

久堀博美
階段の踊り場に居り冬日差
駅からは見渡す限り大根畑
焼芋が香れり出入するところ
想いとは真逆を伝えなめこ汁

釜田きよ子
青天に吊る大根の光かな
冬薔薇しっかり呼吸しておりぬ
メロンパンポロポロこぼし小鳥来る
疑いを捨てた熟柿から落ちる

中濱信子
山茶花の日向と日陰訪れる
柿たわわ下校のベルの届きけり
増えもせず減りもせずして石蕗の花
ほめられし一句ころがし神無月

河野宗子
木犀の香に楽曲の流れくる
鳴き終えてまた新しき虫の声
浴室や満月のよく顔を出し
団栗を空に投げたる幼き手

嶋田 静
捨てられぬ写真のあまた柿落葉
穂すすきの風を呼びこむ庭のあり
とうふ屋の奥まで暗し寒の雨
入り込むコーヒータイム初しぐれ

田中仁美
紅葉狩介護のことを語り合い
布の上にたたずむ虫の影のあり
子らの居ぬ遊具静かに秋の暮
ひとり居の酒屋の主新酒酌む

吉丸房江
ありがとうありのまま言う秋の空
大海を泳いだ鮭をかみしめる
金木犀思わぬ人と出会いけり
コスモスに又来ると告げ能古の島

垣内孝雄
置炬燵かき餅と茶を用意して
クリスマス一人娘の誕生日
花枇杷や辻を曲がりて三軒目
おでん屋の大黒天の赤頭巾
*大阪教育大学天王寺キャンパスにて。

2021年12月4日土曜日

美しく仏飯を盛る寒さかな  耕治

 
十河 智
 昔を思い出します。うちでも、どちらの祖父母の家に行っても、その家の主婦が芸術的にもった「ご飯さん」を仏壇に持って行き供えるのが、私の仕事でした。釜で炊いた、ツヤツヤのご飯の最初の一掬い、母も祖母たちやお嫁さん方、みんな手慣れていて、上手でした。

桑本 栄太郎
 日毎に寒さが募る今の時季の朝の光景ですね?。朝炊きたての湯気の出ているままに、小さな器に盛り仏様のお供えとします。その後家族の朝食が始まりますね?子供の頃の朝は何時もこの様な光景でした。

岡田 登貴
 お仏飯をよく「ご先祖さまに上げる」とおっしゃる方がいますが、我が宗派浄土真宗では、あくまで阿弥陀様へのお供えです。そしてそのお供えは仏様に「上げる」ものではありません。
 仏様は円満充足しておられますから、なにも必要ないのです。お供えするお仏飯は仏様からのいただきもの。それを日々感謝するためのお供えと教えられています。
 また浄土真宗ではご先祖を「拝む」ことはいたしません。お仏壇にあるお位牌(うちでは作りませんが)や法名軸、過去帖は拝む対象ではなく、私たちより先に阿弥陀様に出合い、阿弥陀様に導かれたご先祖という御同朋の生きられた証です。
 ですので、感謝の印のお仏飯を美しく盛ることは、自分への励ましになると思っています。ふんわりと盛られたお仏飯、美しいですね。今日一日を頂いた感謝の心が現れています。