2016年1月31日日曜日

「雪の花」 岡田耕治

雪の花   岡田耕治
繰り返し大根を煮て暮しけり
冬日射すシートを選び路面電車
名刺には名刺を返し春隣
雪の花死者が働きはじめたる
改善を繰り返したる狸罠
霞草水の形に生けられし
雪降れり傘がなくてもいいほどに
クラクション長く響かせ雪女
大寒の猫に指先埋め居て
高野山に帰る人ある寒気かな

香天集1月 森谷一成、谷川すみれ、竹村都ほか

香天集 1月 岡田耕治選

森谷一成
青空へもじれる陸離開戦日
ラテン語の優しき女声六林男の忌
奪うもの未だあるらし初山河
製鉄の硬きけむりに寒の月
大寒のココアひとさじ練らんとす

谷川すみれ
風紋を分けて近づく春の鴨
春の土牛の涙を吸い濡れる
いちはやく板垣の内草青む
耳朶のやさしき湿り夕桜
春の暮特別な湯を張りにけり

竹村都
着ぶくれて最後の免許証を受く
座布団に躓く今朝の寒さかな
晦日蕎麦引越の荷をそのままに
ふくめ煮の匂いの中を年新た
わっと来てそれぞれに去る三ヶ日

中濱信子
歳時記を繕い居たる時雨かな
新築の槌音響く龍の玉
裏白の裏にひろがる幼き日
七草や厨の水を溢れさす

大杉衛
凩のたび地平線の近くなる
枯野人肋に電気点いている
冬の旅長き廊下を行くごとく
凍滝の反射ばかりとなりにけり

橋爪隆子
黒豆の一粒ずつに光あり
学童の寒さ知らずの膝小僧
大寒や大脳はすぐくたびれて
若水に映りし顔を掬いけり

越智小泉
一筋の瀑布紅葉の山分つ
缶蹴って冬日走らす下校の子
大寒の本日卒寿なりにけり
ポケットの中のじゃんけん寒に入る

中村静子
やがて落つための粧い寒椿
はじめての風花胸に咲きつぎて
冬の山ジーンズの歩に追いつけず
初明り神鈴の音鳴りやまず

釜田きよ子
わたしには赤が足りないポインセチア
浮寝鳥さざ波の中ぽよぽよと
わたくしと同じ夢見し浮寝鳥
落ちてよりお喋りになる椿かな

宮下揺子
就活と終活の居て実南天
老人の軽き足取り冬帽子
十二月消えてしまいしEメール
時雨虹ライターで紐切りてより

古澤かおる
トーストにバターと海苔の二日にて
人日の買って飲むお茶余しけり
青ナマコ背中は少し硬い方
大枯野ごろごろとある酒の瓶

澤本祐子
逃げてゆく日差を追いて年用意
元旦や巻き癖残るカレンダー
七草の名札をつけて籠の中

村上青女
ろう梅や深い呼吸をしていたる
着膨れの腕組み唄う基地の前
時雨るゝやリボンを縛る基地フェンス

中辻武男
硝子拭く子らを称えて十二月
初日浴び歓喜のあとの深呼吸
何も云わず吾が身庇えと大寒波

戸田さとえ
詩をつむぐしあわせありて初明り
何もかも定位置のあり年迎う
寂聴のつやめく法話冬ぬくし

永田文
色淡き山茶花の日を重ねけり
冬耕す日差の中に鍬をたて
寒菊や紅さしてくる葉のありて

2016年1月30日土曜日

手袋や東京駅に棲むこだま 市川 葉

手袋や東京駅に棲むこだま 市川 葉
『市川葉俳句集成』邑書林。駅は手袋を最も意識する場所です。駅に着けば手袋を脱ごうかどうか、発つときははめようかどうかと判断しているからでしょう。東京駅のに運行回数の減ったこだま号が停車しているところでしょうか。いや、大きな駅舎ですからこだまのように反響しているのかもしれません。さらに聴いていると、それは故郷を後にしてこの東京駅に降り立った多くの人の声のようです。

2016年1月29日金曜日

花明かりこの世を覗く眼と合いぬ 大城戸ハルミ

花明かりこの世を覗く眼と合いぬ 大城戸ハルミ
「六曜」39号。晩年の小田実さんが大阪環状線の車中に坐っていました。いつもの紺のアスコットタイをして、今ここから遠くを見るような眼差しです。小田さんの著書に『なんでも見てやろう』がありますが、何でも見てこられた眼は澄んでいました。たった一度お会いしただけなのに忘れられない眼差しがある、そんなことを想起させてくれる一句です。

2016年1月28日木曜日

手帳には何も書かれぬまま立冬 仲 寒蝉

手帳には何も書かれぬまま立冬 仲 寒蝉
「港」1月号。成人病センターに入院している先輩を訪ねました。面会時間外でしたので、二〇分ほど話して次にゆっくり見舞いに来る日を伺いました。その時、あれほど予定で埋まっていた先輩の手帳に、その週は何も書かれていません。何もないことの安堵と淋しさとを同時に感じました。この冬を越して、再び手帳に賑わいが戻りますよう。

2016年1月27日水曜日

パチンコ屋その大音響開戦日 大牧 広

パチンコ屋その大音響開戦日 大牧 広
「港」1月号。学生の頃、よくパチンコをしました。10時開店と同時に軍艦マーチがかかり、11時、12時と1時間おきに同じマーチがかかります。40年前は、愛嬌ほどに聞こえた軍艦マーチですが、今聞くとどう感じられるでしょう。少なくともあの大音響の中に居ますと、有り金をはたいても絶対勝ちたくなるにちがいありません。

2016年1月26日火曜日

死ぬ前に舐めるとすれば秋の虹 高野ムツオ

死ぬ前に舐めるとすれば秋の虹 高野ムツオ
「小熊座」12月号。臨終を前に、人はどんな動作を選ぶのでしょう。高野さんの選択は「舐める」。それだけでもハッとしますが、「秋の虹」であるところに、明るさと自在さを感じます。この身にある内は誠実に現実と向き合い、俳句と向き合ってきたので、最期にはこの魂に栄養を与えようとされるかのようです。夏の鮮やかな虹ではなく、春の淡い虹でもなく、冬の透き通る虹でもない、少しトーンを落とした、澄んでいてやわらかい秋の虹。

2016年1月25日月曜日

風船を手放す自由ありにけり 櫂未知子

風船を手放す自由ありにけり 櫂未知子
「俳句アルファ」2-3月号。イベントに出かけて、宙に浮く風船を手にしました。気分の高まりは、やがて時とともに下がっていきます。風船も心なしかしぼんだようです。家に帰るまでこの風船を持ち続ける、ということは、家に帰るまで楽しい自分を演じるのは、ちょっと疲れるような気がします。「手放してもいいんだよ」と、櫂未知子さんの200句は、語りかけているようです。「あなたの人生なんだから」。

2016年1月24日日曜日

「この雪」 岡田耕治

新聞を開くや香る冬林檎
全員が集まるまでの焚火にて
干枚の大根を据え飲むとする
改造の始まっている寒稽古
雪見ゆる窓を大きく身に容れん
片時も着信を待ち雪催い
たった今雪になったと声のする
この雪を共にしている息のあり
  悼・野口克海先生二句
大寒の涙を熱くしていたる
風花の着いては消えて磨り硝子

2016年1月23日土曜日

青増すや春のはじめの内出血 中山奈々

青増すや春のはじめの内出血 中山奈々
「俳句アルファ」2-3月号。つまずいて打った傷が、しだいに青みを帯びてきました。思ったより強く打ちつけたようです。TSエリオットは、「冬は私たちをやさしく包んでくれた」と言いました。春のはじめ、何もかも目覚めはじめる頃は、心身の変調を来しやすいものです。「内出血」は、体の内に流れ出した血が、次第に青く変化してきたのかも知れません。

2016年1月21日木曜日

整列を崩さぬ早春の並木 宇多喜代子

整列を崩さぬ早春の並木 宇多喜代子
「俳句アルファ」2-3月号。並木が整然と春を迎えようとする、どちらかというと当たり前の内容に揺さぶりをかけているのは、一句のリズムです。5・4・5・3という切れがいいけれども、収まろうとはしないこの独特のリズムによって、整然としている並木さえも、どこか落ち着きを崩しはじめます。鈴木六林男師は、「瑕瑾(かきん)を残せ」と指導しました。同じような俳句ばかりを並べるのではなく、傷を残せと。宇多さんの「早春」と題した10句中、この句がまさに瑕瑾なのでしょう。この瑕瑾に注目するよう、タイトルが付けられているのです。

2016年1月20日水曜日

日記買ふいくさといふ字書かぬため 大牧 広

日記買ふいくさといふ字書かぬため 大牧 広
「俳句アルファ」2-3月号。誌上では、戦争体験者として「最後の語り部にならなければ、という気持ちです」とインタビューに応えています。「いくさが始まっている」そんなことを書かないために新しい日記を買う。なんという決意でしょうか。大牧さんのこの決意を継承する者でありたいと切に思います。

2016年1月19日火曜日

少し痩せ少し縮みて夏終る 越智小泉

少し痩せ少し縮みて夏終る 越智小泉
「香天集」42号。少し体重が減り、身長も低くなるのは、老いてゆく証拠です。小泉さんはそれを、困ったこととは捉えておられません。「夏終る」という止め方が絶妙で、「これくらいの減り方で今年の夏を乗り切ることができた」といった安堵さえ感じられます。もっと縮んで、もっと痩せていくだろうけれども、そんな自分を視て行こうと。

2016年1月18日月曜日

寒禽のこゑ聞いてをり籠の鳥 利普苑るな

寒禽のこゑ聞いてをり籠の鳥 利普苑るな
『舵』邑書林。寒禽は冬の山河や海を生きている鳥です。その声を籠の中の鳥が聞いています。厳しい寒さの中を生きぬく鳥と、温かい部屋の中で籠の中にいる鳥と、どちらも同じ厳しさの中に在る、そんな慈しみを底流に感じます。籠の鳥は作者でしょうか。いえ、空を渡ってゆく寒禽かも知れません。

2016年1月17日日曜日

「毛布」 岡田耕治

眼差やコートの襟を立てて来る
待合の短き言葉冬の果
チーズケーキ冷たき匙を沈めけり
限りなくひとりになりし竜の玉
寒星や肉眼深く収めおく
死ぬまでの一日にして燗熱し
後ろから抱かれている毛布かな

2016年1月13日水曜日

いく度も抱き直しては月を抱く 金原まさ子

いく度も抱き直しては月を抱く 金原まさ子
「豈」58号。いく度も抱き直すという動作が先にありますので、泣き出した子どもを抱いて外に出たときをイメージします。ところが、それが月だったと言い直されると、子を抱く重さから解放されるような、でも腕の中にはまだ子どもが残っているような不思議な感覚が残ります。104歳の自由な表現に、月を抱くことを教わりました。

2016年1月12日火曜日

人の山すぐに崩れて秋深む 中嶋飛鳥

人の山すぐに崩れて秋深む 中嶋飛鳥
「香天集」四二号。どんな人の山が出来、その中に何があったのでしょう。また、すぐにそれが崩れたのはなぜでしょう。珍しいもの、悲惨なものを囲むように人々が集まり、すぐにそれが冷めてしまったとき、作者は秋の深まりを感じたのです。「冬は一人ひとりを包んでくれると感じた」と言い換えてもいいでしょう。



2016年1月11日月曜日

初詣我と我が身を叱咤して 宇多喜代子

初詣我と我が身を叱咤して 宇多喜代子
「現代俳句」一月号。正月に暖房の効いた部屋にいますと、つい出てゆくのが億劫になります。しかし、叱咤するように作者は家を出ました。「我」とは目の前のものに関心を向けようとする精神、「我が身」とは一歩ずつ初詣に向かうこの身体です。作者のこれまでの俳句への関わりを暗示するような一句です。

2016年1月10日日曜日

轍すら残らぬ時代鳥渡る 高野ムツオ


轍すら残らぬ時代鳥渡る 高野ムツオ
「小熊座」1月号。車が通ったあとに残る轍(わだち)。それすらも残らないという時代であるという認識に、ドキッとします。コンクリートやアスファルトで固められた道になってしまっただけではなく、人としての言葉や記憶がどんどん薄くなり、滑っていくように感じられます。そんなこの国へ、北の国から鳥たちが渡ってきました。