2016年3月8日火曜日

木枯を聞くなら土管膝抱え 高野ムツオ

木枯を聞くなら土管膝抱え 高野ムツオ
「小熊座」2月号。旅の鞄に「小熊座」を入れて、宮城県に来ています。仙台駅周辺は地下鉄も走り、活気がありますが、海へ車で走りますと、復興には程遠い状況です。「土管」は、土に埋められて初めてその役割を果たします。地上に放置されているそれは、復興を待つ東北の姿であるように感じます。土管の中に入って膝を抱えて木枯を聞いている姿は、東北に来てよりリアルに像を結びました。

2016年3月7日月曜日

「布鞄」 岡田耕治

「布鞄」 岡田耕治
布鞄ただ歳時記の春を入れ
目に涙ためたる人の春の海
朝まで待てないというしゃぼん玉
この街の書店が閉まり紙雛
蜆汁新婚旅行から帰る
共にいてたのしい人の春火鉢
雛納信じて待っておくことに
コンピュータ開くと草の青みけり
古紙として重なっている春の夜
風光る出口にビッグイシュー立つ

2016年3月6日日曜日

香天集 3月6日 久堀博美、浅野千代ほか

香天集 3月6日 岡田耕治選

久堀博美
ポケットの小銭を増やす日永かな
ビニールの屋根を鳴らして春嵐
ふだん着のすこし酔いたる春ともし
朝寝して起床後の我見ていたり
介護とは春を一緒に遊ぶこと

浅野千代
客の来て帰りし後のクリスマス
長い長い遺言春のはじまりに
牡丹雪ぼくをきらいな君が好き
起こること凡ては些細葱の花

釜田きよ子
冬の雲土に練り込む唐津焼
梟の置物ごろすけほーと鳴け
春立ちぬえびせんべいの紅ほのか
山笑う雲の枕を取り払い

小崎ひろ子
駅の階うらうらと春ついてくる
デイジーの遥か向こうに誰か居た
沈黙を呼び出している梅の花
窓開く空にいきなり春の雲

坂原 梢
老翁の声のはつらつ苗木植う
なつかしい人を数えて針供養
病院のマスクとマスク擦れ違う

冨永道子
待合の帆船孕み春の風邪
赤赤と辻の地蔵の春帽子
越前の水の豊かに紙雛

2016年3月5日土曜日

かの梅の咲いてゐる筈熱の中 大牧 広

かの梅の咲いてゐる筈熱の中 大牧 広
「港」3月号。生家の庭に一本の梅があって、今ごろは白い花を香らせていました。どこにでも咲く梅でもなく、たくさん集まっている梅でもない「かの梅」は、今ここにはありません。しかしきっと咲いているに違いないという確信は、「熱の中」から生まれてきます。では、この「熱」とは何でしょうか。今ここにある人の熱は、梅が咲いている日差しの中の熱と通じているように感じられます。私たちは地球という「熱の中」に生かされているのですから。

2016年3月3日木曜日

立春の夜を退院の荷の中に 寺井谷子

立春の夜を退院の荷の中に 寺井谷子
「自鳴鐘」3月号。入院先から「明日退院します」とのお葉書をいただきました。骨折のために入院されておられたので、時間が何よりの薬だったのではないでしょうか。清算をすませたらすぐに退院できるよう、長く居た病室の品物を荷づくりしてしまいました。病室に見えていた物がなくなりますと、入院したばかりの空洞の中に居るようです。そんな淋しさと希望を捉えたのは、立春の夜そのものを荷の中に仕舞ってしまったという、繊細でいて大胆な表現です。

2016年3月2日水曜日

寝過ごしてひとり降り立つ銀河かな 五島高資

寝過ごしてひとり降り立つ銀河かな 五島高資
「俳句大学」創刊号。寝過ごさないよう、時間に遅れないようにすることが、社会で生きる上での基本だと教わりました。だから、寝過ごしてしまったこと、遅れてしまったことに象徴性が与えられることはほとんどありません。しかし、ここには寝足りたときの心地よさと、過ぎてしまった時間へのあせりと、それを超えた自在さがない交ぜになっています。この国の人々は、銀河にこの身を出会わせることによって、このように自らを保ってきたのです。

2016年3月1日火曜日

梅雨深しこの話どう収めんか 永田満徳

梅雨深しこの話どう収めんか 永田満徳
「俳句大学」創刊号。結社を超えて俳句と向き合う新しい「座」が誕生しました。学長を務める永田さんには、この間さまざなまご苦労があったと思いますが、さわやかな一巻を手にされた関係者の喜びが聞こえてきます。様々に生起する「この話」、それを上から目線で一蹴するのではなく、誰もが納得するよう収めどころを新しく求めてゆく、そんな「俳句大学」の姿勢が伝わってくる一句です。