2017年11月27日月曜日

「枯野」17句 岡田耕治

枯野  岡田耕治

一キロを七分で来て息白し
息白くスマートフォンに話し出す
冬空を歩くことまた走ること
大勢の俳句の中をブーツ鳴る
冬の雲ゆっくり話す人と居て
静かなる四回生の褞袍かな
マフラーや酒だけを買い戻り来る
手にしびれ残りて熊が穴に入る
ガソリンの色に時雨のはじまりぬ
時雨傘地下一階に長く居て
溶接の火の粉を浴びる時雨かな
ロングブーツ暗くなるのを待っている
吐く息の方を大事に冬の星
立っている姿勢の続く懐炉にて
冬鴉しばらく知恵を働かす
冬灯しだいに暗くなる故郷

半分は遊んでいたる枯野かな

*福島県只見町教育委員会の窓から。

2017年11月26日日曜日

香天集11月26日 森谷一成、玉記玉、谷川すみれ他

香天集11月26日 岡田耕治 選

森谷一成
満月の海も御身も被曝せり
草一同に脱ぎすてんとす野分雲
秋蝶の通い路やがて大きな夜
大向うに美輪明宏の掌の枯葉

玉記玉
葉の色の人肌に似て神の留守
胡桃餅人のぬくもりとはこんな
石垣の 穴に見られて日向ぼこ
白雲を漕ぐ白鳥の痩せており

谷川すみれ
胸中の海原青き十二月
吐く息が汚さぬように冬の滝
ぼたん雪意外に小さき大仏の
日脚伸ぶ百年後の足元に

橋爪隆子
望の月背伸びして取るスープ皿
愚痴一つ入れて寄鍋濃ゆくする
木のベンチ木の実と共に坐りけり
いきなりの朝寒というプレゼント

古澤かおる
原木の二代目にして富有柿
散紅葉百三十畳の間を包み
石蕗の花昼の薬を飲み忘れ
流木と木札のあいだ枇杷の花

木村博昭
どこまでも草の穂白き夜明かな
枯葉鳴る一枚ずつに陽を載せて
濡れ落葉掃けど掃けども動かざる
裸木になりて遥かな湖面かな

安部礼子
雪は白い焔その奥に音がある
怪の国の頂上にある雪明り
雪の橋川だけが死に急いでる
石ころに揺るぎない影冬来る

坂原 梢
荷台からこぼさぬように甘藷
青空が雲をあそばせ松手入
閃閃と紅葉の映ゆるかんばせよ
また一つ明かりの増えて暮早し

永田 文
葛の葉をあらぶらせたる山の風
このさわぎ終章となる桜紅葉
黄金の端一枚のコスモス田
柿たわわ山の日ここに集まりぬ

安部礼子
面影を問はるる冬の潮騒
風紋は漁色のかたち冬の浜
冬銀河下土の運河を眠らせる
火を消して含み笑いの般若面



*岬町文化センターにて、識字学級の作品展示。

2017年11月24日金曜日

肉体に依つて我在り天の川 三橋敏雄

肉体に依つて我在り天の川 三橋敏雄
「俳句α」12-1月号。創刊25周年記念特別号。「我思う、故に我あり」と言ったのはデカルトです。非常に重要な命題ですが、俳人は身体性こそが私の由縁だと思想家を切り返しています。今でこそ、能科学が進歩しましたので、この切り返しを鋭いと感じますが、当時の状況でこう切り返すまでの学びが下敷きにあり、その上で自身の感受性に従おうとする作者の姿勢に感服します。「我あり」の使い方のなんと鮮やかなことでしょう。空には、デカルトの頃からあったであろう夜空が広がっています。
*大阪教育大学天王寺キャンパスにて。

2017年11月23日木曜日

朧夜に怠けて傷を深めたる 鈴木六林男

朧夜に怠けて傷を深めたる 鈴木六林男

「俳句あるふぁ」12−1月号。創刊25周年記念特別号。六林男師の鮮やかな写真を懐かしく拝見しました。句会を終え、居酒屋で軽く飲んでから、六林男師と南海電車に乗って帰りました。12月末の句会のあとにこんな会話をしました。「正月休みはいつまであるんや?」「1月4日までです」「そうか、ゆっくりできるな。こっちは休み無しや」。師は、俳句のプロとして、休み無く読んで、書いておられました。「律儀」という言葉が、書き手の六林男師にはぴったりだと思います。律儀であろうとするから「怠けて傷をふかめ」ることを意識できるのではないでしょうか。「朧夜」は、まあそんな日もあるさと師を包んでいるようです。創刊25周年、おめでとうございます。
*担当している「小・中一貫教育概論」の黒板。KP法で授業しました。

2017年11月20日月曜日

「まばたき」15句 岡田耕治

まばたき  岡田耕治

立て直すために視ており初時雨
セーターを出てまばたきを繰り返す
前足をうんと伸ばして冬日向
脚を折り構えていたる冬の蠅
冬日向涙の跡を残しけり
熱意あるふりをしている海鼠かな
木の葉髪落ち放題にしていたる
品書や初めに葱の天ぷらを
深く息を整えている障子かな
焼かれたる潤目鰯の濡れてあり
吾が顔を枯野が渡る車窓かな
タンカーが大きく見えて冬の海
傘がない体を包む時雨かな
質問を浮かべていたり石蕗の花

冬の月『風姿花伝』に辿り着く

*福島県只見町にて、大豆と小豆を干す。

2017年11月19日日曜日

香天集11月19日 石井冴、加地弘子、久堀博美ほか

石井 冴
みんなして盗人萩の膝頭
万国旗ふんわり納め冬隣
毛糸玉敷居を越えて洛外へ
一寸ずつすべらせて行く冬日向

加地弘子
目と同じ高さに香り金木犀
介護する友の句届き虫の夜
空中に声の流れて柿熟れる
鶏頭花同じくらいに傷つきぬ

久堀博美
目に力入れて視ており望の月
文月やまだ真っ新な教則本
握りたるままに眠りて秋灯下
土に触れ土より聞こゆ冬の声

宮下揺子
古切手整えられて木犀花
水草紅葉残像は父の顔
長き夜やヒップホップの続きたる
逝きし子をしきりに想う萩の花

中辻武男
芒原夕日の金波躍り出す
  (和歌山県生石高原)
友人と眺め語らう菊の花
七五三晴着の裾を引き摺りぬ
未来への夢を起こせる秋思かな


*卒業する4回生と授業づくりについて考えました。

2017年11月18日土曜日

露の原露の一つにわが目玉 高野ムツオ

露の原露の一つにわが目玉 高野ムツオ
「現代俳句」11月号・現代俳句協会創立70周年記念特大号。高野さんは、63頁の対談で、〈「現代の俳句を作って行こう」という協会の姿勢が魅力的でした。〉と語っています。「現代の俳句を作って行こう」このひと言が、高野さんの営みをよく表しています。特に東北大震災以後のムツオ俳句は、どの句にも覚醒のまなざしを感じます。晴れた日の夜、一面に露が降りている野原に立って、その一滴を見つめている作者の眼をまず想起します。さらに、この目玉そのものが、ここにある露の一粒なのだという、作者の思想へと導かれていく、そんな重層的な書き方です。鈴木六林男師は、当時の新興俳句が格好良かったと仰っていました。同じ意味で、70周年を記念する、格好いい一句です。

*岬町小島にて。

2017年11月17日金曜日

紙に書く紙を重ねる月下かな 宇多喜代子

紙に書く紙を重ねる月下かな 宇多喜代子
「現代俳句」11月号・現代俳句協会創立70周年記念特大号。70頁に宇多さんは、「私は立句が作りたいですね」、「私は今、蛇笏や石鼎を読んでから寝ます」と発言しておられます。林誠司さんのブログ「俳句オデッセイ」には、「立句とは一句独立の凛然とした立姿の句を言う」とあります。この句は、そんな立姿を思わせる一句です。「紙に書く」ということが、新鮮な響きを持つようになりました。しかも、それを重ねていくことには、俳句を書き継いできたことへの肯定が伺えます。明かりを消して、蛇笏や石鼎が望んだであろう月を観ながら、また新しい紙を前にしている作者を想います。

*福島県只見町にて。

2017年11月13日月曜日

「枯蟷螂」11句 岡田耕治

枯蟷螂  岡田耕治

一本の線が繋いでゆく秋思
蛇穴に入りて眼の定まりぬ
もっと思い出そうとしたる羽根布団
夜長し寝返りを打つ力にも
刺叉と担架を備え冬に入る
何時までも大きく構え枯蟷螂
海を見る背中を鳴らす焚火かな
真っ直ぐに正面を向き息白し
どこまでも小走りに降り冬の山
冬の水たっぷり飲んで誕生日
見晴らしのガラスに映り冬の空


*大阪狭山市「がじゅまるカフェ」(若い教員の勉強会)にて。