2017年1月15日日曜日

香天集1月15日 選後随想 藤川美佐子、澤本祐子

此の道は来て去るところ時雨傘 藤川美佐子
香天集1月。故郷へ向かう道の、限りなく故郷に近づいた土の道を想います。心弾ませて帰る道であったのに、今は、来れば去らなければなりません。でも、街から離れて時雨の中を歩きますと、にぎやかな声がします。それは、作者を含めた子どもたちの声です。

ちちろ虫靴から靴へ跳びゆけり 澤本祐子

 香天集1月。ちちろ虫が玄関に入って来たのは、鳴き声で判りました。捕まえて、外に出そうとしますが、靴から靴へ飛び移って、思うようになりません。遊びに来ていた子どもたちも、玄関にきて一騒ぎ。今日はこのままにして、ちちろの声を聞くことにします。


*大阪教育大学柏原キャンパスの山茶花。

2017年1月14日土曜日

ふり向けばふり向いており白鳥も 松下カロ

ふり向けばふり向いており白鳥も 松下カロ
「儒艮」20号。「白鳥拾遺」と題された30句に『白鳥句集』の白熱の余韻を愉しむことができました。カロさんの白鳥は、カロさんご自身であると感じることが多いのですが、この句はまるで大きな鏡を見るように描かれています。気になって白鳥を振り向いてみると、そこには同じように気になって振り向くカロさんのまなざしがあったのです。振り向くという営みよりも、白鳥のかなしさよりも、このまなざしに惹かれます。
*御堂筋のすっかり散った銀杏。

2017年1月13日金曜日

眼のみ右を向きたる雪達磨 久保純夫

眼のみ右を向きたる雪達磨 久保純夫
「儒艮」20号。雪達磨に向かいますと、いくつか気になるところがあります。特に眼は重要で、それが雪達磨の人格を決定づけるといっても過言ではありません。どうしかことか、この達磨さんは眼だけを右に向けています。まるで本当の達磨が、壁からぎょろっと眼をこちらに向けているようではありませんか。でも、雪達磨の眼を正面に向けることはできません。そのように在ること、そのように解けることが、この達磨の命なのですから。
*大阪教育大学柏原キャンパス、石のベンチ。

2017年1月12日木曜日

梟に目を逸らされてしまひけり 浅井陽子

梟に目を逸らされてしまひけり 浅井陽子
自注現代俳句シリーズ『浅井陽子集』俳人協会。梟(ふくろう)の首は、なめらかに、計ったように回って止まります。なので、梟の顔や梟と目が合うことを俳句にすることが多いのですが、浅井さんは梟の首が回って、目が逸れていく瞬間を捉えてました。もっと見つめていたかったのに、そんな思いが胸にわいてきます。でも大丈夫。少ししたら、静かにくるりと、つぶらな目が戻ってきますから。
*大阪教育大学柏原キャンパス。

2017年1月11日水曜日

深爪の焚火を離れられぬまま 玉記 玉

深爪の焚火を離れられぬまま 玉記 玉
「香天集」1月8日。爪を深く切りすぎてしまうと、なんとも言いようのない恐れの感情をかかえることになります。その爪先を焚火にかざしますと、もうこの温かさから離れられなくなる程です。でも、何時までも焚火に温まっているわけにはまいりませんから、露わになった爪先を、ヒリヒリしながらも、焚火のない世界で使っていくほかありません。でも、もう少しだけ、温まっていくことにしましょう。
*泉佐野市内の珈琲店にて。

2017年1月10日火曜日

雑煮餅それとなく余生のかたち 宇多喜代子

雑煮餅それとなく余生のかたち 宇多喜代子
「俳句」1月号。鏡餅は凜としていますが、雑煮に入った餅は椀の中で軟らかくなり、平たくなっています。箸をつけますと、伸びきって、さらに形を失っていきます。それは、「余生のかたち」なのだと表現されると、雑煮のなかでどんどん冷めていく餅が、いとおしくなってきます。「それとなく余生のかたち雑煮餅」とリズムを整えるのではなく、「雑煮餅」を初めに出して、あえてリズムが整わないのも、余生のかたちでしょうか。宇多さん、今年もよろしくお願いします。
*シェラトン都ホテルのエントランス。

2017年1月9日月曜日

「年男」12句 岡田耕治

年男 岡田耕治

初夢をゆっくり歩くことにする
初めての人と話せる据り鯛
福鍋や一旦止めることにする
年男二メートル引く十センチ
真っ先に無くなっている開豆
もうこれで最後にすると賀状来る
生きてあるだけで儲けと初湯殿
双六やだんだん顔の近づいて
口きかぬ時の増えたる三日かな
海に出て三日の石を放りけり
鉄板へ滑り込みたる寒卵
十分を九分で行く寒暮かな
*シェラトン都ホテルの門松。