2026年10月4日日曜日
香天集10月4日 渡邉美保、玉記玉、辻井こうめ、森谷一成ほか
2026年9月27日日曜日
香天集9月27日 木村博昭、夏礼子、谷川すみれ、柏原玄ほか
2026年9月20日日曜日
香天集9月20日 柴田亨、加地弘子、釜田きよ子、三好広一郎ほか
2026年9月13日日曜日
香天集9月13日 三好つや子、牧内登志雄、山内宏子ほか
2026年9月7日月曜日
夏惜しむ解のない本立ち並び 玉記玉
〈俳句物語〉 岡田耕治
夏惜しむ解のない本立ち並び 玉記玉
彼は大学の非常勤講師を務めている。博士課程修了から5年。18歳人口の減少に伴い正規ポストへの道は狭く、複数の大学を掛け持ちして講義をこなす毎日は常に綱渡りだ。
非常勤講師の契約は、1コマ単位であり、例えば半期(4月から8月)に1コマ(15回)を担当したとしても、月々の手取りはわずか3万円程度にすぎない。しかも授業が行われない3月と9月は無収入になるため、生活を維持するためには前期・後期ともに最低でも週7コマ以上を死守しなければならない。
「自分は、いったい何のために教えているのだろう」
提出されたレポートには、生成AIで書かれたと確信できるものが溢れていた。誤字脱字はなく洗練されているが、書かれているのは抽象的な総論ばかり。誰からも非難されない「安全策」の結論が並ぶ。魂の通っていないレポートをめくり、点数をつける作業は、自身の人生をすり減らすかのようだった。
このままでは、教える側も学ぶ側も干からびてしまう。そう感じた彼は、この期末の課題を大きく変更することにした。
「将来自分が授業を作る上で、探求し続けたい『問い』を100字以内で表現し、15回のどの学びに着想を得てその問いに至ったのかという背景を400字以内で記述しなさい」
この試みは、想像以上の変化をもたらした。提出された一枚一枚のレポートから、学生たちの生の体温が伝わってくるようになった。インターネットの海に漂う「過去の既製の答え」ではない、回答する学生自身がこれから向き合っていこうとする、切実な「未来の問い」が見えてきたのだ。
「過疎地のバスが廃止になる場合、そこに住むお年寄りの『移動の自由』をどう保障していけばいいか」
「アルバイト先で不当な労働を強いられた時、私たちは法をはじめ、どのような手立で自分を守ることができるか」
拙くとも、必死に頭を悩ませて紡ぎ出された言葉たち。それらを読んでいると、彼自身の胸の奥にも、眠っていた熱い火が灯るのを感じた。レポートを採点する時間は、いつしか彼にとって、自らの授業をより良くするためのヒントに満ちた対話の時間へと変わっていった。
彼の専門である「公共」という科目は、「正解のない社会課題に対して、自分ならどう判断するか」を主体的、対話的に考えるためにある。答えがないからこそ、彼の質素なアパートの本棚には、哲学的思索の本、社会の対立や倫理的葛藤を扱う本、先端科学や社会課題の境界線を扱う本が、ぎっしりと、少し誇らしげに並んでいる。
本棚を眺める彼の目には、かつて研究を志した頃の純粋な輝きが戻っていた。学生たちの問いに励まされるようにして、彼は久しぶりに、自分のために買っておいた本を開く時間を作り出すことができそうだ。
夏惜しむ解のない本立ち並び 玉記玉
香天集9月6日 玉記玉、森谷一成、佐藤静香、釜田きよ子ほか
2026年8月30日日曜日
香天集8月30日 渡邉美保、中嶋飛鳥、辻井こうめ他
2026年8月27日木曜日
香天本誌84号
香天本誌84号 ←こちらから本文をご覧いただけます。
2026年8月23日日曜日
香天集8月23日 加地弘子、谷川すみれ、夏礼子、柏原玄ほか
2026年8月16日日曜日
香天集8月16日 柴田亨、湯屋ゆうや、三好広一郎、前塚かいち他
2026年8月9日日曜日
一歳へ裸の乳に文字を描く 宮崎義雄
〈俳句物語〉 岡田耕治
一歳へ裸の乳に文字を描く 宮崎義雄
妻)ねえ、この胸に絵を描いてくれない?
夫)え、どうして? サプライズ?
妻)ううん、今日で最後にしたくて……。もう、おっぱいを卒業させてあげたくて。
夫)なるほどね。何を描けばいい?
妻)顔かな。「へのへのもへじ」なら、この子も笑ってくれるかも。
夫)わかった。じゃあ、とびきり愉快な顔を描くよ。
妻)ひゃあ、筆が冷たい。
妻)じゃあ、ちょっと抱っこしてみるね。
夫)どう? びっくりしてるかな。
妻)だめみたい。この子にとっては一番安心できる場所なんだね。ほら、口の周りが真っ黒になっちゃった。
夫)ほんとだ。あーあ、鼻まで真っ黒。
妻)ねえ、明日はお酢を塗ってみようかな。
夫)そこまでしなくても……。
妻)でも、育休も終わるしね。一歳になるってことは、そういうことなんだよね。少し、寂しいけど。
夫)そうだね。今夜は、この真っ黒な顔のまま、たっぷり甘えるか。
一歳へ裸の乳に文字を描く 宮崎義雄
香天集8月9日 宮崎義雄、三好つや子、佐藤諒子、佐藤静香ほか
2026年8月2日日曜日
香天集8月2日 渡邉美保、玉記玉、中嶋飛鳥、辻井こうめ他
2026年7月26日日曜日
耳朶を嬉しがらせる夏帽子 柏原 玄
〈俳句物語〉 岡田耕治
耳朶を嬉しがらせる夏帽子 柏原 玄
妻を亡くして八年が過ぎた。何処へ行くにもいつも一緒だったから、別れた直後は「なぜ自分だけが残されたのか」という深い脱力感に苛まれたものだ。一周忌を過ぎ、「いつまでも沈んでいては妻が心配する」と自分に言い聞かせ、これからの人生を模索してきた。とはいえ、ふとした瞬間に、共有相手のいない孤独が胸を突くことは今も変わらない。
二人で出掛けた先の思い出が蘇ったり、耳許で囁く妻の声が聞こえたりするたび、今も静かな切なさが胸をかすめる。けれど、七回忌を過ぎた頃からだろうか、妻は「失われた人」から、私の中でいつまでも生き続ける「かけがえのない存在」へと、静かに姿を変えたように思う。
今日の猛暑の中、友人からカラオケに誘われた。若い頃は妻の装いに合わせてシャツやジャケットを選び直し、お洒落を楽しんだものだが、今ではお気に入りを丁寧に着回すようになった。髪が薄くなり、日除けのために被り始めた帽子も、今や隠すためではなく、自分を整えるための相棒だ。この帽子を被る時、かつての喪失感とは違う、新しい誇りのようなものが宿るのも、七回忌を過ぎた頃からだ。
今日選んだのは、つばが控えめなストローハット。被った瞬間、庇(ひさし)が作る日陰が耳元までスッと広がる。帽子の編み目から抜ける微かな風が、ふと私の耳朶(みみたぶ)をかすめていく。
「お父さん、今日の帽子、似合ってるわよ」
まるで妻が隣で微笑んでいるかのようなその声を聞きながら、私は少し背筋を伸ばし、駅へと続く道を歩き出した。
香天集7月26日 柏原玄、夏礼子、平木桂、春田真理子ほか
2026年7月19日日曜日
塩舐める牛と目が合う炎天下 三好広一郎
〈俳句物語〉 岡田耕治
塩舐める牛と目が合う炎天下 三好広一郎
毎年夏、大阪から高速バスに揺られ、淡路島の祖父の家へと向かう。バスを降り、島特有の風に混じる微かな牛の匂いを嗅ぐと、ぼくの夏が始まる。祖父が育てているのは、ブランド和牛の素牛となる但馬牛だ。
大学受験を控えたこの夏、午前中は牧場を手伝い、午後からは涼しい部屋で机に向かう。それが親と交わした約束だった。朝七時、祖父は牛たちの健やかな成長を願い、黙々と糞尿をかき出し、新しい藁を敷き詰める。私もそれにならい、水飲み場を磨き上げ、祖父が配合したエサを運ぶ。その傍らには"鉱塩"と呼ばれる大きな塩の塊を添える。牛たちは自身の体調や暑さに合わせ、必要な分だけを自らの意思で舐めとるのだという。
"足りないやつが、足りない時に、好きなだけ舐める"。祖父の言葉通り、エサを食べ終えた牛たちがザラザラとした大きな舌で鉱塩を舐めている。その時、ふと一頭の牛と目が合った。哲学的で、潤んでいて、それでいてはげしいまでの生命力を宿した瞳。その眼差しは、猛暑の中で祖父と働くぼくに、"お前がいてくれるから、じいさんの寿命も少し延びるよ"と語りかけているように感じられた。
外は午前中だというのに気温はぐんぐんと上昇し、三十度を軽々と超えていく。温暖化による猛暑と高騰するエサ代。祖父と祖母は、どこへ出かけることもなく、ただここで牛たちと向き合い続けている。あの一途な瞳で見つめ返されたのは、そんな二人の苦労と営みを、牛たちは一番近くで見守ってきたからにちがいない。
香天集7月19日 三好広一郎、谷川すみれ、柴田亨、湯屋ゆうや他
2026年7月12日日曜日
月明の母より長く踊るなり 曾根 毅
〈俳句物語〉岡田耕治
月明の母より長く踊るなり 曾根毅 句集『十翼』より
盆踊りの喧騒の中、母が踊りの輪へと僕の手を引いた。母の浴衣は涼しげな藍色に白の小紋柄。帯は赤く、白の髪飾りがアクセントになっている。台所で使い古したベージュのエプロンをつけ、髪を適当に束ねては洗剤やだしの匂いを漂わせている、そんな日常の母とは違う姿だ。
気乗りはしなかったが、母の浴衣姿とふわりと鼻をかすめた化粧品の匂いに促され、ぎこちなく踊りの輪へ加わる。母の背中を追い、「右足、左足、下がる、進む」という声に合わせ、僕の体も次第にリズムを刻み始めた。
「母さんは先に帰るよ」
肩を叩かれて振り返ると、母の後ろに大きな月がかかっていた。一際明るいのは、この月のせいかもしれない。母の柔らかな表情を見ながら、「ああ、もう少し踊ってから帰る」と僕は答えた。
しばらくして、母が抜けたスペースに、一人の若い女性が滑り込んできた。落ち着いた深い紺地の浴衣には、大輪の花があしらわれている。提灯の明かりを吸い込んで金色に光る帯が、彼女の佇まいを引き締めていた。まとめられた髪から下がる紫の髪飾りが夜風に揺れるたび、周囲の空気が清められるようだ。
彼女の軽やかな足さばきと、指先まで意志の宿るような所作。僕は無意識のうちに、彼女の背中をなぞるように踊り続けていた。楽しげに、けれどどこか哀しみを湛えたその横顔は、踊りの輪にありながら、彼女の周りだけが別のカプセルのように静まり返っていた。
夜の十時を過ぎ、輪は小さくなった。それでも熱気は冷めやらない。僕の体はいつしか意識を超え、太鼓のリズムそのものになっていた。彼女もまた、休むことなく踊り続けている。初めに見たときよりも、少しだけ浴衣の襟元がゆるんでいるように見えた。
翌朝、青年団の手伝いで提灯を畳んだが、そこにはもう彼女の姿はなかった。小さな町のこと、いつかまたどこかで会えると思ったが、まだ一度も顔を合わせたことはない。九月になっても、僕は時折あの月夜の踊りを思い出している。
