2021年9月26日日曜日

香天集9月26日 谷川すみれ、渡邉美保、中嶋飛鳥、砂山恵子ほか

香天集9月26日 岡田耕治 選

谷川すみれ
臨月を迎えていたる水仙花
ゆくりなく焚火に浮かぶ眼かな
東京の雪女から招かるる
昨日とは違うこころの室の花

渡邉美保
トンネルを抜ければ秋の波がしら
澄む水に水底の石揺れてゐる
丹田に力いれよと力芝
秋暑し本棚にある「箱男」

中嶋飛鳥
だんまりの少年と見る羽抜鷄
諤諤の一役担うきらら虫
原罪と別にりんごをまる齧る
茗荷の子杖を忘れて戻りおり

砂山恵子
秋の風バイクのパンク直りけり
国ひとつ敗れ糸瓜の落ちてくる
栗はじけ宇宙戦争近づきぬ
どう見ても中学生の秋日傘

古澤かおる
縁側に転がる我とカリンの実
長月や茶室の屋根は雨の色
鮭を焼き夢の不思議を失えり
小鳥来る甘味の欲しくなる午後に

嶋田 静
夕暮のつくつくぼうし練習中
台風の手先ヨシキリザメの来る
アキアカネ舞う四万十の空のあり
いちじくの弾けて南十字星

安部礼子
左肩色なき風に腫らしけり
コミュニティも二人称もない無月
わたくしの融点を越え星月夜
相思相愛鬼灯は真球に

藪内静枝
壺からの風の生まれる薄かな
露草の朝瑠璃いろを秘めてあり
蜩の声を残せる夕べかな
小紫ふっと膨らむ沢桔梗
*大阪教育大学天王寺キャンパスにて
 

2021年9月24日金曜日

直感に戻っていたり鬼やんま  耕治

桑本 栄太郎
 とんぼでも、鬼やんまは赤とんぼのように群れることはなく、大概一匹での行動ですね。ふと気づけば直ぐ頭上に居り、翅音まで聞こえこちらを観察しているように思う事があります。このように鬼やんまは、人間にとても興味を抱くようです。その出会いの光景は、鬼やんまも人間も直観的なようですね!

大津留 直
 鬼やんまは、竹の添え木の先などに、ことによったら、何十分もじっと動かないことがあるかと思えば、いつの間にか、いなくなってしまう。作者は、そのタイミングは何によって決まるのだろうと、ふと考えたのだろう。そして、あのようにじっとしている間には、いろいろ考えるのであろうが、結局は、直感に戻って、飛び立ちたいときに、飛び立つのだろうと考えたのだろう。現在のような情報過多の時代にあって、子供たちが、最終的には自分の行動を、直感に戻って選択するスキルをどうにか身につけてほしいと願っている。

仲 寒蝉
 この直感は鬼やんまのものでもあり、作者のものでもあるのだろう。彼の飛ぶ時、静止する時は直感に頼っている。同じように彼に対する時の我もまた直感で以て臨んでいる、というのであろう。

 

2021年9月23日木曜日

考える力を集め実南天  耕治

 
十河 智
 子どもたちの学習にみんなでやる班で調べることをしているのではないかと。結果発表まで協議で決めます。わたしたちの仕事でも、データから意見をひきだすとき、研修などで集団でまとめるという手法をやります。独りよがりではなく、職業的に共通の認識を培い結論に辿り着く自信につながるのです。
 そういうことを授業でやる頃、実南天の赤い実が、相談しているように窓越しに見えているのです。

野島 正則
 南天は、「難を転ずる」に通じることから縁起木として珍重され、江戸時代になると火災除けとしても、さらに魔除けとしても多くの家に植えられたという。私の家でも鬼門に植えるなど、その家独特の言い伝えなどあるのだと思います。こんなことをいろいろ考えさせられる木なのでしょうね。

大津留 直
 教育においても、学習においても、とにもかくにも、自分で考え、自分で考えさせることが最も重要。しかし、そう考えていると、しばしば、何が何だか分からなくなることがあるものだ。そんなとき、ふと、目に入ったもの、例えば、実南天が、そんなものだよと言って、まさに、「難を転じて」くれるものだ。

2021年9月19日日曜日

香天集9月19日 石井冴、安田中彦、三好広一郎ほか

香天集9月19日 岡田耕治 選

石井 冴
裏側から表へ抜けて蚊遣香
ポケットがふくらむばかり秋の空  
信号を信じていたり神の鹿
虫集く男に残す腕時計

安田中彦
ふいに立つ子規忌の風や喉仏
龍淵に潜む赤子の腹大事
衰ふる地球に案山子深く刺す
かなしみは九月の朝のやうにくる

三好広一郎
人知れず月光を吐く摩崖仏
滅びゆく朝の調べや葛の花
名画座へ行くまでの道夜這星
空を容れず人を容れずプール死す

加地弘子
子らによく聞こえ櫟の実の降れり
天上の風の光りて竹の春
バス通う道なりに行く竹の春
ブライダルベールを這わせ草の花

木村博昭
底紅や隣家に若き声戻り
車前草の花踏まれては立ち上がり
戒厳下アバターたちの月の宴
白秋のわが骨格に出合いけり

神谷曜子
秋日和飛行機雲を子に教え
水蜜桃病みし記憶のよみがえり
一人かと聞く背高泡立草
二学期の固き椅子なり雲速し

宮下揺子
体温を測る習慣百日紅
老人の気骨八月十五日
風に沿う日々ののうぜんかずらかな
川に沿う足のもたつき半夏雨

永田 文
一群となりてすがしき韮の花
爽やかや先生と呼ぶ声のして
近づくや茗荷の花のそこここに
四つ切で売られ冬瓜まだ大き
*岬町小島にて。

待つことの手がかりとして赤蜻蛉  耕治

 
桑本 栄太郎
 待ち合わせ場所での、時間待ちでしょうか?ふと見上げれば赤蜻蛉が集いつつあり、その数を数えながら待つ事にしました。爽やかな秋には「待つこと」も満更ではありませんね。

大津留 直
 待ち合わせをして、時間が来ても待ち人が姿を見せない、その状況を「待つことの手がかり」という措辞で一挙に思い浮かばせる技量に驚く。そのような時、人は、その待ち合わせの場所と時間が正しかったかと、きょろきょろ見回してしまうものである。そのとき、ふと、その待ち合わせをしたとき、「あそこは赤蜻蛉がたくさん飛んでいる」と相手が言っていたことを思い出して、それを手がかりとして、もうしばらく待つことにしたのである。作者の泰然とした人柄を思わせる句である。

仲 寒蝉
 「手がかり」という措辞の発見が素晴らしい。さらっと詠んでいらっしゃるけど、なかなかこうは詠めません。

目黒 航
 なんなんだ‼️
なんなんですかねー(笑)
赤トンボを見ると喜怒哀楽、その時の感情湧いて来ますが。
待つ、言う行為は初めての想起です。
 でも、、
そうかもしれません。何かを待っていた自分がいたことに、先生の句を詠んで思いだしました。
俳句って先生の句のように、「そうだったよな❗️」
って思わせる日本語のレトリックですよね

十河 智
 この句を読んで思い出す場所がありました。
 京都植物園の駐車場から入り口への広い木陰。赤とんぼが当たってくるぐらい群れ飛んでいました。少し端っこで、車を止めて出てくる主人を待つ間、赤とんぼの動きを飽かず眺めていました。先に行っても良かったのですが。
 この頃はスマホもあり、待合せ場所を予め決めないことも多い。赤とんぼに目を奪われることで足がとまる。ここで待とうかと思う。そういう流れなのでしょうか。

2021年9月12日日曜日

香天集9月12日 柴田亨、三好つや子、宮下揺子、堀川比呂志ほか

香天集9月12日 岡田耕治 選

柴田亨
泥濘がそれぞれ掴み秋の空
食卓にシャガールの空黒葡萄
何処へと問うクマゼミの路上かな
寄る辺なきものらといたり涼新た

三好つや子
少年にたてがみの日々夏山河
短夜の夢に忘れる桃の種
妄想を宿しておりぬ金魚鉢
人肌にもどる鉄棒夜の秋

宮下揺子
緑陰に人の集まり独りなり
夏の月なかなか効かぬ入眠剤
「じゃあ、また」が永遠の別れよ仏桑花
掛け声を自分にかける残暑かな

堀川比呂志
水打てば水ひかりたる点字版
風薫るひとりがいればひとりの日
切れ切れにごめんごめんと盆太鼓
見えるとは見えないことと百日紅

牧内登志雄
月明の影踏み遊ぶ女下駄
桃食らふ思ひのほかに硬き尻
流れ星つなぎて綴るラブレター
三日月や二十歳の愛の形して

岡田ヨシ子
汗の身に浮かべて来たる句を書けり
顔を見ず交わすひと言秋簾
赤蜻蛉シルバーカーを鳴らしゆく
ガラス戸に替えて障子を入れる老い
*大阪教育大学柏原キャンパスにて。

2021年9月10日金曜日

邯鄲や忘れんとして書き残し  耕治

 
大津留 直
 様々な解釈が可能であり、読者の想像を駆り立てる句であるが、先ずは基本的な事柄から。「邯鄲」とはルルルルと美しく鳴くコオロギ科の昆虫であるが、「邯鄲」とは中国の地名であり、その地名に因む「邯鄲の夢」という有名な逸話が残っている。ある若者が邯鄲の宿で借りた枕で寝ると、皇帝になり五十年の栄華を経験する夢を見るが、夢から醒めてみると、それは一瞬のうたた寝に過ぎなかったという逸話である。作者は、おそらく、何故この逸話が残ったのかとふと思ったのだろう。そして、このような、人生の儚さ・虚しさばかりを示唆する夢など早く忘れてしまいたい、という思いから書き残されたのではないかと、邯鄲の声を聴きながらふと思ったのだ。そこには、忘れるために書き残したこの逸話がこのように世界的に有名になるという歴史の皮肉に対する驚きがある。

十河 智
 皆さんの鑑賞を読んで、この一句には、想起される物語がいくつもあるのだなあと、先生の句の奥深さのようなものを改めて感じました。
 今年は雨が今も激しく降るように、驟雨豪雨が続いたせいか、虫がまだ鳴かないのですが、いつもだと、邯鄲の鳴く頃で、決まった片隅があるのです。しばし佇み、聞き惚れてしまいます。この句は、そんな邯鄲を聞いたという感動を句に残すこと、そのものではないかと思ったのですが。
 最近の気候変動は虫の世界にも影響が大きいようで、今年鳴かないと、未来永劫鳴かずということもあり、人の常として忘れてしまうだろう。この感動は今書き残しておく。

2021年9月8日水曜日

それぞれの皿をはみ出る秋刀魚かな  耕治

 
柳堀 悦子
 家族団欒の秋刀魚
 誰のが大きいのか子どもたちの見比べる姿も見えるようです^_^

桑本 栄太郎
 家族皆の皿を飛び出す立派な秋刀魚が想われます! 先日の初水揚げのニュースでは、秋刀魚はすでに超高級魚となり、一匹が3500円もするそうです。今年の目黒の秋刀魚は「お殿様のみ」が食べる事が出来そうですね。

牧内 登志雄
 お皿にはみ出す新秋刀魚、「皿をはみ出る」に主体的な秋刀魚の意志がありますね。焼かれてなお、自分を主張している秋刀魚です。

仲 寒蝉
 正しい日本の家庭の光景ですね。今はもうなかなか見られません。

2021年9月7日火曜日

空白を破る大きな花火待つ  耕治

 
野島 正則
 花火大会では、花火が次々と休み無く上がったかと思うと、しばらく間が空くことがある。こうした時は、三尺玉のように、大きな花火が上がるとき。花火を待つ間の闇、静寂。期待と緊張の一瞬でしょうね。

大津留 直
 日本文化において、「間」や「余白」「余韻」が決定的な要素であることを改めて考えさせられる御句です。俳句・短歌においても、そのことをもう一度、考えてみたいと思います。この句において、決定的なのは、何と言っても「破る」という措辞であり、それが、それまでの静寂と闇を、そこに上がった大きな花火の見事さと同時に、読者に感じさせてくれているのだと思います。

十河 智
 大仕掛けの花火、今はコンピュータ制御、とはいえ、火が付き打ち上がるまでの間は必ずあるものです。打ち上がってゆく細い軌跡、それもここで言う、空白、なのでしょう。みんな知っています。大音響がこの空白を破り、人も花火に一つ遅れて「うわあ~」と歓声。あの瞬間がいいですよね。

香天集9月5日 玉記玉、夏礼子、渡邉美保、久堀博美ほか

香天集9月5日 岡田耕治 選

玉記玉
すれ違う瞳は露草のブルー
オルガンとなりたくて行く薄原
玉黍の月を充填する頃か
夏惜しむフォスターを吹く唇も

夏 礼子
草いきれ背中に何か貼りつきぬ
夜の秋ベビーカステラ匂いくる
指揮官はこの木のあたりつくつくし
秋の空今日からできること探す

渡邉美保
背開きの魚干す母の晩夏かな
夜の秋キウイの種を噛みあてて
白桃のきれいに剥けてすぐ錆びて
鰡飛ぶや突堤までも犬を連れ

久堀博美
糸くずのような雲浮く花カンナ
素描画の馬の眼に秋宿る
残照を余さず畳み花木槿
箱詰めの花野のひかり届きけり

辻井こうめ
干物焼く匂ひのまぎる大暑かな
炎天のスケートボードの快感
君付けに呼びし人逝く夏の果
生命線伸びよと描く百日紅

前塚かいち
さびしさをマスクに包み雲の峰
機嫌よく老いてゆくなり酔芙蓉
迷いある喉を越したり冷素麵
八月の悲鳴となりぬ腰の骨

浅海紀代子
青田風招き入れたる記憶あり
夏草の好き放題を許しけり
汗を拭き営業マンの顔になる
いつ来ても施錠せぬ家百日草

河野宗子
バラ香る根元二本の草を引き
百日紅友の言葉を保ちおり
雷鳴の鳴り止まぬ夜を捜しけり
力入れ蚊を落としたり君が腕

楽沙千子
こおろぎや人の気配を察知して
飽食に不足のなくて稲の花
校門を走り出したり日雷
父の彫る菩薩奉納魂祭

田中仁美
スマートフォン打ち上げ花火拡散す
水を出てパンを欲しがる亀の子よ
蝉しぐれ時の止まりし同窓生
扇風機顔を近づけ声変わる

垣内孝雄
夜の秋線香ともる仏の間
この路地の奥に見え出しカンナの緋
ふくよかな牛の乳房よ秋の蝶
案内せる母鎌倉の秋のこゑ
*大阪教育大学柏原キャンパスにて

2021年9月4日土曜日

虫の宿ひとりの空を授かりぬ  耕治

 
桑本 栄太郎
 旅先の宿に於いて、虫の音を聞きながら夜空の星を独りで眺めているのでしょうか?自分独りの夜空は、美しくても少しもの悲しいものですね!遠い昔の布施明の歌「♫星~空に~両手を上~げて~こ~の指を~星で飾~ろうよ~!(^^♪」を想い出し、遠い青春時代を懐かしく想います。

十河 智
 虫の宿をどう取るかで、少し悩みました。ひとりの空が、どうも明るく広々とした秋の空のイメージなのです。それで、宿とは住処ほどの意味に取り、一歩進めばコオロギバッタが飛んで出る草原に立つ作者を想像しました。たまたま周辺には誰もいない。これはラッキー、独り占めの秋の空。

大津留 直
 おそらく、出張で朝から大勢の人と言葉を交わし、疲れ果てて、やっと宿にたどり着いたところなのだろう。やっとひとりになれた安堵感が「ひとりの空を授かりぬ」に出ていると思う。その宿に啼いている虫に向かって、「そうか、お前もここで、ひとりの空を授かったのか」と話しかけているのかもしれない。

2021年9月3日金曜日

星明りアンバランスになってくる  耕治

 
桑本 栄太郎
 6月21日の夏至を過ぎ2ヶ月以上も経てば、すっかり朝が遅くなり日も短くなって来ましたね。又秋の長雨も漸く終わり、日によって夜空の星の輝きが増して来ました。

大関博美
 どんな星明りのしたにいるのか。明かりと言える位だから、側にいる人の顔の目鼻立ちが見える位なのか。今年は雨続きで、流星を見られなかったけど、気候も安定して来ると、星明りを見ることもできましょうか。
 さて、アンバランスになるのは? 気持? 体? あるき方? お酒?
星明りをつまみにベランダでお酒を愉しむ。一日の疲れも解れ何だか、星の世界も体もほろ酔いで、アンバランスに。

野島 正則
 星明かり、ここで切れがあるのでしょうね。しかし読み方によって、一句一章にも、二句一章にも感じられますね。地球届く真っ直ぐな光の星明かり。一方、地球上のあれやこれ、こらがアンバランスというように、感じました。

2021年9月2日木曜日

レモン持つ人が話してゆくルール  耕治

 
大津留 直
 子供会の一場面を思い浮かべた。とにかく、子供は、このようなルールを作って楽しむのが上手い。何でもゲームに取り入れて楽しんでいる。私たちは、皆、身体が不自由であったが、私たちに合ったルールを作って、野球を楽しんだものだ。この句の場合は、誰かが持っていたレモンを順に手渡していって、それを、持った人が話すというルールを作って、子供会を進めていったのだろう。その盛り上がりが想像されて、楽しい。

野島 正則
 わいわいがやがや、サークル活動のよう。こんな日が早く戻ってきて欲しいですね。

目黒 航
 レモンは、梶井基次郎の作品もあり、生と言うイメージがありますね。

2021年9月1日水曜日

月光を忍ばせている涙かな  耕治

 
十河 智
 切ないです。今だと、世の色々な出来事にも溢れんばかりの感情が込み上げてきて、ふと見上げた月の光の包み込むように身に染み込んでいく。たまった涙が明るく輝き、月光を忍ばせていることが見える。切ないけれど、元気にもなれた。

大津留 直
 おそらく、この涙は、恋人か妻の涙だと思う。作者は、その涙がなぜこのように美しいのかと思う。それは、その涙が月光を忍ばせているからなのだと思い、この句になったのだろう。おそらく、それは、一緒に月を見ていた時のことだったのかもしれない。しかし、そうではないのかもしれない。その時の何気ない会話が聞こえて来るようだ。というのは、「忍ばす」には、隠し持っている、という意味があるからである。

仲 寒蝉
 月の光が涙に射しているということをかくも美しく表現されました。