2021年8月31日火曜日

休暇果つ朝礼台を引きずり出し  耕治

岡田 登貴
「ひきずり出し」がいいですね。先生方の汗が見えてくるようです。同時に二学期への心意気も湧き出すのでしょう。

十河 智
 朝礼台、休み中はどこかへしまわれるものなのですか。
生徒として、父兄としては、休み中の朝礼台のことに関心がなく、そうなんだ、と少しびっくり。引きずり出す、が面白いです。児童生徒も引きずり出されて並んでいるのかも。
 朝礼台で、校長先生が挨拶をし、学期が始まる。学校に通って、わいわいがやがややりながら勉強という普通のことができない今の子どもたち、どう成長していくのでしょう。心配です。先生方もいろいろ工夫なさっているのでしょうけれど。

井谷信彦
 字余りの音の連なりに、休み明けの体の重さや、校庭の砂埃が思われて、たいへん感銘を受けました。

 

2021年8月29日日曜日

香天集8月29日 森谷一成、砂山恵子、中濱信子、釜田きよ子ほか

香天集8月29日 岡田耕治 選

森谷一成
水黽の陰に固まる暑さかな
睡蓮を掠めて渉る風が欲し
ながむしの舌先岐れ爆心地
青蜥蜴丸太を捲いて罷りけり

砂山恵子
涼新た山見る時も見ぬ時も
身に残る宇宙を胸にぶどう喰む
髪洗ふ泡に過ぎたる笑み残し
店の隅占め群になるところてん

中濱信子(8月)
朝顔や口腔の中見ておりぬ
二人いて一人不機嫌吾亦紅
吾亦紅夕空残るひとところ
蜩や太く切りゆくカレーの具

釜田きよ子
箸二本使う一生冷奴
西瓜に塩今は塩分控えめに
プライドの塊にして百合開く
朝顔の登りつめれば天のもの

中濱信子(7月)
十薬やこの地に住んで五十年
青田風休耕田を素通りす
新緑や名もなき山を大きくす
ワクチンの話かしまし百日紅

北村和美
25時の足音のこし天の川
星月夜君と半径ニメートル
伝言は指と指の輪敗戦日
シャーベットかわりばんこの匙ひとつ

古澤かおる
片かげり生姜こぼれる焼きそばパン
地蔵盆お菓子をもらうお胎の児
何回も同じメモ書き汗の腕
八月に餅焼けと言う恋人よ

嶋田 静
底紅や電話の声の表まで
陽に透けし翅やわらかくなるとんぼ
縞模様くっきりしたる西瓜かな
あの雲に蜜をかけんとかき氷

松田和子
蝉の殻早う早うとせかされて
輪をひろげ最大となる盆踊
白桃の赤児の肌のうぶ毛かな
大文字薪ならべゆく男衆

藪内静枝
うれしさよ蜻蛉が墓の前でまつ
掛け替えしのれんの藍に涼新た
絣着る涼しそうねと男の子
鳳仙花古き屋並の変わり目に

吉丸房江
太陽のパワーを集め唐辛子
秋雨にぐんと伸びたる草のあり
見つけたる初こおろぎの八十路かな
亡き友の祈りのかたち秋の蝶

永田 文
みちのくの音を響かせ鉄風鈴
新涼やシャッターの錆こそげたる
砂糖水まぜればけむる遠き日よ
朝顔の色を解きたるあかときに
*大阪教育大学柏原キャンパスにて。

2021年8月28日土曜日

動画講義「中学校3年生の俳句」

↓動画講義「中学校3年生の俳句」(11分)
 大阪府内のある中学校3年生の俳句を選句する機会をいただきました。100句ほどの作品から6句を選び、鑑賞しています。生徒さんは、2学期早々、この動画を視聴し、よろこんでくれたとのことです。ありがとうございます。

虫の声ここから海の澄みゆけり  耕治

 
大関博美
 草やかや藪の茂る山道を虫の声を聞きながら、小一時間ほど歩くと、眺望の開けた草地が広がる。その向こうは海だ。今日の海は穏やかに澄んでいる。
 平和ということのひとつは、このような美しい自然を享受することに、あるのでは無いかと思う。私は与謝野晶子ファミリーが夏に逗留したという、千葉県勝浦市の理想郷から、太平洋の眺望を想像している。

仲 寒蝉
 海に近い集落の虫の声ですね。海を汚すのは人間、澄ませるのは虫の声。

大津留 直
 「海の澄みゆけり」に私は、現在の混乱・逼迫した状況に対する祈りの声を聴きます。コロナをめぐる状況にしても、アフガニスタンをめぐる状況にしても、本当に心が痛むことばかりですが、その中にあって、「ここから海の澄みゆけり」と詠う俳人の覚悟を感じ取ります。その海辺にすだく虫の声になりきる覚悟。私も同じ思いです。

筆箱を開き色なき風を待つ  耕治

 
大津留 直
 私はふと、大学か高校の受験生が、筆箱を開けて、解答用紙が回って来るのを待っている景を思い描きました。その火照った頬は、それを少し冷やしてくれる風が、開けっ放しの窓から吹いてくるのを待っているのだと思います。そんな時代が自分にもあったことをふと思い出させてくれる句です。

野島 正則
「物思へば色なき風もなかりけり身にしむ秋の心ならひに」の歌にもとづくというこの季語。中国の五行思想から、春は青、夏は赤、冬は黒。秋は白だという。何ものにも染まっていない、白紙の状態は、やはり、これから試験の問題解答をかこうとしているように感じました。

仲 寒蝉
 色なき風、けっこう使うのが難しい季語ですよね。この句はすうっと入ってくる感じで、実に色なき風の本意にもピッタリな気がしました。

2021年8月27日金曜日

つくつくし分からなくなること増やし  耕治

桑本 栄太郎
 熊蝉の鳴き声の勢いが弱くなり、法師蝉が鳴き始めました。しかし、今年の秋は長雨の為でしょうか? 全体に勢いがないようです。このコロナ禍の現代のよう情報過多の為、混沌として居り分からない事ばかりですね!

十河 智
 まだつくつくぼうし聞きません。セミの季節の最後の最後ですね。
 蝉で最近思うことがあります。まず熊蝉が近畿でも普通になったこと。ミンミンゼミ、アブラゼミをめっきり聞かなくなったこと。今年は、雨の涼しさのせいか、蜩が早く鳴いたこと。セミの鳴き順など、昔ながらのところが、近年、でたらめになってきて、おかしくなっています。「わからなくなること」の一つです。
 夏になると、蝉の声をきくと、それだけでも、国土に、地球に何かが起きているなと感じてしまいます。

仲 寒蝉
 梶井の「城のある町にて」にも出て来る法師蝉ですが、あのフーガのような声を聴いていると正に考えが堂々巡りして分からなくなるような気が。

 

2021年8月23日月曜日

桐一葉何を書かないかを決める  耕治

 
牧内 登志雄
 日本列島が豪雨と冷たい秋の風に包まれた八月十五日に「桐一葉」の句。大戦で亡くなった方への鎮魂の一葉だろうか、混沌とした社会への不安との決別の一葉だろうか。書かないことを決め自らの心を整理し、筆を持つ。だからこそ、書かれる文字に心がこもり、読む人の心を打つ。

仲 寒蝉
 ああ、これが俳句の極意ですね!

十河 智
「何を書かないかを決める」
 およそ私のやってきた言葉の扱い方からは、想像がつかないこと。
 言葉は伝えるためにあり、わかりやすくきちんと伝わるように表現する。何を書くかを決めながら文章を書いてきた。相手を見つめその人に必要な言葉を選んで書いた。1つある全体の、白い部分か斜線部分かなのであろうが、その姿勢から生まれるものはかなり違うと、俳句をやって、わかりかけている。私の欠けている詩情というものと関係ある気がしている。

大関博美
 「桐一葉」という季題はとても苦手で、何を詠んで良いかわからない、グーの音も出ない。季題に向う時、季語の力を信じて活かす、説明しない、手垢のついたことばは使わないなどの鉄則がある。これを心がけるのは難しいのだが、とても大切。 饒舌は禁。沈黙は金なのだろう。「何を書かないのかを決める」も、俳句を詠む時の大切なポイントとして、心がける様にします。

2021年8月22日日曜日

香天集8月22日 安田中彦、玉記玉、加地弘子、木村博昭ほか

香天集8月22日 岡田耕治 選

安田中彦
ピアニストの背中がら空き原爆忌
俎板に尾鰭背鰭や原爆忌
エッシャーの水は巡れりヒロシマ忌
空蟬の八月十五日の平伏

玉記 玉
マンモグラフィーって甘い響ね掻氷    
楊梅の落ちる心配ちょっと好き
湖に空貼りつく硯洗かな
かき混ぜて島が生まれる猿酒

加地弘子
アスパラの起きあがろうと湾曲す
水馬はらりと元の位置に来る
向日葵や戻って来るという涙
五時間の長寿を保つ月下美人

木村博昭
水音と風音ばかり岩魚釣
そのままに遺品の銛と箱眼鏡
如何ともならず蜈蚣として進む
腹減るは嬉しきことよ老いの夏

小島 守
壁を塗るブルーシートの秋暑し
秋湿り彼方まで海濁りたる
生身霊紙のコップを並べけり
捨てること怖れていたる銀河かな
*大阪教育大学天王寺キャンパスにて。


2021年8月20日金曜日

飛ぶ距離を見通している飛蝗かな  耕治

 
桑本 栄太郎
 先日、川べりの地道を散策していましたら飛蝗が飛び出し、小生の足下を前へ前へと測ったように跳んで行きました。このコロナ禍の今の世では、飛蝗さえディスタンの距離を見通して跳んでいるようですね!

十河 智
 飛蝗、溜めて溜めて、跳びますね。そこのところが、どんなに大きく飛んでも、「距離を見通している」、力の範囲内と映りますね。
 もう終わりましたが、オリンピックで跳躍の競技を見ているときのことを思い出すと、同じようでも、選手はぎりぎり見越せる以上の跳躍を力の限り飛んでいたのですね。この句。そんなこととは全く関係ないのでしょうけれど、私の考えもかなり飛躍してしまいました。

大津留 直
 私の子供の頃の経験から、この通りだと思う。その頃住んでいた東京でもバッタがたくさんいてよく遊んだものである。私が近づくと警戒して逃げるのだが、そんなに遠くへは飛ばない。せいぜい五メートルくらいだと思う。それで、また近づくと、また、同じくらいの距離を飛んで逃げる。その経験から、この句を拝読して、まさに、その通りだと思った次第です。

2021年8月19日木曜日

潮騒や踊り口説きを浮かべたる  耕治

 
柳堀悦子
 海辺の町の盆踊りは風景でしょうか 踊りの輪と海の音 皆が集まりひとつになって踊り楽しんだことが当たり前であった時代を懐かしく思います。

小林千史
 潮騒に浮かぶというのが、不思議さもあり凄く納得もします。眼前の景でありながら時空を超えるものを感じました。

大津留 直
 「踊り口説き」とは、盆踊りで歌われる民謡の中で、歌詞が一連の物語をなしているもののことを指している。したがって、この句は、潮騒を聴いていると、そのような民謡の歌詞が聞こえて来て、まるで、潮騒がそのような物語を浮かべているようだという句意になるようだ。民謡とその場所の自然の密接な関係が思われる。まことに、芸能と自然と人間社会は、われわれが思っている以上に、深く関係し合っており、われわれは、その関係にもう一度立ち返ってみる必要がある。

十河 智
 毎年今の時期には、河内中が、空中を伝播する音頭の波に浮き足立つ。去年も今年も櫓は立たず、音頭を全く聞かなかった。まつりでも祇園祭やだんじりなどは音を出さない形で縮小挙行されるところもあったようだが、音頭は歌あってのもの、踊りながらみんな語りを楽しんでいる。手を打ち、合いの手を入れて一体感が出る。まさに踊り口説き、なのだ。
 この句の情景はどうなんだろうとまた考えた。このあたり(河内全体)では、小さい町内の児童公園から、学校の運動場、河川敷、ありとあらゆるスペースでそれぞれの規模の盆踊りが催される。今年は潮騒しか聞こえない浜辺も、立ってみれば、空気に染み込んだ音頭が聞こえてくるようで、波の寄せ返す動きもリズムに乗った足さばきのように思える。自分の足も踊りだしそうだ。

2021年8月15日日曜日

香天集8月15日 石井冴、三好広一郎、神谷曜子ほか

香天集8月15日 岡田耕治 選

石井 冴
雲下りてひとり遊びの源五郎
明暗のどちらも愉快蝉の穴
揚羽蝶押入れを空っぽにする
校長と居残っている羽抜鶏

三好広一郎
臍の緒を置き去りにして蝉時雨
ソーダ水プラネタリウムの残像か
ラムネ振るキャッチャーフライの泡の形
田水沸く関係者のみ無観客

神谷曜子
鶴を折るこの指太し終戦日
夏シャツに残りし昨日手洗いす
雨上がる水の匂の花ふくべ
夏の雲悪だくみして立ち上がる

垣内孝雄
落蝉のしまし動きぬ足三つ
額に入る虚子の短冊秋入日
さも翔びたたん八月の千羽鶴
つきだしの枝豆にじむ塩加減

光太郎
脚本は誰が書いたの走馬燈
「運命」の八月に入るオーケストラ
夏痩を知らぬ女将の笑顔かな
井戸水をたっぷりかけて洗い飯

岡田ヨシ子
トマトから炒め新調フライパン
長寿へと秋の弁当届きけり
書き留める前に消えゆく鰻丼
三人の曽孫を待ちて盆用意
*大阪教育大学柏原キャンパスにて。

2021年8月13日金曜日

蚊はきっとにぎり拳の中に在る  耕治

 
桑本 栄太郎
 「ぷ~ん!」という蚊の音に気付き目を向ければ、その姿を認め一瞬反射的に空中の蚊を掴んだと思いました。「さあ~て!このにぎり拳をどう開いたものやら?」と、思案の作者です。日常生活の中でよくある事であり、とても共感致します。

牧内 登志雄
 「きっと」が気持ちの揺れを上手に表現していますね。握ったこの掌の中に「きっと」蚊がいるという確信と不安。そんな心の揺れを「いる」ではなく「在る」と結語することで、蚊という生き物が蚊であったものになる。蚊を捉えたか、その不安が確信に変わった瞬間だ。

仲 寒蝉
 分かります!絶対にやっつけたはず、でもひょっとしたら逃げられたかも、と一抹の不安が。で、なかなか拳を開けないでいる・・・。

2021年8月9日月曜日

伸びるだけ伸ばしておけり青胡瓜  耕治

野島 正則
 実家では、畑などを持っている方が近所にいるので、今日も茄子、胡瓜、トマトなどいただいた。自家用と言うこともあり、句のように大きく育った物でした。

十河 智
 今はもうしていませんが、家でも家庭菜園をやっていました。みなさんと同様、きゅうり、茄子、トマトなどですが、3人家族では、そう毎日胡瓜というわけにもいかず、畑で取り残し、伸びるだけ伸びた胡瓜もあったのです。太さもあって、胡瓜と言えず瓜のように扱ってました。

大津留 直
 ドイツでは、大きく育った胡瓜が売られていてびっくりしたものですが、味は、日本のように、ちいさめのを収穫した方が、引き締まった濃厚な味になるようです。しかし、あちらにも、それは美味しい胡瓜料理があります。例えば、ギリシャ料理で、すりつぶした胡瓜に大蒜とヨーグルト、羊のチーズを混ぜたものなど、殊に夏、ワインと一緒にいただくのがたまらなく美味しかったのを思い出します。

小林千史
 生命謳歌素敵! うちの田舎では昔は生で食べず大きいのを生姜と醤油で炊いてました😋


2021年8月8日日曜日

香天集8月8日 柴田亨、三好つや子、久堀博美、中嶋飛鳥ほか

香天集8月8日 岡田耕治 選

柴田享
列島に二つのひとみ爆心地
見返しは切り取られたり師の句集
秒針の一音高く夏来る
アブラゼミ遺骸を土に置き返す

三好つや子
浮き人形明るいほうにある死角
嚙みますの立札かかる鱧売場
無花果に仮想通貨の匂いあり
青栗のこつんと青い黙秘かな

久堀博美
一瞬の途中は長し星明り
初対面なれど弾めるビールかな
霊迎う終のまなざしまなぶたに
葛咲くやひと世の悔いの残りたる

中嶋飛鳥
朝曇り借り物の杖手に馴染み
山彦のもどるを待ちて汗入れる
待ち受ける肩先かすめ揚羽蝶
父祖の地の数字の桁や秋隣る

牧内登志雄
草臥れし白衣の襟の秋日影
つくづくと男と女カンナ咲く
狐花ここを左に鎮守まで
今生の始末を想い秋の蝉

河野宗子
内面と向きあっており夏の月
捩花ほどよく小花のぼりたる
打水を飛ばして浮かぶ友の顔
息をつぎ鳴いては止まる蝉の声

櫻淵陽子
夏の蝶太陽のまま輝けり
髪ほどき香水少しほのめかす
警戒を解除している夏帽子
天の川余生へ橋をかけており

田中仁美
夏帽子亡き父と行く軽井沢
やぎ二匹夏草食べる散歩かな
紫陽花の前に並びて烏骨鶏
帰りゆく背中に蝉を受けながら
*大阪教育大学柏原キャンパスにて。

2021年8月5日木曜日

弁当の最後に枇杷の黄を詰める  耕治

 
桑本 栄太郎
 美味しそうな弁当とは、見た目にも色彩豊かですね?梅干しの赤、玉子焼きの黄色、ブロッコリーや葡萄も入れて緑、焼肉も入れて茶色などがありそうです。枇杷の黄色とは思いつかない発想ですね!

十河 智
 お弁当、母の時代は、おかずがあれば上等な方で、私の中学高校のときのお弁当は色がなかった。運動会や遠足のときだけ特別、でも色を詰めるというよりご馳走だったので、たまたま卵焼きが黄色、梅干しが赤だったのだ。私が子育ての頃は、幼稚園にもお弁当の日があったり、本やテレビ番組で、色を綺麗に見せるお弁当が流行りだした。林檎を一切れ入れるために買った事もあった。今日は、きゅうりやレタス、緑の野菜が先で、黄色が映えると、丁度いい枇杷を庭から取ってきたのだ。実は食べて味を確かめてはいないかも。ただそこには黄色と決めた、お弁当箱の隅っこのために。

大津留 直
 このような句は、作ろうと思って作れるものではない。まことに、「枇杷」という季語との出会いによって作らせてもらった句なのだろう。ご自分と奥様の日常をよく見ている結果であることも間違いないことである。

2021年8月4日水曜日

涼風に置かれていたるラジオかな  耕治

 
柳堀 悦子
 働くひとのラジオ。耳だけラジオに預け黙々と働くひとの姿が浮かびます。窓際にラジオを置いて美濃焼の窯入れ作業をしていた祖母を思い出しました。

十河 智
 この句のポイントは、「置かれていたる」でしょうか。ただラジオを聞くのであれば、最近はスマホやカーラジオがあり、こうは表現しない気がします。少し音のいい大きさのあるラジオを、日中でも涼しい窓辺か木陰に持ってきて、ゆったり聴くのです。風にのって音が揺らぐのさえ、癒しです。

大関博美
 岡田先生の句は、読む人に自在の想像力を与える。
「涼風に」「置かれている」「ラジオ」情報はそれだけで要らない情報は敢えて加えられていない。だから読む人は、自在に自分の何処でもドアを開いて、このラジオを置くことができる。条件は涼風があることだ。忌野清志郎のように、学校の屋上でも、浜辺やプールサイドなどの木陰でも、畑仕事の花野でも、工事現場の昼休みでも、想像の翼を広げて、読む人自由の物語が、始まる。
 この句を読むたびに、ラジオの置かれる場所も変わる、お伴の飲み物は、さて今日は、アイスコーヒーか、夕涼を楽しみながらのカクテルにしようか、コロナの自粛期間でも、想像の翼を広げるのは、自由なのだ。

2021年8月3日火曜日

蚊遣香揺らぐときくる語りかな  耕治

 
大関博美
 子どもの頃は、田舎のさほど裕福でも無い暮らしだったと思うが、夏は蚊帳を吊って蚊取り線香を焚いて貰って居たように思う。まず二つ一組の蚊取り線香を一つづつにするのが難しい。湿気って無くて、上手く火が点くと先が赤くなった所から、煙がゆらゆら揺れながら、広がっていく。母の昔話が、ときどき深くなる眠気に混じって、遠くにきこえるのである。日中忙しく仕事をして居る親が、側に居てくれる一時。こうやって育んで貰ったのだとしみじみ思う。愛されていました。
 童謡のレコードを聞かせて貰いました。

大津留 直
 この句の要は、実は、「くる」という目立たない措辞だと思います。良寛の詩に、確か、「花開くとき蝶が来る。蝶が来るとき花開く」というのがあって、しびれてしまったことがあります。この詩が、春の陽光の親しさと歓びを的確に表しているように、先生の御句は、夏の夕方の涼しさのほっとさせる親しさと歓びを表しているように思います。

2021年8月2日月曜日

思いきりパイナップルを厚く切る  耕治

 

桑本 栄太郎
 ひと昔前までの子供の頃は、バナナやパイナップルなどは病気にならなければ食べさせて貰えませんでしたね。今ではバナナもパイナップルも廉価で買う事が出来、厚く切って沢山食べれるようになりました。良い時代かも知れません!

大関博美
 パイナップルを買ったのかな〰 頂きものかな〰とにかくパイナップルが家に来た。子ども心に嬉しいのである。今日の夕食のデザートは、パイナップルよ。なんてお母さんが言うから、わくわくして待っていた。
 いよいよお母さんがパイナップルの皮を剥き、みんなに切り分けられる。思いっきり、厚く切られたパイナップル。初めてのパイナップルに感激してしまうのである。

2021年8月1日日曜日

香天集8月1日 浅海紀代子、渡邉美保、森谷一成、前塚かいち他

香天集8月1日 岡田耕治 選

浅海紀代子
昼寝覚変わらぬ部屋の有様に
生ビール泡のふくらむ一日なり
夏帽子いつもの位置で擦れ違い
白木槿近くて遠き家の門

渡邉美保
菓子箱に貝殻並べ夏終る
完熟のパイナップルにある狂気
水底に鉄の艦見ゆ八月は
白日傘方向け小石ひと蹴りす

森谷一成
笹百合の翁は召され二ノ谷へ
六月の鬼哭もれ来る澱みかな
荒梅雨や流刑のごとく竹浸る
曝書さては我が遠き日の髪一本

前塚かいち
夏蝶や老いの冒険始まりぬ
かなぶんのぶんと遊んで家の猫
七月のボーボワールの『老い』下巻
朝顔や今は北向くことにする

北村和美
夏の月リュート爪弾く太き指
向日葵の影になりても頭出し
一年間蝉の抜け殻ここにあり
沈黙の余韻の中のソーダ水

安部礼子
水中花冷めた視線の中に咲く
報われぬことと存じて水中花
戸惑いをかくしているよ竹婦人
人影の消え海岸の砂日傘

小﨑ひろ子
蝉しぐれ君の声ではありません
早起きと寝坊助が居て夏の朝
雷雲のわきて感染症の町
すれ違う夏枯の鉢そのままに

吉丸房江
ワクチンは最後でいいと油蝉
世の騒ぎスイスイスイと糸蜻蛉
逢いたいねただそれだけの夏見舞
海の日のこぶしの動くみどり子よ

藪内静枝
分解のねじ一つあり扇風機
焼き立てのパンを届けて驟雨かな
半夏生母の形見をリメイクす
髪挿のなりに咲き満ち百日紅
*大阪教育大学柏原キャンパスにて。