2021年7月31日土曜日
2021年7月30日金曜日
ぬくもりを泳いでいたる夕べかな 耕治
大津留 直
夕方、泳いでいて、あれ、今日の水は暖かいなと思う。そこから、ああ、自分は、多くの人と自然のぬくもりによって生かされてきたのだ、という感慨がふと湧いてきたのだ。「ぬくもりを泳ぐ」という措辞を、私はそのように読んだ。詩というものは、常に、ある偶然的な出会いから、自分の一生について、ふと思わせられる、そこに生まれるのではないかと思う。大げさに言えば、生の奇跡に対する感謝が感じられる。おそらく、この「ぬくもり」は羊水のそれでもあるのだ。
十河 智
自然な感じたところを句にしてみると、案外微妙な、しかも厳密な季節の移ろいを切り取っていたりする。
水は温まりにくく冷めにくい。「ぬくもりを泳ぐ」というだけで、昼間は自然の暑い陽を照らされた水であること、気温が少し落ち着いた夕方であることが、みんな理解できるのだ。言葉の凄さに身が震える。真夏ではなく、まさに今頃、海ではそろそろ泳ぐなと言われる夏の終り。屋外のプールかもしれない。海かもしれない。遠くから来た客はもういない、地元の人たちのばらばらと来てはひと泳ぎする風景が見える。ふるさとの瀬戸内海でも、娘が一時住んでいた沖縄の海でも、夕方のぬくもりの中で泳ぐ地元の人がいた。ゆったりと楽しそうに泳ぎ込んでいた。
2021年7月27日火曜日
タクシードライバーに先ず暑さ告ぐ 耕治
十河 智
タクシーに乗るまでが大変だったのでしょうね。家とか駅前などの冷房の端っこで、待ってた訳ではなさそうです。暑さで参ってしまって、タクシー乗り場などとても探していられない疲れ様、でも田舎でなくても、流しのタクシーを拾うのはなかなか大変なのです。
やっと乗り込んだタクシーの冷房にほっと一息。反作用で、暑さのことが口をついて出るのです。人に会った、何かを言いたい、伝えたかった一番のことが、自分に襲いかかった「暑さ」だった。案外とみんな経験していて、あんまり俳句にはしない題材。却って新鮮に見えました。
大津留 直
この句の要は、「先ず」という措辞。この短い副詞のお蔭で、読者の想像がいろいろ展開していくのだと思う。不思議なことだ。「暑さ」という季語が、タクシードライバーとの会話の中で、独特の精彩を放っていることに注目したい。
2021年7月26日月曜日
2021年7月25日日曜日
香天集7月25日 谷川すみれ、石井冴、安田中彦、夏礼子ほか
香天集7月25日 岡田耕治 選
谷川すみれ
残されし梢にわかに紅葉す
瘡蓋を透かしていたる秋気かな
電波からついに脱け出す柘榴の実
黄葉や百年後を隣り合う
石井 冴
父の日の後ろと前に橋かかり
青田より母の筆箱出て来たり
白南風の匂うお薬手帳かな
風鈴を置いて隣人居なくなる
安田中彦
老女らが幼き遊びせり半夏
箱舟や而してぼくら立ち泳ぎ
山繭や人と遭遇してしまふ
ヒロシマや雀なにをか啄めり
夏 礼子
小判草一の風呼び千までも
梅雨最中メールの絵文字謎めきぬ
今日のこと今日する朝のレモン水
梅雨晴の地球儀の青まわしけり
楽沙千子
自分史に性のありけりサングラス
除湿機のフル回転に夏座敷
夕凪や厨に消えぬ酢の匂い
ジャスミンを目がけのばせる歩数計
嶋田 静
くるくると日傘まわして友の待つ
茄子五本友のレシピの通りとす
朝顔の花を数えて始まる日
ペダルこぐ風は代田のにおいして
永田 文
鳥どちへ子等へと枇杷の熟れはじむ
開け放つ縁に座布団青葉風
裏一面どくだみの白すがすがし
補助輪をはずし漕ぐ夏翔る夏
小島 守
梅雨晴間仕事を追えば追われけり
向日葵の畑となってしまいし田
夏休み子らの素顔を見ないまま
これ以上悪くはならぬ蓮の花
2021年7月24日土曜日
2021年7月23日金曜日
2021年7月21日水曜日
百日紅しばらく会えぬ人のこと 耕治
大関博美
季節は巡り百日紅の咲く季節になってしまった。新型コロナウイルスの蔓延から二年目の夏。いろいろな人が、子や孫、両親、兄弟姉妹、幼なじみ、友達など、会えない人があります。私は上京させた娘に会えません。どうか、健康で過越してくれることを祈ります。早くワクチン接種が進み、治療薬が開発され、平穏な生活を取り戻すことが、出来ると良いと思います。
大津留 直
「人間」という言葉が示しているように、人は「間」、つまり、関係として成り立っているようです。このご時世、なかなか人と直接会えないことが、非常な苦しみを生んでいる。そんな中で、自分自身が「間」であることを、もう一度考えてみよ、と百日紅が言っているように思えてきます。会えない人は、実は、あなたの中にいるのだと。「万緑の野辺をわが漕ぐ車椅子同行二人ひた思ひつつ」昨日出来たばかりの拙歌です。もちろん、寂しさには変わりありませんが。
2021年7月19日月曜日
2021年7月18日日曜日
香天集7月18日 玉記玉、三好広一郎、砂山恵子、加地弘子ほか
香天集7月18日 岡田耕治 選
玉記玉
昨日より明日よりブルーソーダ水
物語となるまで病葉を拾う
夕立に倦んでこの世の注射針
靴を履く生きものであり原爆忌
三好広一郎
空色も水色もなく涼しけり
永遠という色あるか草の露
炎天下イヤホンなしで歩けない
手の置き場どうしよもない水着かな
砂山恵子
暗闇の重力集ひ甲虫
夕凪や大きなものに塞がれて
空蝉をしまうたままの宝箱
ヒトといふ水へ行くもの背泳ぎす
加地弘子
草いきれ息を殺して鬼が来る
片陰の車体一列静かなり
ゴム長を濡らしてしまう蛇苺
生徒らの顔もろともの清水かな
木村博昭
梅雨空へ指三本を掲げけり
あじさいや夜の静寂を饒舌に
少年の居場所を探す草いきれ
噴水の少し乱れて風を呼ぶ
砂山恵子
蝙蝠や佳境に入るフラメンコ
油照誰も悪くは無いけれど
この夜を海ほおづきも開くのか
玄関にパスポート置き胡瓜取る
神谷曜子
夏雲までアメリカだった昭和の子
営業の仕事が終わり梅雨の星
雨蛙四コマ漫画跳び出せり
多田羅沼の水蓮となり空を見る
古澤かおる
濡れている犬の眼と合う夕端居
蓮開く修繕終えし寺の堀
いつもいる守宮の窓の湿りかな
がやがやと大賀ハスまで来て止まる
婆さんの肩の丸みよ水まんじゅう
小﨑ひろ子
雨間に靴履き替える文月か
ユニコーン目覚めて青き牽牛花
ウイルスの間よこたう天の川
話法あり風船葛の咲く窓辺
松田和子
月涼し友から便り五年ぶり
玉葱の今をかじれる甘味かな
夏帯の白を着こなすおばあちゃん
水団扇静かによぎる舟遊び
櫻淵陽子
祖母を包む五十余りの庭の薔薇
「ご安全に」丸亀団扇仰ぎつつ
小さき手を引いて茅の輪を潜りけり
香水や髪をほどける時の来て
2021年7月17日土曜日
真桑瓜 岡田耕治
梅雨深しこの一冊を選びいて
牛の目に匂いはじめる夏の草
吊橋の夏をゆっくり早く渡る
紙で切る指の血を吸い朝曇
飛んで来し力を逃しあめんぼう
失いし人を着ており麻衣
素麺の包みを破ることにする
荷車の復りを弾み芥子の花
空腹の胸に満たせる若葉かな
冷蔵庫久方ぶりの顔覗き
おのずからここに移りし空蝉よ
花ユッカ空想に入る手がかりに
受け入れる前に受け取り真桑瓜
人生で最もでかい雷だ
学校を休む日のあり雲の峰
【鑑賞】受け入れる前に受け取り真桑瓜 耕治
玉記 玉
「いえいえそんな立派な真桑瓜頂くわけには、、、」と言いながら、手は当然のように受け取ってしまった。真桑瓜でこその質感、重たさなどが抜群!
桑本 栄太郎
「受け入れる前」とはどのような状態でしょう?恐らく知人の方よりいきなり、「ほら岡田さん!うちで生ったの!持って帰って!」と、美味しそうな真桑瓜を頂いたものと拝察いたしました。思いがけない嬉しさのようですね!!。
星野 早苗
まず受けとらされるんですね。私も立派な利尻昆布を大量に戴いたことがあります。玄関のドア開けた途端手渡されました。もう受けとった以上、返すわけにはいきません。大きくて甘い自慢のマクワウリだったのだと思います。
大津留 直
「愛される」とはこのようなことかと、思わず唸ってしまいました。われわれは、受け入れるかどうかと考える以前に、すでに、天地の愛を受け取っているのかもしれません。真桑瓜の大きさを想像させる句です。
十河 智
私は真桑瓜大好きです、最近売ってないのが残念なので、羨ましいです。子供の頃冷蔵庫に切って冷やしていれば、幸せに感じていました。
何か分からずに投げられたものを反射的に受け取る。俳句は、切れに一瞬の戸惑いと安堵の境目を表現していて、とても楽しい一句です。
仲 寒蝉
面白い表現です。受け容れる間もなく、ということか、或いは「取り敢えずもらっておこう」ということでしょうか。
大関博美
ご近所さんが、「今年は良くできたのよ。」とにこにこしながら渡された真桑瓜。いやいやと辞退のことばを考えてまごまごしてる所から、手には既に真桑瓜が。こんな時、私物欲しそうだったかしら?と考えが過る。ご近所づきあいのおすそ分け、嬉しさと微笑ましさの反面、難しさを感じてしまうのです。
2021年7月16日金曜日
2021年7月12日月曜日
2021年7月11日日曜日
香天集7月11日 柴田亨、三好つや子、堀川比呂志、牧内登志雄ほか
香天集7月11日 岡田耕治 選
柴田亨
生き残るものへの刃原爆忌
短冊は「たすけてください」七夕竹
夏の扉ためらう人に開かれず
大蟻の何の果てへと並び行く
三好つや子
まいにちが父の日だった水鉄砲
大南瓜家訓のごとく座しており
熱帯夜がさりごそりと静物画
牛すじのカレー好きらし生身魂
堀川比呂志
噴水が全く右往左往して
紫陽花が重たくなりて月曜日
にぎやかなひとりひとりの夾竹桃
しろつめを少しいただき雲に挿す
牧内登志雄
香水の瓶にそれぞれ男の名
木下闇三十路の白き腕かな
幼子の指で突き刺す雲の峰
床払い祝う一突き心太
小島守
梅雨の月ダイヤグラムの乱れたる
金曜の夜を最も痩せて夏
この夏を生き抜くためのネイルにて
白南風の突然にドア開きけり
*大阪教育大学柏原キャンパスにて。
2021年7月9日金曜日
2021年7月8日木曜日
荷車の復りを弾み芥子の花 耕治
十河 智
祖父母の家は、少し田舎で、米屋と本屋を営んでいて、人が引くような荷車も使っていたような記憶があります。本屋では、かなり小さい頃から、手伝っていました。往復の復の方が、仕入れの帰りで荷があることもありましたが、道路が舗装されていない時代のことです。往きと復りでは、弾み方が違うのです。荷があるときは重く安定、ないときは子供くらい乗っても軽く、道路の凸凹が、体に響きます。よく載せてもらっていたので、体感があり、今も覚えています。
芥子は種が飛んで今でもそのへんに咲いていますが、風に揺れて、弾む体と共振してくれているような季語ですね。季語の置き方がとてもいいなと感じます。私はよく季語が効いてないと言われます。こういうことなのだなと、いい句に出会うと、わかるのですが。
2021年7月7日水曜日
2021年7月6日火曜日
2021年7月5日月曜日
失いし人を着ており麻衣 耕治
大関博美
敬愛のお父様の遺愛の麻の着物でしょうか。手入れをして、毎年袖を通す度に、父そのものを纏っているように思う。帯をキリッと締めて、単座して、父の来し方を自分に重ね、これからの事を考える。・・・父ならば、どう生きただろうかと。
十河 智
心に沁みます。私も母や祖母の形見の服、早くに亡くなった友人に、生前もらっていた服を着ています。着る度に、思い出しています。
麻の服は、高価で手入れも難しい。きっと大切にされていたことでしょう。季節になり出して着ていると、そんな細々とした気遣いまで伝わると思います。長く着てあげなくてはと思います。
大津留 直
それにしても、この句の「を」は凄い。その麻衣を着ると、その人になりきっている、というのだから。勝手な想像で、恐縮だが、もしかしたら、これは、鈴木六林男先生が着ておられた麻衣なのではないか。この「を」はそんなことまで想像させる。
2021年7月4日日曜日
香天集7月4日 久堀博美、谷川すみれ、森谷一成ほか
香天集7月4日 岡田耕治 選
久堀博美
滴りや誰かが生まれ誰か逝く
かりそめの家を出てゆく黄金虫
山桃の実で埋まりし路上かな
日日草だれも知らない百年後
谷川すみれ
これからは裸の月日大銀杏
終戦日正午は我の影の中
黒黒と秋の夕焼卵割る
たましいは鬼のかたわら秋刀魚焼く
森谷一成
春燈し辞書に「切片淫乱症」
フェティシズムの翻訳
虞美人草その曲直のこもごもに
移し絵の宙逆さまに新樹光
夏つばめ風に謀叛を繰り返し
夏 礼子
花は実に姉妹そろってよく笑い
紀の国へ一輌電車花うつぎ
マスク取り緑雨の香り吸い込みぬ
時という流れを低く梅雨の蝶
辻井こうめ
しなやかに風を躱さん花あふち
風薫る実習生のさやかさん
青葉風享けては次の波待たん
赤色の四駆草刈る大草原
前塚かいち
くちなしの香りの残る鋏かな
以前より距離を保てり夏燕
夏草や故郷の家誰も来ず
家守出る一瞬のあと眠くなる
中濱信子
週一度の買物の嵩梅雨晴間
夕茜植田に音の一つなく
蜘蛛の囲や紙飛行機の止まったまま
青鬼灯小さな嘘が太りゆく
宮下揺子
少年の嘘につきあうしゃぼん玉
北斎の男浪女浪や走り梅雨
麦の秋きっと繋がる糸でんわ
黙読の子の口尖る雲の峰
安部礼子
はじまりはひとりでいたり蛇苺
酒中花借りた時間の中に咲く
褪せてゆく言葉の中の辱暑かな
待てぬ者増やしゆくなり大南風
嶋田 静
目高の子ピンピン瓶に生まれけり
水無月のポトスの葉先水の球
紫陽花の毬に妖精現われる
戸締まりを止めて見ており梅雨夕焼
河野宗子
ほめられて走り出す子や夏の空
桜桃忌肋骨出して雲流る
姫女苑測量の手をまっすぐに
ムーミンが顔を出したる蔦かずら
吉丸房江
庭石のあるがままにて梅雨の雨
捩花や葉先に小さき露をのせ
新しき急須傾け新茶淹れる
茄子の花親の訓えの浮かびけり
岡田ヨシ子
蚊帳の中不眠の朝の始まりぬ
紫陽花の最も小をトイレへと
ワクチンの接種を控え暑くなる
冷蔵庫賞味期限を照らしけり
中辻武男
満開の風蘭が客呼び止める
届きたる里の蜜柑にある笑顔
大好きな野球でほぐす夏余生
藤一枝天上の師とながめたる
*大阪教育大学柏原キャンパスにて。2021年7月3日土曜日
飛んで来し力を逃しあめんぼう 耕治
牧内 登志雄
いきなり、ああそうなんだよねと思わされた。「飛んで来し」である。あめんぼうは水の上にいるのが当たり前と思っていたので、飛んで来るとは思いもしなかったし、飛んでいるところを見たこともなかった。見るのはいつも水の上。か細い六つの足で脱力したように滑り、漂っている。まさに「力を逃し」というように。
鳥の撮影に行く池にもあめんぼうが点々と群れているが、今度は今まで見たことのなかった飛ぶ姿を想像しつつ観察してみよう。「来し」「逃し」「あめんぼう」気負いのない句での、新しい気付き、発見。だから俳句は面白い。
大津留 直
一読、非常に優れた写生句である。水の表面張力を利用して着水するためには、今まで空中を飛んできた力を抜き、その力を逃してやる必要があるはずだというのだ。子供が初めて水に浮くことを指導したことがあるであろう教育者ならではの視点が生かされている。人生においても、どこで力を抜き、その力をどのように逃すかを学ぶことが最も難しく、また、重要なのかもしれません。
2021年7月2日金曜日
紙で切る指の血を吸い朝曇 耕治
島 善信
何の仕事でか、せっせと紙を捌いています。その紙で指先を切りました。痛みのわりに傷口はきれいですが、その内にポツポツと真っ赤な血の粒が浮き出てきます。思わずその指を口に当てて外を見やると、暑さを予感させるように霞んだ風景が広がっています。紙の白と血の赤と、霞んだ緑が鮮やか。何をあくせく、ゆったり構えなさいと諭されているようです。
十河 智
暑くなりそうな日の朝のスタート、まずコピーだったのでしょうか。紙で指を切ると、あとからじわっと血が滲み、大粒に脹れて落ちそうになる間際、大体その血を吸う。本能的、ごく自然な動きですが、紙を汚したくないというとっさの判断もあったかも。生温かい、金気のある血の臭いと味が、朝曇の空気に広がる。
桑本 栄太郎
大量の紙を扱う事務仕事では、紙の端で指を切る事がよくありますね?新札の事を、「指の切れるような一万円札」などとも云い紙は結構鋭利な刃のようです。季語の「朝曇り」は良く晴れていて、午後から暑くなる時の一時的な曇りであり、指の血を吸いながら「さ~!今日も忙しくなりそう!」との意気込みのようですね!!。
大津留 直
買ったばかりの本など、捲っていると、私もよく指を切ります。「朝曇」との距離感が心地よい。
2021年7月1日木曜日
吊橋の夏をゆっくり早く渡る 耕治
桑本 栄太郎
吊橋は何度も渡ったことはないもの、足元が透けて見え足が笑いだします。しかも時折風に揺れる事があり、恐ろしくて、しっかり掴まり早く向こう渡りたい心情です。谷を渡る涼しさより、背筋の寒さのようです。「ゆっくり早く」との措辞が、その心情を端的に表していますね!
十河 智
吊橋、十津川村でも、祖谷でも、何回も渡りました。「ゆっくり早く」こんなに的確な、気持ちの表現に遭ったことないかも。馴れないですね。下も周囲も見られずに、ただ気持ちだけ思い出に残っています。「ゆっくり早く」です。
大津留 直
「吊橋の夏を」という優れた措辞によって、万緑のなかの吊橋の景がパッと広がる。「ゆっくり早く」の軽い諧謔も良い。
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