2016年8月31日水曜日

順番を待つ子のあくび運動会 金子 敦

順番を待つ子のあくび運動会 金子 敦
「季刊芙蓉」招待席。幼稚園・保育所や小学校の低学年子どもの姿が目に浮かびました。6月に運動会をする学校が増えましたが、9月末から10月頭にかけて行われる運動会、休暇明けの子どもたちは、この日のために練習を重ねてきます。本番が近づきますと、練習量も増えますから、どうしても眠くなるのです。「あくび」は、退屈しているからではなく、自分の出番に備えて、心身をクリアにするために生まれた仕草にちがいありません。
*この招待席の17句につけられた題名は「けん玉」。「けん玉のすぽんと嵌る野分あと 敦」

2016年8月30日火曜日

「漢字」11句 岡田耕治

「漢字」 岡田耕治

  国立国語研究所五句
東京の大勢といて秋暑し
地虫鳴く国立国語研究所
胸元を開くと秋の蝶来たる
漢字から漢字の生まれ秋灯下
生活の字を覚えゆく夜長かな

食べてすぐ歩き出したる秋暑かな
蛇穴に入る自らをを急き立てて
月明りバイトの後のバイトにも
秋灯の電車を一つ送りけり
一室に一人ずつ居て台風来
よく出来た辞書との出会い秋高し
*東京の国立国語研究所です。

2016年8月29日月曜日

梅雨闇を描く百色の鉛筆 玉記 玉

梅雨闇を描く百色の鉛筆 玉記 玉
 香天集8月28日掲載。梅雨の闇は、多様であり、多彩であり、エネルギーに満ちています。それを描くために玉さんが用意するのは、百色の鉛筆です。目の前の多様さを描くにしても、心に浮かぶ多彩なものを描くにしても、大きなボックスに入った100本の色鉛筆があれば、それを豊かに実現してくれるにちがいありません。「えんぴつ」と、4音で切っているところも、さあこれから描こうという決意が伺えていいですね。
*上六句会のあったホテルのロビーに生けられた花です。

2016年8月28日日曜日

香天集8月28日 玉記玉、加地弘子、藤川美佐子ほか

香天集8月28日 岡田耕治 選

玉記 玉
梅雨闇を描く百色の鉛筆
太陽を溜めつつ空蝉となるよ
八月の水が震えている写真
流灯のあとひとすじの風生まる

加地弘子
蟷螂の子真っ新の鎌ふり上ぐ
八月の胡瓜しきりに曲がりけり
反撃に転じておりぬ鉄砲百合
妻母姥粗方すませ目高飼う

藤川美佐子
夏空を沈めて水位さがりけり
黄金虫はさみの音の佳かりけり
空中を散布しており晩夏光
朝顔のひたすらなりし時空かな

釜田きよ子
蜘蛛の糸朝一番の光にて
朝顔をたくさん咲かせ人見知り
閻魔様と視線を合わす昼寝覚
空蝉やふいに巻爪痛くなる

大杉 衛
ほんとうの扇の風や左から
西日射す凾の中から超合金
白絣風立ち騒ぐ橋の上
秋風をはっきりと見る視力かな

釜田きよ子
空蝉に寿限無と名づけ解放す
日本が浮く炎昼のフライパン
八月は骨密度から痩せていく
大花野アダムとイブが来ておりぬ

今川靜香
蜻蛉とぶ風の高さを測るごと
校舎よりチャイム始まり青田風
違えたるままに進みて森涼し
虫干しや母の形見の帯軽し

北川柊斗
八月の廊下よ奥にまだなにか
八月を揺すらば重き鐘の音
八月のところどころが痛みだす
八月や渇ききつたる瓶の底

古澤かおる
乾物の戻る速さよ夏の水
アクセルが滴りを抜け父祖の山
斑猫や生国に居る昼の飯
字の下手を父に託け水ようかん

立花カズ子
朝から流れの早しほととぎす
花菖蒲まよい鋏は紫に
この川の流れ蛍の里になる
万緑や峠を越えし日の遠く

永田 文
雲の峰峡の青空使いきり
夏の風木綿の似合う嫁と居て
大勢が風と戯れ青芒
水音の中まで昏れず牛蛙

立花カズ子
漁火のゆらぐ水面や夏の月
広々と風吹き渡り夏あかね
夏蝶や大樹の影へ風こぼす
ダンスパーティ変身の夏衣

西嶋豊子
片陰に居着き野良猫やせ細る
羽抜鳥犬に追われて来たりけり
この窓に鳴きつづけたる蝉の命
炎天を帰るカメラを熱くして

村上青女
やせ犬の尾を垂らし行く炎天下
静けさを破ってしまう朝の蝉
探し物やっと見つけて夏の朝
波形みな自在の模様プールの底

西嶋豊子
ひまわりがおいでおいでと五万本
暑き日の一銭五厘の命なり
打水の涼しき道へ頭下ぐ
夏風邪や粥をすすれる一人の日
*8月27日、「香天」上六句会を行ったホテルアウィーナ大阪の玄関です。

2016年8月27日土曜日

世界病むを語りつゝ林檎裸となる 中村草田男

世界病むを語りつゝ林檎裸となる 中村草田男

「俳句界」9月号。さらば「萬緑」!という特集号の巻頭に置かれた一句に、編集部の見識の高さを感じます。家族や友人を大切にした草田男さんですから、向き合って林檎を剥きながら対話する情景が浮かびます。しかも、対話するその内容が、世界が病んでいるという内容なのです。そう語った時から半世紀以上経った今、草田男さんはこの世界をどのように見ておられるでしょうか? もっと身近な人ともっとこの世界を語りたいと、そんなことを思わせてくれる一句です。
*北琵琶湖ホテルのエントランス。

2016年8月26日金曜日

沙羅落ちてこの世のものとなりにけり 木村 朴

沙羅落ちてこの世のものとなりにけり 木村 朴
 香天集7月31日。沙羅双樹の白い花が、樹の周りに散っています。樹に咲いているときは、私に緊張を強いるほど白い花でしたが、こうして散ってしまうと、どこかほっとするような気がします。この安堵感を「この世のものとなりにけり」と、これ以上ない表現を得ることができました。命に限りがある、それがこの世のものの宿命ですが、それが静かに書き留められています。
*北琵琶湖から竹生島に渡る遊覧船です。

2016年8月24日水曜日

子は老いて弾かないピアノ月明かり 鈴木 明

子は老いて弾かないピアノ月明かり 鈴木 明
「俳句四季」9月号。子どもの情操のために買ったピアノですが、もう誰も弾かなくなりました。けれどもピアノは、大きさも重さも含めて、居間を占めています。しかし、かまびすしいピアノ買取の宣伝に乗ろうとせず、断捨離というモノを持たない暮らしを徹底することもなく、いつまでもピアノをそこに置いています。月明かりだけにすると、それほど上手くはないけれども、懸命にこのピアノを弾く音が聞こえてくるからなのです。
*宿泊中の北琵琶湖ホテルのロビーにある像です。

2016年8月23日火曜日

夏はこれから山蟻が走る走る 伊藤政美

夏はこれから山蟻が走る走る 伊藤政美
「俳句四季」9月号。家にやってくる蟻よりも、山蟻は大きくてすばしこい感じがします。おそらく、山での暮らしの方が厳しいからにちがいありません。厳しい環境だからこそ俊敏な山蟻の動きを「走る走る」と捉えられますと、まるでそれが私たちの姿のように見えてきます。「夏はこれから」、「夏はまだまだ」ですね。
*東京・国立国語研究所のエントランスです。

2016年8月22日月曜日

コルセット13句 岡田耕治

コルセット 岡田耕治

コルセット外して着けて秋暑し
唐揚やあまねく檸檬搾りたる
老人と海が残れる踊かな
秋の蚊や血を吸ってより低く飛ぶ
無意識の整ってゆくちちろ虫
鬼やんま指の速さを保ちけり
青蜜柑思ったほどに酸っぱいと
秋の雨激しくなれと言い出しぬ
一木の秋の蝉なお夏の蝉
蟋蟀と繋がる鉄路濡れはじむ
鹿の肉食べてより痩せ始めたる
星月夜いくつもの機器充電す
夜半の秋最後に『字統』割っており
*東京の立川にある国立国語研究所からの帰路、夕日を捉えました。

2016年8月21日日曜日

香天集8月21日 安田中彦、谷川すみれ、橋爪隆子ほか

香天集8月21日 岡田耕治 選

安田中彦
伐る前の竹のあをきに触るるなり
鮭のぼるひかり川瀬の光とも
キリン舎の主は不在星流る
滅びゆくものの親しさ星流

谷川すみれ 
着水の真雁ひと口水を飲む
降りしきる紅葉の中の階段よ
石たたき石の時間を啄みぬ
ひと粒を拾いてもどす今年米

橋爪隆子
蜜豆の暗きに匙を差し込めり
滝に来て一人一人となりにけり
盗塁のスタートを切る雲の峰
新涼の鏡の鼻を拭きにけり

戸田さとえ
余花の雨昔を話す人逝けり
花の雨親子の牛の売られ行く
疎開の子いずこにもいて原爆忌
大旱がぶがぶのんで井戸の水

中辻武男
群青の茅渟の海かや雲の峰
正午かと想う黙祷終戦日
物語る星が煌めく夜半の夏
妣に似た笑顔のありて盆踊り

【選後随想】
伐る前の竹のあをきに触るるなり 安田中彦
 九月から十月頃が竹を伐る好機とされていますが、その頃の竹がもっとも青々としているように感じます。竹を伐ってしまいますと、命は一旦そこで止まりますので、その前に竹の命と繋がっておこう、そんな命と命の交流のひとときが想像されます。やがてこの私の命も止まるときがくるのかと、そんなことを思いやることになったのかも知れません。

 ひと粒を拾いてもどす今年米 谷川すみれ
  新米を袋から出して、容器に入れます。まずその香りをたのしんで、一粒つまみ上げて、形や艶を確かめます。今、米づくりが最も手間のかかる作業になりましたが、そうであればこそ、一粒一粒を大切に味わいたい、そんな作者の姿勢が感じられる一句です。

2016年8月20日土曜日

翡翠に一本の杭確かなり 東金夢明

翡翠に一本の杭確かなり 東金夢明
「鷗座」8月号、招待作品。翡翠が一本の杭に止まって、鮮やかな色を見せています。水音を立てて水中に姿を消しますと、杭だけが残って、息を呑むような静かなひとときが訪れます。そして、今度は羽ばたきの雫とともに、杭の上に姿を現すのです。姿を消す手前にしても、最中にしても、また再び現れた時にしても、一本杭の存在が翡翠を支援しているようです。こころが安定する一句に出会いました。夢明さん、お元気で何よりです。
*大阪教育大の金剛生駒山紀泉国定公園から大阪市内を展望しました。

2016年8月19日金曜日

洗ひ飯昆布の佃煮にて汚す 島田牙城

洗ひ飯昆布の佃煮にて汚す 島田牙城
「里」6月号。冷水でごはんを洗い、ざるに氷を敷いて、その上に洗ったごはんをのせて冷やします。その上で、茶碗にごはんをよそい、冷水をかけていただきます。牙城さんのことですから、それほど徹底した「洗ひ飯」ではないでしょうか。だからこそ、昆布の佃煮をのせただけで、水が汚れるように感じるのです。ご飯も、昆布の佃煮も、とても美味しそうな一句です。
*泉佐野市内のレストラン、エントランスの風鈴です。

2016年8月17日水曜日

賄いに夏を一杯適当に 虎時

賄いに夏を一杯適当に 虎時
「里」6月号。賄いは、料理人が店の者や家族に振る舞う料理です。短時間に作りますが、愛情はたっぷり。だから美味しいのでしょう。この場合は、「夏を一杯」です。しかも「適当に」というところが、新しい組み合わせが生まれる、いわばアイデアの宝庫になっているにちがいありません。「里」の表紙裏には、毎号作者の「季語を料る」が掲載されています。本号で注目したのは、「干し豆腐サラダ」。夏を一杯いれて、適当に作ってみますか。
*昨夜、やや遅めの花火が、関西空港上空にあがりました。

2016年8月16日火曜日

檜山より杉山が荒れ日短 茨木和生

檜山より杉山が荒れ日短 茨木和生
「運河」8月号。林業の町、高知県梼原(ゆすはら)町に出かけたとき、木材輸入が自由化されて以降、杉も檜も売れなくなって放置したままになっていると聞きました。檜よりも杉の方が多く植林されていますので、杉山が荒れるということは、山山全体が荒れていきます。こんな豊かな山山を持ちながら、山で暮らす人がどんどん減っていって、少子化・高齢化に歯止めがかからなくなっているのです。「日短(ひみじか)」と、四音になっているところに、作者の腹立ちを感じます。
*6月に訪れた高知県梼原町の山山です。

2016年8月15日月曜日

「砂丘」15句 岡田耕治

「砂丘」 岡田耕治

砂時計落ちゆく速さ秋に入る
蜩やひたむきに鳴きはじめたる
休日の学校に来て草の花
蚊を打って己が血潮に染まりけり
  鳥取砂丘 十一句
半ズボンことに吹かれて砂嵐
砂丘の夏あんな小さな人となる
風紋を象っている夕焼かな
降りかかる砂の白さと秋に入る
秋暑し砂丘の底にたどり着き
真っ直ぐに傾いており秋の砂丘
後から後から砂流れ出す秋の朝
秋の砂立ち止まるたび眠くなる
秋風の句碑に秋風通いけり
秋光の砂舞い上がる影絵かな
記憶せん二十世紀を切り分けて
*鳥取砂丘で見つけた砂の上を走る自転車。

2016年8月14日日曜日

香天集8月14日 中村静子、久堀博美、宮下揺子

香天集8月14日 岡田耕治 選

中村静子
翡翠や水しぶきのみ残したる
車椅子押す腕殊に日焼せり
挨拶を目で交わしゆく端居かな
心持ち軽くなりたる洗い髪

久堀博美
草汁に汚れて来たる素足かな
その奥は誰も知らない蝉の杜
水打って石の紋様を露わにす
はじまりは最も赤く夏の月

宮下揺子
静止画に動画が混ざり夏至の夜
熱帯夜点眼薬を差して寝る
モノクロの「ゲルニカ」に問う敗戦日
天の川ナイトツアーの動物園

【選後随想】
心持ち軽くなりたる洗い髪 中村静子
 「心持ち」を辞書で引きますと、最初に「心の持ち方」「気持ち」があって、二番目に「わずかばかり」とあります。この句の場合、どちらかなと考えたところ、どちらも採用したくなりました。洗い髪が少しずつ乾いて、わずかばかり軽くなったので、心の持ち方も少し軽くなったよ、と。脳が体を支配するのではなく、体が脳を育てるという最新の脳科学の知見によれば、髪が軽くなることによって、気持ちもまた軽くなるにちがいありません。

息止めるその十秒の涼しさよ 中嶋飛鳥
 「息止める」から始まりますので、一瞬ドキッとしますが、「十秒」に少しほっとします。そして、この十秒はどんな十秒だろうかと想像したくなります。水の中に入って息を止めたのでしょうか。呼吸を整えるために、少し息を溜めたのでしょうか。何れにしても、「涼しさよ」という押さえ方が爽やかです。そのためでしょうか、息をしていること、こうして生きていることを肯定された気がします。(8月7日掲載句)
*大阪教育大柏原キャンパスから空を。

2016年8月13日土曜日

小春日はしんじつ猫のためにある 仲 寒蝉

小春日はしんじつ猫のためにある 仲 寒蝉
「ねうねう」創刊号。よく晴れた冬の初め、どこにもでかけないでいい日、猫が太陽を受けて気持ちよさそうに目を閉じています。猫は猫の時間を過ごしていますが、それを見つめる人との時間もまた猫の時間なのだと、一句は語っています。「しんじつ猫のためにある」というこの心地よい断定は、小春日の度に想い起こすことになるにちがいありません。
*大教大柏原キャンパスの日だまりです。

2016年8月12日金曜日

鳴く度に猫の眼つむる良夜かな 金子 敦

鳴く度に猫の眼つむる良夜かな 金子 敦
「ねうねう」創刊号。キャッチコピーは、「猫好きによる 猫好きさんにも猫嫌いさんにも読んで欲しい俳句雑誌」。猫の姿や仕草満載の一巻です。眼をつむっている猫が、眼を開いて鳴き、また眼をつむる。なんと静かで、安らかな光景でしょう。慌ただしかった日中が、次第に落ち着いていいて、やがて全てが眠りにつく良夜となる、そんなひとときを猫の有り様をとおして表現されています。敦さん、いい雑誌ができましたね。
*天王寺駅の上からハルカスと天王寺MIOのビルを眺めました。

2016年8月11日木曜日

太陽を目指しておりぬ蟻の道 高野ムツオ

太陽を目指しておりぬ蟻の道 高野ムツオ
「小熊座」8月号。18句の冒頭に「帰還困難区域」という前書きがあり、「春の月除染袋の山の端に」という一句が配置されています。この句は18句目なのですが、最初の前書きがどの句にまでかかるのかとハラハラしながら読んでいくことになりました。最後のこの句にたどり着いた時、ここまでかかっているのだと確信しました。帰還困難区域には、人の影がありません。人の暮らしの中で甘いものを求めて散り散りに広がっていた蟻も、今は一方向に向かっています。18句の静寂の最後に、一筋の命が太陽へと続いているのです。
*鳥取県教育委員会の仕事で、鳥取に出向き、帰りに鳥取砂丘に立ち寄りました。

2016年8月9日火曜日

肩幅に開く父の日の新聞 花谷 清

肩幅に開く父の日の新聞 花谷 清
「藍」8月号。今でこそ電車の中で新聞を読む人は少なくなりましたが、かつては通勤車中では新聞を開く音があちこちから聞こえてきました。満員電車ですから、家にいるように新聞を開くことができません。そこで、新聞の紙面を縦に半分に折って、ページを開いていく人が多かったです。これだと、掲句のように肩幅で新聞を開くことができます。父の日ですから、休みの日である父が多いと思いますが、休みの日でも通勤の車中と同じように新聞を縦に二つ折りにして読んでいる、そんな父の姿が彷彿とする一句です。
*大阪府庁別館の向かいに建設中の大阪国際がんセンター。

2016年8月8日月曜日

「八月」12句 岡田耕治

「八月」 岡田耕治

八月や指紋認証からはじまる
地球より身を起こしたる昼寝覚
呼ぶ声を真っ直ぐに来る夏足袋よ
夏の海手放しで泣き始めたる
緑蔭に入ってしまう塩むすび
泥鰌鍋はじめは黙り合って喰う
弟が兄に噛みつく天瓜粉
夕立の自転車キュッと到着す
満員の中にしゃがめる白靴よ
汗とともに昭和の話出てきたる
日雷六秒を待つことにして
消しゴムの香りを集め原爆忌
※八月は海。岬町小島から大阪湾を望んで。

2016年8月7日日曜日

香天集8月7日 中嶋飛鳥、玉記久美子、森谷一成…

香天集8月7日 岡田耕治 選

中嶋飛鳥
息止めるその十秒の涼しさよ
蝉鳴きて山の容の歪み出す
百物語早くも喉の渇きたる
蝉時雨時計の見える椅子の位置

玉記久美子
水着より水奪いたるベンチかな
詩の国のグラジオラスの反っている
スプーンに夏の渚というところ
真っ先に鳴りだす風鈴はどれだ

森谷一成
グラビアに飽きて蛙の目借時
横長の墨画の如くさみだるる
黒南風に抱く真白のぬいぐるみ
緑陰の少女に降ってくるバトン

大杉 衛
じゃんけんの最初はみんな甲虫
昼寝から覚め少年のカタカナ語
青すすき草月流に靡きけり 
停車場と波止場と西日差すところ

竹村 都
黒南風や声高くなる阿弥陀経
梅雨あがる磯の香のするバーベキュウ
ここからは海だったと言う麦藁帽
暑き日の貨物列車の続いている

羽畑貫治
傾きて退院をする今日は夏至
青大将家主を看取るつもりらし
遠出する行先決めず土用浪
何事も素直に聴いて夏雲雀

越智小泉
来ては去り又来ていたり夏の蝶
海開き靴に靴下入れて持ち
蝉しぐれ難しきこと考えず
手と足を動かしている昼寝覚

中辻武男
青蘆の光みなぎり河川敷
冷奴薬味を溢れさせている
風鈴の音続き出す日暮かな
天上の友が見ている百日紅

村上青女
水をやるひぐらしの声確めて
一人泳ぐ市営プールの秋茜
投錨の音に始まり夏の朝
平和への祈り果てなき星祭


※大阪教育大学のある金剛生駒紀泉国定公園。

2016年8月6日土曜日

国家国土国民のわれ汗しとど 宇多喜代子

国家国土国民のわれ汗しとど 宇多喜代子
「現代俳句」8月号。中学校の社会科では、国を構成する要素として、政治、領土、人民の3つを学習します。政治によってかこわれた「国家」の、この地に立つ「国土」の、「国民」であるこの私が、しとどに汗をかいている。この絞り込み方が、絶妙です。そのためでしょうか、逆もまた真であると思われます。この汗をかいている国民の私は、この国土の主人公であり、この国家の主権者なのだと。
※兵庫県伊丹市の「いたみホール」の玄関です。

2016年8月4日木曜日

広場に燕熊本はこの方位 宇多喜代子

広場に燕熊本はこの方位 宇多喜代子
「俳句あるふぁ」8-9月号。宇多さんは芸術院賞受賞を記念されましたので、本誌にはロングインタビューとともに最新作が掲載されています。広場は、広広とした場所であり、人が多く集まる場所でもあります。そこに燕がやってきました。燕が来ることのうれしさとともに、ある種の「いたたまれなさ」を感じます。それは、巣ではなく広場であるからにちがいありません。このかすかな「いたたまれなさ」は、はるか熊本で被災し、避難所という「広場」で生活せざるを得ない人々へと通じてゆくものです。俳句の書き方をまた一つ教えていただきました。宇多さん、御受賞、たいへんおめでとうございます。
※泉南市埋蔵文化センターでみつけた、お手玉と積み木。

2016年8月3日水曜日

見下しても見下しても蟻進みゆく 大牧 広

見下しても見下しても蟻進みゆく 大牧 広
「俳句界」8月号。50句の特別作品に引き込まれ、三度読み返しました。どの句にしようと迷った末、50句の初めに置かれた導入の句を選びました。「見下す」という動詞を俳句で使うことができるんだということに先ず驚きます。大牧さんが蟻を見下ろしているその姿を、「見下しても見下しても」と繰り返すことによって、餌を探し、運んでいく蟻の懸命さが立ち現れます。次にその懸命さを見下す自分自身の残酷さ、無力さが感じとれます。最後に、上から見ていたはずの大牧さんが、蟻と同化してしまうような感覚にとらわれます。なんという技術でしょう。
※夏休みに入った大阪教育大附属天王寺高等学校のグランドです。

2016年8月1日月曜日

「緑さす」17句 岡田耕治

「緑さす」 岡田耕治

緑さす子の高さまで屈みけり
シャツが身に張り付いてくる夏の川
夏山を下りゆく尻をはずませて
ストローを通る赤色かき氷
老人と鳩の公園日盛りぬ
夏座敷ままならぬこの膝頭
頭から汗を流して飯を喰う
人情と名のつく市場夏夕べ
早く読むことをせぬ書の青葉木菟
酒買いに行ったままなり夏の星
天瓜粉這わせた首を見つめらる
裏道の方が広がり朝の蝉
画面から離れて居たり青岬
食べてすぐ歩き出したる鰻かな
ゆっくりと汗を出すよう歩きけり
秋迫る展望台に長く居て
蜻蛉の水辺をともに歩くこと
※私の原点・岬町小島の風景です。